第6話 幕間 -ニカ爺-

 やあやあ皆さん、ご機嫌麗しゅう。

 幕間まくあいの初回はワシが担当にすることになった。

 誠に光栄なことじゃ。宜しくな。


 おっと、自己紹介がまだだったな。

 ワシの名前はニカ爺こと大田久嗣おおたひさつぐ、年は60で職業はプロ収集家空き缶拾いじゃ。

 今回はワシの輝かしい人生(大嘘)のほんの一部を紹介しようと思う。


 若い頃のワシは、いわゆるモーレツ社員として証券会社でバリバリ働いておったんじゃが、ある事件をきっかけに50歳の時に職場を追われちまってのぅ。

 妻は置手紙も残さず出て行ったまま音信不通、残されたのはローンが15年残っているマイホームと15歳の一人息子だけじゃった。

 いやぁもう人生って何が起こるか分からんもんじゃなマジで。


 最初の頃はそりゃぁ、よくあるメロドラマみたく必死に工事現場や交通整理、深夜の倉庫で搬入搬出、新聞配達に内職まで一通り思いつくことは全力尽くして必死に働いたさ。

 息子の前じゃ強がっておったけど、頭はクラクラ腕パンパン、腰はバキバキ足はプルップルで正直、立っているのがやっとという日も数えきれんほどあったのぉ。


 まぁそれにワシみたく、妻に家庭を任せっきりだった仕事人間が突然、ロクにまともな会話すらしてこなかった息子を育てながら肉体労働するにも限界ってもんがあるのは言うまでもないわなぁ。


 とはいえ、厳しい受験戦争を無事に乗り越えて、通いたい進学校に通っている息子に対して、金を理由に転校させることだけは絶対にさせたくなかったから、ワシは熱が出ようと骨折してようと構わず全力で働いたんじゃ。

 妻に似て真面目で優しくて、誰からも好かれる好青年に育った自慢の息子。

 

『親父のために俺もバイトして生活費入れるよ』


 何度もそう言ったくれた息子に対してワシは、絶対に金の心配はさせたくなくて、勉強に集中させたかったから、ワシは絶対にアルバイトはさせなかった。

 じゃが、息子は『俺だって家族の一員だろ?強がってんじゃねーぞ、親父のクセに』なんてぶっきらぼうな言い方で生活費を入れてくれるようになったんじゃ。

 密かにクラスの友達の親と交渉して、友達の妹の家庭教師をしていたそうじゃ。


 本っ当に嬉しくってよぉ、情けなくってよぉ。

 あまりにも息子に申し訳なくて、それと同時に息子の成長が嬉しくってなぁ。

 感情がぐちゃぐちゃになっちまって、ほんの一瞬、ほんの一瞬だけ張りつめていた緊張の糸みたいなもんが緩んじまったんじゃ。

 いわゆる、ってやつだったんじゃろうなぁ。


 一杯だけ、カップ酒を飲んじまったのさ。

 会社をクビになった時点で酒もタバコもギャンブルも一切やめてたんじゃが…

 その一杯がワシと息子の運命を大きく変えちまったんだ。

 悔やんでも悔やみきれない。この出来事がワシの人生で一番の汚点じゃ。



 ―――あれは特別暑い日じゃった。交通整理を終えた帰り道、朝方の河川敷。



 ワシはコンビニで買ったカップ酒を一人、土手の斜面に腰掛けて川面を眺めながらグイっと疲れた身体に流し込んだんじゃ。

 この時の一杯は一生忘れることはない。人生で一番身体に染みた酒じゃった。

 川面はキラキラ輝いていて、朝方の涼しい風が気持ちよくて。

 酒を口に含むたびに川面には昔の思い出の景色が広がってきて。


 幼い息子と妻とワシの3人で公園ピクニック。サンドイッチを頬張る息子と水筒からお茶を注ぐ妻の優しい笑顔。

 念願のマイホームを前に3人で記念撮影したあの日の高揚感と幸福感。

 偶然、息子が彼女らしき子との手つなぎデートを目撃した時の妻の表情。

 どれもこれも全部大切で、輝いていて、幸せで。


 ワシは久々の酒と疲労、眠気と河川敷の心地よさもあって気が付いたら相当酔っちまっていたんじゃ。

 そこからの記憶がぷっつり途切れていてなぁ。気が付いたら全身痣だらけで知らない天井を見つめていたんじゃ。

 そこは、今風に言うところの『〇〇しないと出られない部屋』ってやつじゃった。

 いや、正確に言うならば『〇〇しても出られない部屋』なんじゃが…

 まぁ、要するに『留置場』ってことじゃ。


 近くの看守に声をかけて事情を聞いたところによると、あの後ワシは泥酔状態で

 コンビニに再来店、酒をしこたま買い込んで、そのまま店前で面識のない汚ったねぇジジイ共と宴会してバカ騒ぎ、そのままパチンコに開店突撃、息子に渡された生活費も全部失った挙句に激高して店内で暴れ回って店員に暴力行為を働いた上に失禁。そして今に至るってわけよ。


 どう考えてもワシが悪いわなぁ。情状酌量の余地なし。

 本気で今すぐ死にたいと思ったね。万一の時のためにと慎重派だった妻がワシに多めに生命保険をかけていたし、家のローンもワシが死ねばチャラになる。

 つまり、ワシが死ねば息子はこれ以上迷惑被ることもないし、ある程度まとまった金と家が残るから、よっぽどバカなことをしない限りは人並みの人生を送れるわけで。


 だから、ここを出たらすぐに人生の後片付けをして、イイ感じに事故死に見せかけて死のうと思ったんじゃ。

 どうせこんなロクでもない親父には息子も失望しているだろうし、二度と口もきいてもらえんじゃろ。


 それでもいい。それでいい。それがいい。

 

 その日の夕方ごろ、ワシは看守に呼ばれて留置場を出ることになった。

 つまりそれはワシの代わりに誰かが尻ぬぐいをしてくれたわけで。

 数年ぶりの妻との再会。こんなきったねえ愚か者を見てどんな言葉をかけてくるのじゃろうか。


 今さらバツの悪そうな表情をしてしおらしく反省の態度を示すか?

 それとも、わざとヘラヘラした表情をして完全に見限ってもらうべきか?

 …合わせる顔がないというのはこういう時のことを言うんじゃろうなぁ。


 考えがまとまらずにいたワシは、俯いたまま警察官の誘導に従って警察署を出ると、目の前にいたのは予想していた人物とは別の人物じゃった。


 『母さんなら、連絡したけど来ないってよ。逆に金をせびられたよ』


「…」


 これが息子との最後の会話、そして最後の瞬間になっちまった。

 そこに居たのは、昨日とはまるで別人のような冷たい目つきをした息子じゃった。

 汚れてボロボロの制服姿の息子。左頬が赤く腫れている息子。

 今さら説明するまでもない。

 息子は朝からちゃんと登校しておったから慌てて早退、ワシの代わりに迷惑をかけたコンビニやパチンコ店に謝罪して回っていたんじゃ。


 ワシに生活費を渡した直後の息子は詫びの品を買うことも出来ず、仕方なくその身一つで土下座して回るしかなかったんじゃ。

 その中できっと『進学校に通う金持ちのクセして』とか、散々嫌味も言われただろうし『謝って済むと思ってんのか?』とか言われて何発か殴られるようなこともあったんじゃろうことは言葉にするまでもなく左頬が語っておった。


 息子はワシに目もくれず、そのまま一人で先に歩き出してしまった。

 ワシは、動けないまま息子の背中をただ見つめることしかできなかった。


 翌日の昼頃、近所の公園で一夜を明かしたワシは、息子が学校に行っているタイミングを見計らって帰宅して急いで荷物をまとめた。

 もう温もりのかけらもないリビングの冷たいテーブルの上に通帳と印鑑、売れそうな腕時計や貴金属、商品券なんかを置いて家をあとにした。

 そんな様子をリビングの中身のない写真立てだけが寂しそうに見つめておった。


 まぁ、それからワシは数日かけてどうやって死のうか考えた末、職場の人間には申し訳ないが、『工事現場での事故死』という形で死のうと決めたんじゃ。

 最初は勢いで道路に飛び出そうと思って何度か試そうとしたんじゃが、どうしても3歩目から先に足が進まず無理じゃった。

 それに一般道を走っている程度の速度で確実に死ねるか微妙だったし、もし相手の車が任意保険に未加入だったら払うもん払いきれずに終わって無駄死にになるかもしれん。


 じゃから、工事現場の高所作業中に足を滑らせて転落死という形を選んだんじゃ。

 足を滑らせるだけならたったの1歩で済むじゃろう?それに、一度落ちてしまえばいくら願っても途中で引き返すことが出来ないから確実に逝けるからのぅ。



 ―――家を出てからちょうど10日目。ついに自殺を決行する日が来おった。



 まぁ、ワシが今こうして語っている時点で結果は分かっていると思うが、それは失敗に終わったんじゃ。

 同じ職場の我那覇がなはさんというみんなから頼られている先輩がおってな、苗字の印象と同じように恰幅が良くて、豪快にガハハと笑う人じゃった。

 その我那覇さんが決行日、朝からワシの様子がおかしいことに気付いておったようで、ずっと気にしてくれていたようなんじゃ。


 その時のワシは死ぬことで頭がいっぱいで、明らかに挙動不審だったことに自覚がなかったせいですごく分かりやすかったと、後から聞かされたりもしたのぅ。

 だから、ワシが周囲の目を盗んで安全帯を外して飛び降りようとしたのを、すかさず身を挺して阻止してくれたんじゃ。


 誰かに気付かれたら働けなくなるぞ。と一言だけ言って、そのまま何事もなかったように自分の持ち場に戻って行ったんじゃ。

 ワシから事情を聞き出そうとしたり、監督に報告することもなかった。

 その日の帰り道、放心状態だったワシをさり気なくメシに誘ってくれたのは本当に嬉しかった。

 そう、この瞬間ワシは間違いなく嬉しいと心から思ってしまったんじゃ。

情けないもんじゃ。心のどこかでだなんて思っていた証拠じゃ。


 我那覇さんは我那覇さんで、事情は教えてくれなかったが自分の家庭から離れて一人でボロアパートに住んでおった。

 確か、ワシの息子と同じ年ぐらいの息子さんがいることだけは風の噂で聞いたことがあったような。

 ワシは我那覇さんの自宅に案内されると、何か元気の出るようなメシでも作ってくれているのかと思ってワクワクしていたんじゃが、出てきたのは一杯の味噌汁じゃった。


 こんな言い方をしたら失礼極まりないんじゃが、ここ数日何も食べていなかったワシは、台所から漂ってくる美味しそうな匂いで急に腹ペコになっていたもんだから、まさか味噌汁一杯だけとは思わなくて、きっと食卓に出された一杯の味噌汁を見た時の表情は酷いもんだったのだろうと、今となっては申し訳なく思う。


 具材は小さく賽の目にカットされた豆腐と、申し訳程度に漂う薄っぺらいワカメ。

 そして、アクセントに刻んだ青ネギを少々。

 我那覇さんとワシとで向かい合った状態、裸電球に照らされた小さなちゃぶ台を囲んでそれぞれ一杯の味噌汁を無言で啜った。


 『ズズズーッ、ぷはぁ』

 「ズズズーッ、ぷはぁ」


 ―――すげぇ、うまい。

 勝手にワシの頬を伝う温かい一筋の雫。


 ゆっくりと味わいながら、噛みしめながら。

 だけど、頬を伝う涙の滝と同じぐらい勢いよく全身に染みわたらせていく。


 賽の目にカットされた豆腐は、まるで雲のように軟らかくて。

 申し訳程度に漂う薄っぺらいワカメは、噛めば噛むほどうまみが広がって。

 刻んだ青ネギは、ほどよく鼻腔を刺激して飽きを感じさせなくて。

 気が付けばもう容器は空っぽになっていて。


 一緒に見上げた裸電球。

 向かいに座る我那覇さん。

 知らない部屋、知らない空気。

 初めて飲んだこんなに美味い味噌汁。

 ワシは、今日のことを一生忘れることはなじゃだろう。


 ―――ありがとう。我那覇さん。


 出会った人間があなたでなければきっと私は躊躇いもなく死んでいたでしょう。

 出会った人間があなたでなければきっと私は誰にも頼れず死んでいたでしょう。


 あなたと出会わなければきっと私は味噌汁がこれほど美味いのだと知ることはなかったでしょう。

 あなたと出会わなければきっと私は味噌汁を好んで自分から飲むことはなかったでしょう。

 

 心の中でそう呟いていると、そんなことなど知る由もない我那覇さんはガハハと笑ってワシに料理の名前を教えてくれた。


『み そ し る』


 味噌汁を指さし、これは『味噌汁』というスープなのだと教えてくれた。

 ―――そんなこと知っていますよ。と、ワシはそんな野暮なことは言わなかった。

 だってそれは、ワシがそれほどこの味噌汁を、まるで人生で初めて飲むかのように眺め、見つめ、大切そうに、美味しそうに飲んでいたわけなんだから。


 ワシはこの時、固く決心したんじゃ。

 この救われた命、ワシのように困っている誰かのために使っていこうと。


『恩返し』じゃなくて『恩送り』


 恩は返してしまったらそれでおしまい。互いに貸し借りゼロ。

 じゃが、恩は他の誰かへと送って行けば、それは人から人へと繋がり、紡がれる。

 良いことを回していく。それは、いずれ巡り巡って、形を変えて自分のもとへと帰ってくる。

 それが、我那覇さんの故郷に伝わる『ゆいまーる』の精神だと教えてもらった。

『良い回る』という意味。

 本当に素敵な温かい言葉じゃ。


 まぁ、そんなこんなでワシは我那覇さんという命の恩人のお陰で生きているわけで。

 ガハハさん、じゃなくて我那覇さん、今頃何しているんじゃろうか。元気に暮らしているじゃろうか。

 またあの豪快な我那覇という笑い声…じゃなくてガハハという笑い声、聞きたいもんじゃのぅ。


 おっと、昔話に花を咲かせ過ぎたようじゃ。満開を通り越して12分咲きになっておるわ。年寄りの悪い癖が出てしまって申し訳ないのぅ。


 というわけで、そろそろ次の幕が開けそうじゃし、最後に一言だけ。

 これから始まる大田久嗣ことニカ爺とアイツの物語は、苦悩と挫折、絶望と落胆、大小さまざまな苦難に出会うことになる。


 しかし、それをアイツの持ち前の明るさと胆力、そしてワシのキュートでプリティな魅力で華麗に乗り越えていく様を是非、最後まで見届けて欲しい。

 最後は必ずハッピーエンドが待っているはずじゃ。


 人生にトラブルはつきものじゃが、それを笑いあり、涙あり、感動のエンターテインメントとして届けてみせるから、是非ともチャンネルはそのまま!じゃぞ?


 さぁ、幕開けの時間じゃ。

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