第15話 理不尽に晒されて

「おーい、撤収だ」


 およそ一日ぶりに聞いた強面の男からの声、知らせ。

 体力自慢の俺も、さすがに疲労困憊した。

 一度腰を下ろしてしまったら、もう立ち上がれそうになかった。


 一人でせっせと運び続けていた俺の様子を、強面の男が捉えていた。

 そして、無表情のまま背を向けて去って行った。


 俺が地下班に作業終了を改めて伝えたが、みな眠っているのか、気を失っているのか分からないが、誰一人として起き上がる者はいなかった。

 仕方なく、一人ひとりのもとへ出向いて肩をゆすり、作業終了の旨を伝えて回った。


 梯子を伝って地上に出ると、同じように倒れたままの地上班が数名いたが、滞ったままの荷物はどこにもなかった。

 しかし、到着時に目にした瓦礫の山は形を変えてはいるが、更に大きくなっていたので、俺は少しだけ絶望した。


 そのまま全員が車に乗り込むと、車内のデジタル時計が現在午前三時であることを示していた。

 だいたい午前七時からだと考えると、二十時間近く働いたことになる。


 車がもと来た道を走り出したところで俺は意識を失うかのように眠った。

 ほんの一瞬、ほんの一瞬目を閉じたかと思ったら、もう最初の集合場所へと到着していた。

 行きは一時間ほどかかったはずが、帰りは瞬きする間に到着したのでびっくりしたが、車内のデジタル時計を見たら、ちゃんと一時間経過していた。


 車から降りた俺達は、地上班と地下班に分かれて一列に並ばされた。

 すると、強面の男が端から順に茶封筒を手渡し始めた。

 地上班から始まり、受け取った者はそのまま四方へ散らばって帰路についた。

 いよいよ次は俺たち地下班の番だ。やっと報酬が得られる。


 一体、幾ら貰えるのか分からないが、あれだけの長時間労働をしたんだ、最低賃金から計算すればおおよその金額が分かる。そこに危険手当のような追加報酬があればありがたいのだが、それは受け取ってみないことには分からない。


 俺は地下班の最後尾だったので、他のメンバーから報酬を受け取り始めることになるのだが、地上班に手渡すのと同じように渡されるのかと思いきや、強面の男は地下班一人目のメンバーの前で立ち止まり、じっとメンバーのことを凝視したまま動く気配がなかった。

 このメンバーは俺の次に荷物を受け取っていたメンバーで、最初に音を上げて倒れ込んだメンバーだった。


 凝視されているメンバーは、居心地が悪そうに身体を縮めて視線を左右に泳がせている。

 他のメンバーも状況を察したのか、俯いたり地面の小石を蹴とばして無関係を装っている。

 そのまま無言の時間が十秒ほど経過した時、強面の男は茶封筒の中からお札を一枚抜き取ってから手渡した。


 受け取ったメンバーは一瞬だけ固まり、何か言いたげなそぶりを見せたが、言い出せずに立ち去った。

 次のメンバーも同じようにお札を抜かれて渡され、すぐに去って行った。

 そして、最後に俺の番が回ってきた。

 俺は他のメンバーと違って正々堂々と胸を張って強面の男に目線を合わせた。


 俺の目の前に立った強面の男。もうこの場には誰も残っておらず、俺と彼の二人だけだった。

 無言のまま五秒ほどが経過したところで、強面の男は茶封筒からお札を二枚抜き取って俺に手渡した。


 俺は、腹の底から湧いてくる感情を必死に押さえ、どうにか表情を変えずにそれを受け取った。

 そのまま俺に背を向け車へと戻って行く後ろ姿に俺は言葉を選んで問いかけた。


「なぜ、私の報酬が一番少ないのですか?」


「……」


「あなたは私の働きを見ていたはずです。他のメンバーが音を上げている中、私は他のメンバーの分まで働き続けました。追加をよこせとは言いません、どうか、正当な報酬を頂けないでしょうか」


「それがお前に相応しい報酬だ」


「納得できないです」


「お前は、お前たちは仕事を満足にこなせなかっただろう?瓦礫を運びきることが出来ずに残されたままだ」


「それは…そうですが、ではなぜ私の報酬が一番少ないのでしょうか」


「言わないと分からないのか?」


「はい、全く分かりません」


「それなら、お前はもう来ない方が良い。来ても俺がお前を選ぶことはない」


「理解できません」


 歩きながら話していた強面の男だったが、ため息をついて立ち止まった。

 そして、俺の方に身体を向けて言った。


「お前は自分の持ち場を離れて勝手に作業したんだ。他の奴より質が悪い。勝手な行動をするお前が他の奴より報酬が少ないのは当然のことだろ?」


「そう、ですか。そう、なのかもしれませんね。しかし、私にはお金が必要なのです。家族に治療を受けさせたいからお金が必要なのです」


「そうか、それは大変だな。せいぜい頑張れ」


 再び俺に背を向け、強面の男は車の助手席に乗り込んでタバコに火をつけた。

 衝動を抑えきれなくなった俺は、強面の男に駆け寄り、開いている窓枠に手をかけた。


「報酬を下さい」


「やっただろ」


「報酬を下さい」


「しつけぇよ」


「報酬を下さい」


「車を出せ」


 運転手の男は車を発進させようとしたが、俺が窓枠を掴んでいるので発進できずに困惑している。


「報酬を下さい」


「ほらよ」


「飴玉なんて要りません。現金を下さい」


「はぁ。お前、名前は?」


「ゴブさんです」


「てめぇ、ナメてんの?」


「ナメてません。家族につけてもらった大切な名前です」


「なんだお前?まぁ、いいや。根性だけは認めてやる。報酬が欲しければ明後日の朝、この時間にここへ来い」


「今すぐ下さい」


「ダメだ。欲しけりゃ俺の言う通りにしろ」


 強面の男は運転手の頭を叩き、頭を叩かれた運転手は俺のことを気にしつつも無理矢理そのまま発進した。

 俺は何歩かしがみついていたが、窓ガラスが締まり、車の速度が上がり始めたところで手を離した。離すしかなかった。

 しばらくその場に立ち尽くし、車が見えなくなるまで見届け、帰路についた。


 身体は疲れ果てて鉛のように重く、心は理不尽に晒され傷だらけになりチクチク痛み続けた。

 やるせない思いと無力感で涙が出そうになったが、上を向いて堪えた。



 ―――こんなことで挫折している場合じゃない


 強面の男は信用できないが、報酬を渡さないとは言わなかった。

 欲しければ、言う通りにしろと言ったので、可能性はゼロじゃない。

 それに、理不尽は今に始まったことじゃないだろう?なんてったって俺は、人間として生まれ変わって、ここに存在しているのだから。

 そしてこの命、ニカ爺のために使って生きていこうと固く誓ったのだから。

 俺は、自分に言い聞かせるように独り言を呟きながら歩いた。


 とはいえ、ニカ爺に何も言わないまま丸一日留守にしちゃったからなぁ。

 本当は今日受け取るはずだった報酬を使って病院に連れて行こうと思ったのに。

 さて、なんて言い訳しようか。


 そんなことを考えながら茶封筒の中身を確認すると、千円札が三枚と小銭が少し入っていた。


「アレならニカ爺でも食べられるよな。ずっと楽しみにしてたもんな」


 まだ開店には早すぎるよなと思った俺は考えた末、家には寄らずにそのまま空き缶集めに出向くことにした。

 身体が重くてしんどかったが、少しでも稼ごうと思って頑張ったけどあまり集まらなかった。

 だけど、やらないよりはやった方がニカ爺の検査や治療へと近づけるので苦にならなかった。

 太陽が昇り、人々が活動し始めた頃、俺は久々にあの店へ出向いて『千円』を二枚渡して家に帰った。


 ニカ爺は許してくれるだろうか。喜んでくれるだろうか。

 俺は、ただいまと言ってニカ爺の顔を覗き込んだ。

 どんな罵声を浴びせられるのだろうかとヒヤヒヤしていたが、ニカ爺はまだ眠ったままのようだ。


 いつも早起きなのに珍しいなと思いつつ、粗相したままになっている衣服を着替えさせ、小屋の中も掃除して清潔に整えた。

 早くしないと冷めちゃうのにと思ったが、穏やかな表情で寝息を立てていたので起こさずに傍で目を覚ますのを待った。


 夕方になり、ニカ爺はゆっくりと目を開いて欠伸をした。

 いつもより血色がよく、元気そうなので安心した。


「いやぁ、寝すぎちまったなぁ。いつもより半日も多く寝ちまった」


 俺が昨日の早朝にでかけてから一日半経過しているのに、まだ半日しか経過していないと勘違いしているらしい。


「ニカ爺、今日は大漁だったからご馳走を買ってきたよ」


「あぁ、いい香りじゃ。香ばしい香りが食欲をそそるのう。久々にちゃんと食えそうじゃ」


 気持ち悪さと体力低下で食が細くなり、すっかり痩せ細っていたニカ爺が久々に食欲を見せ、美味いのう美味いのうと満面の笑みで食べてくれたので、買ってよかったと心から思った。


「焦らなくても大丈夫だからね?これが人生最後にはならないんだから」


「それはどうじゃろう?ワシは、そう長くないぞ?」


「大丈夫、たくさん働いてたくさん稼いで、そのうち毎日でも食べさせてあげられるようになるから、それまで待ってて!」


「まぁ、ウナギが毎日食えるって言うなら、期待せずに待っててやらんこともないか。あ、デザートのプリンもついでに宜しく頼んだぞ」


「分かった!俺に任せておいて!俺、頑張るから」


「んじゃあついでにビールと日本酒も宜しく頼むぞ」


「強欲だなぁ。あ、そろそろ桜が見頃なんだ。今度一緒に行こうよ」


「そうじゃのう。桜、久々に見られるといいなぁ」


「大丈夫、来週でも間に合うから仕事終わったら一緒に行こう」


「あぁ。楽しみに待っておるぞ」


 久々に一緒に食べる食事。

 久々の他愛のない会話。

 久々の笑顔。

 この時間が、いつまでも、いつまでも続けばいいのに。

 俺は願った。


 桜の見頃はピークを迎え、あと数日もすれば散り始めるだろう。

 ニカ爺と桜を見に行くことを約束した。


 ―――しかし、この約束が果たされることはなかった

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