第21話 やがて星は輝きを失う

「……そうだ、あの時」



 ―――字は書けるのか?試しにここに自分の名前、書いてみろよ



「ゴブさん、何か心当たりがあるんじゃな?」


「ごめんニカ爺。身分証を受け取った時に俺、名前を試し書きした」


「そう、だったんじゃな」


 事情を察したニカ爺は、物憂げな表情で下を向いた。

 そして一度だけ深呼吸をすると、真っすぐ俺の方を向いて言った。


「ゴブさん、約束は守らないとな」


 俺に一言だけ言い残し、ニカ爺は前言撤回すると申し出て病院へ向かった。

 残された俺は、モヤモヤした気分のままその背中を見送るしかできなかった。

 なんだか、とても不安な気持ちでいっぱいになった。

 俺は、その気持ちから逃げるかのように町へ出かけた。


「ニカ爺と約束したんだ。今日はとびっきりのご馳走を用意して桜を見に行こう」


 自分に言い聞かせるように、暗示をかけるかのように何度も呟き、信じ、ニカ爺の好物を買い揃えて帰宅した。


 ―――しかしこの日、ニカ爺が家に帰ってくることはなかった。


 すっかり日が暮れて一等星が輝き始める頃、その知らせは突然訪れた。


「ゴブさん!ゴブさんはいるか!」


「が、我那覇さん?どうしたんです急に?」


「ニカ爺が病院にいるんだ!早く行くぞ?」


「それは知ってますよ。検査でしょ?慌てなくてもすぐに帰ってきますって」


「お前、正気か?意識不明の重体なのに帰って来れるわけないだろバカ野郎!」



 ―――え、どういうこと?意識不明?重体?検査するだけなのに?


 頭が真っ白になった。

 それからのことはよく覚えていない。

 気が付いたら、俺は病院にいて『手術中』という看板を呆然と見つめていた。

 すると、ベンチに座る我那覇さんがポツポツと独り言を話すかのように語り始めた。


 ―――ヒーさん、何故かは知らんが車に乗っていて、その車が急に対向車線に飛び出したらしいんだ。運悪くダンプカーと正面衝突して意識不明の重体。同乗者の二人はそこまで酷くないらしいが、他の病院で治療を受けているらしい。ゴブさん、何か事情を知らないか?


 どうして俺はこんな時だけ察しがいいのだろうか。

 あぁ、違う。

 それは、俺が同じような経験をしたことがあるから気持ちが分かったんだ。

 そう。あの時。


 ―――お前らと話すことは何もない。もう、理由なんてどうでもいい。この村から今すぐ立ち去ってくれないか


 ―――こ れ で も く ら え !


 これじゃああの時の俺とまるで一緒じゃないか。

 俺は大切な仲間を守るために自分が犠牲になろうとした。

 そして、最後の一撃を繰り出そうとしたが、防がれて俺は死んだ。


 きっとニカ爺は俺を守るために自分を犠牲にして遠野さんと運転手の男を道連れにしようと事故を起こさせたんだ。

 俺、ずっとニカ爺に迷惑しかかけていないじゃないか。


 手術中の看板が消灯し、中からお医者さんが出てきた。

 駆け寄る我那覇さんと俺に向かって、お医者さんは告げた。


「手は尽くしましたが、明日を迎えることはないと思われます。もう時間がありませんので、すぐご家族に連絡を」


「「……」」


 俺も我那覇さんも言葉が出なかった。

 奥さんと息子さんがいると聞いていたが、連絡先どころか名前すら知らない。

 家族なんて、俺と我那覇さんしかいないようなもんだ。


 そのまま二人で看護師さんの案内に従って足早に病室へ向かう。

 案内された病室では、たくさんの機器に繋がれたニカ爺がベッドで横になっていた。


「ヒーさん、俺だよ」

「ニカ爺……」


「あぁ、お前らか。今さらこんな老いぼれジジイに何の用じゃ?」


 ニカ爺の言葉はとても弱々しく、息をするのがやっとという状態に見える。

 もう、長くないというのは素人目にも一目瞭然だった。


「ニカ爺、約束は守らないとって言ったじゃないか!一緒に桜を見に行くんだよ!」


「そんなの、覚えとらんわ」


「ヒーさん、俺が何度でも救ってやるから、気を強く持て!」


「……我那覇さん。ゴブのこと、お願いします。アレ、頼みます」


「その願いだけは絶対に聞かないぞ!このバカの世話はあんたの役割だろ!」


 もう、ニカ爺の意識は途切れ途切れになっていた。

 もう目を開けることもままならない様子を見てもなお、俺は心の準備が整わない。


「ゴブさん、今まで世話になったのう。お前のことは本当の息子のように想っていた。どうか、お前だけは幸せになってく―――」


「ヒーさん!!」

「ニカ爺!!!」


 ニカ爺は、最後にニカッと笑って息を引き取った―――

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