第7話 ラップバトルと俺の銃口
この世界で迎えた初めての朝。
それは、目覚めのドロップキックを喰らって起きるという忘れようにも忘れられない思い出の朝でもある。
まずは朝食なのか?それとも着替えたり顔を洗うのか?
俺はニカ爺を信じて仲間になると決めた以上、まずは彼の日課を知る必要がある。
昨晩はごちそうスープだったことから、ニカ爺はきっと貴族か何かに違いない。
これは朝食にも期待できそうだ…!
俺の腹がグーグーと鳴って、朝食はまだか?と騒ぎ立てている。
それに気が付いたニカ爺であったが、ただニヤニヤしているだけで、大して気にするそぶりを見せなかった。
そうか、そうくるのか。つまりは身支度が先ということだな?
ニカ爺の行動を黙って見ている俺を全然気にする様子がないニカ爺は、軽く柔軟運動をしたかと思うと、身支度をすることもなくやたらデカい袋を持ち、ついてこいと言わんばかりの仕草をして歩き出した。
ほぅ、やはり自宅は別にあるのか。きっと、こんな小汚い便所みたいな小屋で寝泊まりしていたのは、俺みたいな得体のしれない奴を見張るためだったに違いない。
危険を顧みずに貴族という身分を隠し、あえて汚い身なりを纏い、あえて汚い小屋で過ごしているなんて、なんと素晴らしいことなんだろうか!
ニカ爺は貴族の鑑だ!今日からニカ爺あらため『ニカ卿』と呼ばせて頂こう!
あぁ、素晴らしきニカ卿
あぁ、誇り高きニキャ卿、
あぁ、わが師のにきゃきょー
…呼びづらすぎて舌噛んだわ。やっぱニカ爺でいいや。
俺は、腹が減り過ぎて歩く死体と化した身体でトボトボとニカ爺の後ろを追って歩き出した。
ふと、周囲を見渡してみると、昨夜は暗くてよく分からなかったが、ニカ爺の小屋は大きな川に面した草原にひっそりと建てられていた。
反対側に目を向けると、そこには平らに綺麗に慣らされた頑丈そうな道が長く続いていて、その道を走っている人間や、硬そうな2つの輪っかを使って凄い速さで駆けている人間もいた。
周囲をもっと遠くまで観察してみると、大きな橋の上を同じように輪っかのついた大きな荷車のようなものが行列をなして駆けている。
見るもの全てが初めてで、不思議なものばかりで。
俺は人間達のあまりの技術力の高さに関心したのではなく、純粋に戦慄した。
その場で一歩も動けなくなり、恐怖で全身が震え出した。
人間の姿をしていない俺のことを見つけたら、のほほんとした雰囲気で杖をついているあの老人ですら俺のことをあっさり瞬殺できるだけの力を秘めているのではないか?と思うと、今すぐ逃げなくてはという感情に支配された。
俺は、怖すぎたせいで自然と右手が俺の口元を覆っていた。
その場に立ち尽くして上下左右に大きく震えている歩く死体は、傍から見れば相当異形な生物に見えるだろう。
何気なく俺のことを振り返ったニカ爺は、俺の異常な行動に腰を抜かし…と思ったが、急に対抗し始めた。
―――突如始まった薄暗い草原でのラップバトル。
ニカ爺は右手の拳を口元に添え、キレッキレの動きでステップを踏みながら呪文めいた言葉を濁流の如く俺に浴びせてくる。
『ワシにBEEF仕掛けるなんていい度胸、自分でBEAT刻むお前いい兆候~♪』
『だけどワシには課せられたキツイ労働、お前もワシを見習って労働 you know?』
何を言っているのかサッパリ分からなかったが、気が付いたら俺の震えは収まっていた。
ニカ爺はそんな俺を見てニヒルな笑みを浮かべながらキメポーズをしていた。
互いに言葉を発することなく、微動だにすることなく見つめ合ったまま10秒。
ニカ爺は何事もなかったかのように再び俺に背を向けて歩き出した。
―――なんだこれ?
よく分からない時間を過ごしたせいで、恐怖心はどこへやら。
感謝…でいいんだよな?呪われたわけじゃないよな?まぁ、どっちでもいいや。
少し開いた距離を早足で詰め、そのまま平らに綺麗に慣らされた頑丈な道を歩くことおよそ15分。
…どこまで行くん?本邸はどこ?メシは?そろそろ便所に行きたいんだが。
再びソワソワと落ち着きのなくなった俺を見て、ニカ爺は察してくれたのであろう、急に針路を90度右に変えて再び背の高い草むらに入った。
急なフェイントに驚いて少し出遅れた俺は、見失わないようにと急いで草むらに入ったが、すぐに立ち止まっていたニカ爺の背中にぶつかり、タックルをかます形になってしまった。
『おい、テメェ何晒してくれとんのじゃボケェ!!!』
「?」
俺に向き直って何故か激怒しているニカ爺。
ぽかーんとした表情で立ち尽くす俺だったが、じんわりと温まってきた膝下に違和感を覚えて自分の足元に視線を移すと、見事な放物線を描いている水源が見えた。
その発信源を視線で辿って行くと…
「WTF !!」
ニカ爺から放たれているソレは俺の膝下をめがけ、両手で正確に狙い澄まして撃ち抜き続けていた。
状況を理解するのに要したのはおよそ5秒。ようやく俺が左に避けた時にはもう既にタンクが空になっていたようで。
銃口を収めたニカ爺は、プンスカとご立腹の様子で俺のタックルによって誤射した自分の足元を素手で払うと、その手を俺の胸のあたりで拭った。
俺は、視線をニカ爺の顔と自分の胸元で何度も往復し、必死に状況を理解するのに再び5秒ほど要した。
え、貴族なのに草むらで用を足すん?ってか、何で俺に向かって放水?
あー、俺がタックルかましたせいで貯水池に突っ込んでしまったのか。
それに激怒して向き直ったはいいが、放水が止まらず俺の靴が貯水池になったわけね。OK、理解。
とりあえず青空放水ジジイは1回死んどk―――って、靴?
俺、なんで靴なんて履いてるんだ?
俺は今更気が付いた。自分が人間の衣服を身に着けていることに。
は?ってか、俺の身体、人間と同じになってる?
急いで自分の容姿を確認しようと思い、自分の姿を映し出せるものを探そうと周囲を見渡したが、こんな草原にあるわけがない。
だけど、今すぐ確認したい。俺は、ある秘策を思いついた。
プンスカ放水ジジイのことなどどうでも良くなっていた俺は、ジャブジャブの靴を気にすることなく何歩か横移動すると、急いで放水作業を開始した。
早く、早く、早く確認したい!
息を止め、水圧を最大限まで高めた放物線は、まるでレーザー兵器のような勢いで貯水池に注ぎ込まれている。
その勢いを目の当たりにしたニカ爺が目を丸くして凝視しているが、今はそんなこと気にしている場合ではない(パート1)。
放水作業を終えた俺は、銃口を収めないまま急いで貯水池めがけて全力土下座スタイルで顔面を近づけた。
その勢いを目の当たりにしたニカ爺が目を丸くして凝視しているが、今はそんなこと気にしている場合ではない(パート2)。
あぁ、ダメだ、地面に浸透しているから自分の顔を確認できない。
自分の顔面を極限まで近づけてみたが、どうにもならなかった。
息を止めていた反動で、ハァハァと呼吸が荒くなってしまっていた俺は、時折自分の唾を飲み込みながらそのままの体勢で息を整えた。
その勢いを目の当たりにしたニカ爺が目を丸くして凝視しているが、今はそんなこと気にしている場合ではない(パート3)。
必死だった俺は知る由もないけど、ニカ爺から見た俺は、放水したばかりのアレに向かって顔面ダイブ、そしてアレを必死に啜っているように見えていたようで、3度にわたって繰り返された俺の奇行を目の当たりにしたニカ爺はそれ以降、俺との距離感を3倍近く広げてきた。
うん、きっと俺との距離が離れたのは、俺の靴がジャブジャブ池になっているからだよね。うん、そうに違いない!自分のアレで俺をこんな姿にしておいて、本当に酷いよなぁニカ爺ってばよぉ!
貯水池となった草むらをあとにした俺とニカ爺は、再び平らに綺麗に慣らされた頑丈な道を他人の距離感で歩き出した。
俺が歩きながらしきりに胸元、顔、肩や太ももを何度も繰り返し触りまくっている様子を見ていたニカ爺は、自分が俺の胸元に擦りつけたアレの臭いを俺が全身に塗り広げているのだと思ったのだろう、更に距離感を広げて俺から逃げるように先を急ぎだした。
俺も遅れをとるまいと、小走りでニカ爺を追いかけると、ニカ爺は更に速度を上げて小走りになった。
俺も遅れをとるまいと、更に小走りでニカ爺を追いかけると、ニカ爺は更に更に速度を上げて走り出した。
俺も遅れをとるまいと、更に更に走ってニカ爺を追いかけると、ニカ爺は更に更に更に速度を上げて全力疾走した。
俺も遅れを…(略) くどいわ。
『ゼェゼェ、ハァハァ』
「ふぅ、やっと追いついた」
ヒーヒー喉を鳴らして倒れ込んでいるニカ爺を見て、さすがに老人に対して悪いことをしたなと思った俺は、水を飲ませてやろうと思い、再び草むらに入り、通り抜けた先の川で両手で水をすくってニカ爺に届けた。
少しは役に立たないと。そう思って零れ落ちないうちに届けようと走ってニカ爺のもとへと駆け寄ったが、ニカ爺はそんな俺の姿を見て、もう勘弁してくれ…と言わんばかりに四つん這いで何歩か進んだ後、白目をむいて力尽きた。
最初は何故なのか理由が分からなかったが、ニカ爺が飲まないなら仕方ない。
俺はニカ爺の傍に立ったまま、自分で飲んでから再びニカ爺の様子を確認しようと視線を足元へ移すと…あ、銃口をしまい忘れていた。
その瞬間、この一連の凶悪事件の犯人が自分だということに気付いた。
―――事件の全貌はこうだ。
被害者男性は、奇行を繰り返しながら追いかけてくる犯人から全力で逃げたが、体力の限界を迎えて倒れ込んだ。
被害者男性を追い詰めた犯人は、被害者にとどめを刺すべく、草むらへと立ち入り、自らの貯水タンクから凶器を取り出し、再び被害者へと詰め寄った。
むき出しの銃口、両手いっぱいの
また、犯行動機も明確である。
犯人は先ほど、
それを逆恨みし、激高のあまり奇行を繰り返し、執拗に追い回した犯人の殺意は行動の異様さからも並々ならぬものだったと考えられる。
その結果、同じ方法を用いて被害者男性に対し凶行に至ったことは、犯行の手口からも犯行動機が逆恨みであることを証明している。
よって、犯人は俺であることは間違いない。Q.E.D
―――なんだこれ。
まぁ、そんなこんなありながら、意識を取り戻したニカ爺と俺は、昇り出した太陽に向かって、まだ見ぬどこかへと歩き出した。
その背中から伸びる長い長い2つの影。それはまるで2人がこれから魔王を倒しに魔王城へ向かう勇者のように強くて逞しい姿を際立たせているのであった。
んで、結局のところ俺達は、この物語はどこに向かっているんだ?
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