第16話 無色透明を濁らせるのは容易い

 約束の日が訪れた。

 約束の場所、約束の時刻まであと五分。

 一人佇み、その時を待つ。


 その男は、約束の時間ちょうどに現れた。

 前回の大型車と違い、今回は黒塗りの高級セダン。

 車から降りることなく、後部座席の窓を開けて顔だけ覗かせている。


「約束通り、報酬を下さい」


「まぁ、そう焦るな。とりあえず乗れや」


「いえ、ここで結構です。報酬を下さい」


「そうか。じゃあ車を出せ」


 後部座席の窓が締まり出すと同時に車がゆっくりと走り出した。

 俺は慌てて駆け寄って呼び止めるしか出来なかった。


「わ、分かりました。乗りますからちょっと待ってください」


 これでは完全に相手の思うツボだ。

 しかし、相手に主導権ほうしゅうを握られている以上、従わざるを得ない。

 やはり、俺程度の交渉力では到底太刀打ちできそうにない。

 今は素直に従うことにしてチャンスを伺おう。

 俺は運転席の真後ろ、強面の男の右隣りに乗り込んだ。


「これからどこへ向かうのですか?」


「まぁ、ちょっとした野暮用さ」


「報酬を渡すだけなら今でもできますよね?」


「だから、そう焦るなって。着くまで暇だからお前と話がしたいんだよ」


「俺に話?別にいいですけど、じゃあ到着したら報酬を渡して頂けますか?」


「野暮用が済んだら、な」


「約束ですよ?」


「勿論だ。俺は約束だけはしっかり守る男だからな。ところで……」


「なんですか?」


 強面の男が途中で言葉を詰まらせたので、何気なく視線を向けると、急にスマホで顔写真を撮影された。


「何するんですか!写真、消してください」


「いいじゃないか、出会いの記念ってやつさ」


「ふざけないで下さい!」


 強面の男はしばらくスマホの操作をし続けていたが、俺のしつこさに負けたのか最終的には仕方なく俺の目の前で画像を消去してくれた。


「で、お前は本当に名前もなければ身内もいないのか?」


「まぁ、そうですけど」


「じゃあ、お前が急に行方不明になろうとも、別の誰かとして生きようとも、誰も困らないってことだよな?」


「……怖いこと、言わないで下さいよ」


「冗談、冗談だって!ただでさえお前の顔怖いんだから、そう怖い顔するなよ」


「俺、冗談とかよく分からないんで。本題は何ですか?」


「はぁ。相変わらず真面目なヤツだなぁ、お前」


「そうですが何か問題でも?」


「分かった、俺が悪かった。話ってのはな、俺はお前を助けたいって話だ」


「助ける?報酬を渡さなかったクセに?」


「助けたいから、報酬を渡さなかったんだ」


「意味が分かりません。ちゃんと説明して下さい」


「説明ねぇ。まぁ、一言で言うなら『お前、このままだとすぐに殺されるぞ』ってことさ。分かるか?」


「俺が……殺される……?一体、誰に?」


 俺には心当たりがいくつかある。そして、殺される時の痛み、苦しみを知っている。

 だから、殺されたくないし死ぬわけにはいかない事情も抱えている。

 この男は、もしや俺の事情を知っているのだろうか?

 俺は、急に飛び込んできた懐を抉るような鋭い言葉に動揺を隠しきれなかった。


 そんな俺の一挙手一投足を見ていた強面の男は、俺を心配しているかのような表情をしながらも心の中では、やっぱりなと思いながら笑っていた。

 事情を知らなくても、カマをかけて情報を引き出すことなど容易いことだった。

 特に、俺みたいな世間知らずのワケあり人間など赤子の手をひねるようなものだ。


「確かに俺は、お前を狙っている輩がいることを把握している。だが、それと同時にソイツはまだ行動に移す様子もないことも把握している。俺が牽制して止めているからな。だが、俺が心配しているのは


「あなたが、止めている?それに、その件だけじゃない……?ど、どういうことですか?あなたは何者なんですか?他に、何があるんですか?何を知っているんですか?教えて下さい!」


 俺は、一気に胸の鼓動が高まり興奮状態となってしまった。

 突然訪れた情報の荒波に飲み込まれ、上手に息ができない。溺れかけている。

 今すぐ何かにしがみつかないと溺れ死んでしまいそうだ。


「一気に質問をするな。答えられることと答えられないことがある。ただ、最初に言ったように俺はお前を助けたいんだ。俺にならそれが出来る。だから、ちゃんと話を聞け」


「ごめんなさい。黙って話を聞きます」


 強面の男は確信した。使と。

 一目見た時からイケると感じていた。今日はそれを確かめるためのテストみたいなもの。やはり世間知らずを騙すのは容易い。


「よし。まずは言いたいのはな、お前はお人好し過ぎるってことだ。お前、この前の現場で他の人の分まで作業してたろ?お前は善意のつもりかもしれんが、他の地下班の奴等はお前を見てどう思ったと考えている?」


「そりゃぁ、感謝。じゃないですかね」


「じゃあ、お前が一人で作業する様子を見た奴等が寝たフリをしてサボっていたのはなぜだ?」


「サボり?いや、あれはみんな疲れ果てていただけだと思います」


「じゃあ、作業が終わった後、お前は礼を言われたか?」


「いえ、特には。別に、お礼を言われたかったからではないですし」


「俺は雇う側だから知っている。アイツらは何度もこの作業をしたことがある。それに持ち場を離れると報酬を減らされることも知っている。その上で聞くが、誰かお前に持ち場を離れないよう注意してくれたヤツはいたか?」


「いえ、いませんでした。」


「お前は人一倍、いや人七倍は働いた。それはみんな知っている。だが、報酬が減らされることもまた知っている。では、そんなお前が報われないのはなぜだ?」


「……俺がバカだって言いたいんですか?」


「それは違う!いいか、よく聞けよ?お前は何一つ間違ったことをしていない!」


 強面の男は一呼吸おいて、俺の方に姿勢を向き直してから再び話し出した。


「悪いのはお前の善意につけこんで楽をしようと企むゴミみたいな奴等だ!お前が頑張れば頑張るほど他の奴らは楽をして報酬を得られる。それは、お前が減額されるのを知っていながら、だ。人が損をしようと、傷付こうとアイツらは躊躇わない。自分の利益のためなら人を足蹴にしても心が痛まないんだ。


 俺は、心のどこかであえて考えないようにしていたのかもしれない。

 人間の、自分の醜さ。心の弱さ、平気で他人を傷つけ陥れる哀れさ。

 それを今、目の前に突きつけられ、お前はどうする?と選択を迫られている。


「俺は!俺は、俺は……」


 言葉が出ない。

 本当なら、それでも俺は頑張れると胸を張って言いたい。言いたかった。

 しかし、俺には言えない明確な理由があった。


 そう、俺の仕事は空き缶集めという名の条例違反、窃盗罪、場合によっては住居侵入罪、軽犯罪法違反といういくつもの罪に該当しているからだ。

 空き缶は本来、各自治体が回収してリサイクル業者へ売却することで収入を得ている。


 つまり、俺がやっていることは地域住民の財源を自分個人の収入として横取りしているだけに過ぎないのだ。だから、言えない。


 そんな様子の俺を見て、強面の男は先ほどまでの口調から一転、優しい口調で俺に囁いた。


「俺ならお前を守れる。真っ当な仕事を与え、身分証を持たせることもできるぞ」と。

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