第8話 俺の名前と日課

 小屋を出発してから3時間ぐらい経った気がする。

 実際は30分程度だとは思うが色々あったせいで、そう感じるほどすげー疲れた。


 朝から何も食べていないし、慣れない身体、慣れない環境、言葉の通じない環境、変な臭いの服とジャブジャブ池になっている靴にいい加減イライラしてきた。

 歩くたびに水分を含んだ靴がジュー、ピャー、ジュー、ピャーと変な音を立てていて気分が悪い。

 かといって、歩き続けていないと変な臭いが自分の周辺にまとわりつくので、歩みを止めることも出来ない。

 あー、イライラする。


 再びそんな俺の様子を察したニカ爺は、急に色々と指をさしたり、ジェスチャーをしながら短い言葉を発し始めた。

 あー、これは『俺に言葉を覚えさせようのコーナー』ね!OK、理解。


 地面を指さしながら『どうろ』

 手足を左右に動かし『あるく』

 自分を指さし『ワシ』

 俺を指さし『…』


 ニカ爺は急に立ち止まり、俺の顔を見ながらうーんと考え込んでいる。

 そういえば、俺は自分の名前を名乗っていないし、ニカ爺を『ニカ爺』と声に出して呼んだこともない。

 ワシさんという名前なのか、初めて知った。まぁ呼ばないけど。


 俺は、伝わるか分からないが自分の名前は『オークロードの暴虐王マンヴァイオキングマン』だと自分を指さしながら声に出して伝えてみた。


「お、く、…あん」


「お"ぉ、ぐの、mあん」


「ごぉぐ、ぐmぁん」


 やはり、うまく伝えることが出来ない。

 しかし、必死に伝えようとする俺のことを笑ったりせず、ニカ爺は真剣な眼差しで意図を汲み取ろうとしてくれた。とても嬉しかった。

 俺の方が少々諦めかけた時、ニカ爺は何かぱっと閃いたらしく、改めて俺を指をさしながら言葉を口にした。


『ゴブさん!』


 うーん。やっぱり意思疎通はまだ叶わないみたいだ。

 彼なりに俺の言葉を聞き取り、そして俺の容姿から導き出した結果、ゴブさんという命名になったのだろう。

 納得納得という様子で顎に手を当てながら何度も深く頷いている。

 どういう意味を指す名前なのか理解できないが、俺も勝手にニカ爺呼ばわりしている以上、贅沢は言っていられない。

 お互いに名前を呼び合えるようになれるのは、とても大きな一歩だ。


『ゴブさん』


「ミカ兄ぃ」


『ゴ、ブ、さん』


「イカ痔ぃ」


『ゴーブーさんっ(はぁと)』


「三日痔ぃ」


『ゴブさん』


「ニカ爺」


『Yeahhh---!!!』

「Huuuu---!!!」


 すかさずハイタッチからのぶつかり合うかような強烈なハグ。

 やはりどこの世界でも共通だ。


 途中、お互いにイラッとした瞬間があった気がするが、気のせいだろう。

 ひとまずこれで互いにコミュニケーションがとりやすくなった。

 再び歩き出し、色々な言葉を教えてもらいながら先へ進んだ。


 言葉を知るということは、とても楽しいことだ。

 見て、聞いて、話す。小さな子供に戻ったみたいな気持ちになった。

 自分の幼少期を思い出して俺は少しセンチメンタルな気持ちになったが、考えたところで時間も、場所も、出来事も戻すことは出来ない。


 今は、この先ちゃんと生きていけるのか。過去よりも明日よりも今日のメシ!

 とにかく、今日1日を無事に生き延びることが重要だ。自分の見た目がどうなっているかも分からないし、どこに向かっているのかも分からない。


 それよりも…俺の中でうっすら疑惑が浮上しているのだが、もしかするとニカ爺は貴族ではなく、ただの小汚いジジイなのでは?歯少ないし茶色いし。

 もしそうだった場合、メシの確保が最優先になる。この歯抜けジジイは狩り場にでも向かっているのだろうか。


 言葉を教わりながら、ぼんやりと考え事をし始めて5分ほど経過した。

 石の階段を上ったかと思うとすぐに降り、ニカ爺が立ち止まって指をさした。

 どうやら目的地に着いたらしい。


 ここは…住民街なのだろうか?大きくて堅牢な建物がひしめき合っている。

 おぉーーー!!!これは…俺の人生、大逆転なのでは!?

 この中のどれかがニカ爺の本邸、もしくはこの建物全部がニカ爺の手下の家で、ニカ爺…あっ、ニカ卿の本邸はこのずっと奥にバカでかいのがある…とか!?


 もし、ニカ爺がニキャ卿…じゃなくてニカ卿だったら、俺は全然下っ端でいいからどれか一つ建物を貰ってここに住もう!一人なら気楽だし、テキトーにハイハイ言って働きつつ、狩りをしてメシを食おう。


 うん、それができるなら元の世界に戻らなくてもいいし、コブンのこともどうでもいいし、トレ…名前なんだったっけ?それに勇者には逆に感謝しちゃうかも。

 いやぁ、俺ってば人生大勝利じゃね!?


 そんなことを考えてニヤニヤしていると、ニカ爺は軽く周囲を見渡してから静かに目を閉じた。

 お、これは手下共に招集命令を出すのでは…?ワクワク。

 威厳のあるニカ卿のお姿、早く見てみたいッス!俺は姿勢を正してかしこまった。


 待つこと10秒。目を閉じたままピクリとも動かない。耳を澄ましている?

 待つこと20秒。目を閉じたままピクリとも動かない。精神統一?

 待つこと30秒。目を閉じたままピクリとも動かない。あ、テレパシー的なやつ?


 待つこと60秒。だいぶ不安になってきたところで、ニカ卿は急にガッと目を見開き、素早く動き出した。従来の3倍の機敏さだ。心なしか姿が赤色に見える。

 あまりの速さに一瞬で視界から外れたと思っていたら、次の瞬間にはもう俺の目の前に立ってご自慢のニカッ!という笑顔で俺の目の前に何かを掲げている。

 袋を持っているということは…あ、もしかしたら今、狩りをしてた感じ?はえー。


『空き缶』


「アカン?」


 俺はまだうまく発音できていないが、どうやらアカンという生き物を捕まえたらしい。カラカラという鳴き声を発している。聞いたことがない鳴き声だ。

 ニカ卿が袋の口を開いて中身を見せてくれた。え、大丈夫なん?逃げ出さないのか?

 逃げる前に素早く確認して覚えなければと思い、俺は急いで中身を見ると…ん?これ、生き物というより…筒型の容器?


 大体同じ大きさだけど太さや色が異なっている。ニカ卿はドヤ顔で俺に見せつけてくる。数にしておよそ10匹。というより10個かな?

 良く分からないけど、ニカ卿にとってこれは集める対象のようだ。食べられそうにないけど、これはお金か何かなのか?


『ゴブさんも 空き缶 集めて』


 ニカ卿はもう一枚持っていた大きな袋を俺に手渡すと、アカンを集めてこの袋に入れるようジェスチャーで伝えた。

 あ、これはニカ卿じゃなくアカンジジイってことね。OK、理解。

 アカンジジイと俺は住民街を奥へと進んでいった。


 住民街には建物の近くに石でできた太い柱がたくさん立っていた。

 その柱の傍には格子状のカゴがいくつか並んでいて、そのカゴの中にアカンがたまに入っている。

 アカンジジイはそれを順番に確認し、アカンを片っ端から袋に集めていた。

 これは…誰かが集めて保管しているものではないのか?

 勝手に持って行っていいものなのだろうか?


 俺の感じた疑問を言葉にして伝えることは難しい。しかし、この疑問はあっさりと解決された。

 時折、別の人間が建物から出てきたり、別の道から現れるたび、アカンジジイはビクッとして普通の通行人を装っていた。


 別の人間から寄せられている冷たい視線、ゴミを見るかのような蔑まれた視線。

 うん、間違いなくクロだ。アカンジジイ改めアカンパクリクソジジイですね。略してアパクソと命名しよう。


 あー、さっき目を閉じてたのは周囲の気配を耳で確かめてたってことね。

 従来の3倍の機敏さで動き、赤色に見えていたのは、犯行時間を短くするため、そして恥ずかしい行為を自覚しているが故に赤面していたからだったのね。OK、理解。ただの小心者アパクソだったんだコイツ。


 つい3分ほど前まではニカ卿として崇拝する対象であった人間が、今となってはただの小汚い小心者アパクソだと理解した俺は、とても複雑な気分になった。

 俺は曲がったことが許せないタイプのオークだったし、そんなことをする奴は総じて悪人だと決めつけていたこともあり、ニカ爺のようなウザいけど心優しい人間がそんなことをしている現場を目の当たりにして、正直ショックだった。


 きっと、何か事情があるのかもしれないし、こんなことをしないと生きていけないほどこの世界は厳しいのかもしれない。うーん。

 今は考えたところで何も分からない。理由を聞こうにも言葉にできなければ、どうしようもないのだ。


 俺は少し悩んだが、自分の常識を押し付けたり、一方的な決めつけで相手を断罪するような行為は良くないと思い、ひとまず判断を先送りすることにした。

 それに、一宿一飯の恩もあるし、ニカ爺が俺に後ろめたい行為を笑顔で手伝うよう促すとは思えない。だから、俺は素直に手伝うことにした。

 これはやらされているのではない。自分の意志でやっているのだ。


 ―――どうせやるなら、何事も楽しんでやらなきゃ。


 そう思った俺は、ニカ爺と競うかのように『アカン』こと空き缶集めを開始した。

 俺がテキパキと空き缶集めを開始したことに気が付いたニカ爺は、ワシに勝つには10年早いわという貫禄を醸し出しつつ、涼しい顔をしながら踊るように空き缶を集め始めた。

 俺も負けじと住民街を走り回ってせっせと空き缶を集めた。


 お互い別方向へ進み、せっせと空き缶を袋へ放り込んでいく。

 ここのカゴは空っぽ。ここのカゴには…12個もある!やったぜ!

 もう来た道なんて、覚えちゃいない。カゴからカゴへ縦横無尽に駆け回る。


 たまに曲がり角でばったり出くわすと、お互いに成果を確かめ合う。

 片方がドヤ顔し、片方が悔しがる。そしてまた走り出す。

 もう周囲の目なんて気にならない。とにかく、楽しかった。

 言葉を交わさずとも伝わる思い。すごく嬉しかった。


 それから約1時間が経過した頃、お互いの袋が空き缶でパンパンになったところで試合終了。ベテランvs新人。結果は言うまでもない。


 ―――俺の圧勝だった。


 確かに最初の20分ぐらいはいい勝負だった。ニカ爺は経験の差を活かして空き缶が大量にある可能性が高いところから攻めていったので、俺は苦戦を強いられた。

 だけど、俺は体力には自信があったから、とにかく走り回ってコツコツ稼いだので、30分経つ頃には袋はパンパンになっていた。


 ヒィヒィ言いながら合流したニカ爺は不満そうな顔で、今日は調子が悪かった的な言葉を発して言い訳していたっぽいが勝負は勝負、負けは負けなので、俺はドヤ顔でニカ爺の肩にポンっと手を置いたらメッチャキレられた。

 まぁ、とはいえ体力差によるハンデは大きかっただろうし、必死に頑張って疲れているっぽいから、俺はニカ爺の代わりに袋を持ってあげることにした。


 2人で並んで壁沿いに座って一休みした後、ニカ爺は小屋に戻るぞという感じのジェスチャーをしたので、素直に従って帰宅することにした。

 あれ、そういえばメシはまだッスか?


 再び40分ぐらいの道のりを言葉を教わりながら空き缶を担いで歩き、やっとの思いで帰宅したと思ったら、休むことなく次の作業が始まった。

 あれ、もうメシにしても良くない?朝メシ抜きで昼メシを豪勢にする派なのかな?


 まぁ、仕方ない。

 確かに腹は減っているが、働かざるオーク食うべからず。という言葉もあるし、一通りの手順を見るまで我慢しよう。

 俺は少しだけワクワクしながらニカ爺のことを見ていた。

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