第3話 上に上げて下に下げて
「…#$% …&#”!?」
―――真っ黒な世界がだんだんと色づく。
白銀に輝く満月がまぶしい。
点滅しながら夜空を駆け巡る見慣れぬ星々。
…誰かの顔が俺を覗き込んでいる。
―――無音の世界がだんだんと賑わいを取り戻す。
草木が風に吹かれて揺れる心地よい音。
金属同士のぶつかり合う無機質な音。
…誰かが心配そうな様子で呼びかけている。
―――朦朧とした意識がだんだんと覚醒する。
獣のような臭いとドワーフ族を思わせる伸びた髭と小柄な体型。
思考が巡り、目の前の出来事を脳が勝手に理解し始める。
―――あれから一体、どれだけの時が経ったのだろう。
誰かの声が、聞こえる。
俺の身体が、揺さぶられている。
俺は、生きて、いる?
「…なぁ、俺は、生きて、いるのか?」
「! #$% …&#”!?」
言葉が、分からない。
まだ、完全に意識を取り戻していないからだろうか。
しゃがんでいる相手の肩を借り、上半身だけ起き上がった俺は、深く深呼吸をした。
かなり肌寒く、吐息が白い。
落ち着いたところで、もう一度話しかけてみる。
「ここは、どこなんだ?」
「…¥ %&$ ”&!#」
俺を助けてくれたのであろうこのドワーフと思われる奴は、ホッとした表情で俺を見ている。
相手も言葉が通じない様子を理解したのであろう、心配半分、何かを懐かしむかのような優しい笑顔半分の微妙な表情で「ついておいで」と言わんばかりのジェスチャーをしながら、俺の前を歩き出した。
歩き出したはいいが、まだ足元がふらつく。
まるで、あの時コブンを追いかけて祭壇のある建物を出ようとした時みたいだ。
だんだんと記憶が蘇る。
褒められて、ディスられて、少し怒って、ドヤって、スルーされて…
その後、どうしたんだっけ?
歩きながら一つ一つ丁寧に記憶を辿っていると、急にドンっと壁にぶつかった。
よく見ると、それは壁じゃなくさっきのドワーフと思われる奴だった。
「…&&、#&%’*+」
彼は優しい笑顔で一軒の小屋を指さしている。
それは俺の腰より少し高い草むらの向こう側、およそ15メートルほど先にあった。
寄せ集めの廃材で作ったと思われる小屋は、青や緑の光沢のある生地・茶色い柔軟性のある板のようなもので造られており、出入り口の近くに焚火らしき炎の揺らめきが見えた。
彼は俺に手招きすると、そのまま草むらをかき分けながら小屋へと入って行った。
どうやら、俺を歓迎してくれているらしい。
俺はまだ意識がハッキリしていないこともあり、休めるならばと彼の好意を素直に受け入れることにした。
彼の後を追い、草をかき分けながら歩いていると、ふと思い出したのは無我夢中で駆け抜けた記憶。
草むらを抜け、森の中を重戦車のような勢いで全力疾走した記憶。
目の前にいる彼にぶつかって一時停止していた記憶を掘り返す作業が再び始まる。
―――そうだ、俺はみんなを守るために居住区へ行き、3人の勇者と闘ったんだ。
そして、負けた。
みんなも、コブンも、死んで。
俺も、死んだ。
に ん げ ん が に く い
沸々と蘇る殺意と失望の記憶。
人間をこの手で殺してやると決意した記憶。
腹の底からマグマのように昇り立つ復讐心。
思わずその場に立ち止まると、自然と拳に力が入り、爪が掌に食い込み、今にも血が滲みそうなほど両手が震えていた。
今にも大噴火を起こしそうなほどの復讐心をどうにかこうにか抑え込みながら、彼から遅れをとらないよう再び歩き出そうとしたが、足が空中でピタッと静止した。
俺は、ふと疑問に感じたのだ。
ドワーフって、こんなところに住んでいたか?
ドワーフ族といえば、洞窟や深い森の奥、炭鉱といった人目に付きにくい場所に集団で生活している種族だ。
目の前の小屋も草むらの中にあるとはいえ、屋根は草むらより背が高いし、ここにありますよと言わんばかりに焚火の炎が揺らめいている。
そして何よりドワーフ族の住処にしてはサイズが小さすぎる。2人でも窮屈と感じるであろうサイズ感。
それとも、あれはただの入り口であって、実は地下に広い空間でもあるのか?
その割には見張り役も居ないようだし、違和感を払拭できない。
よく観察してみると、彼の手足はとても細く、パンチ一発で折れてしまいそうなほど頼りない体型をしている。
身に纏っている衣服も見たこともない生地、デザインをしている。
果たして、彼は本当にドワーフなのだろうか?
もしかして、俺を騙そうとしているのではないだろうか?
もしかして、彼は…人間なのではないだろうか?
俺は気付かれぬよう、周囲に気配がないことを確かめる。
近くに落ちていた左手で木の枝をそっと拾う。
それを後ろ手に隠し持つと、今度は右手で握りこぶし程度の岩を掴んだ。
そして、何食わぬ顔で間合いを詰める。
彼は後ろを振り返ることなく、そのまま青い光沢のある生地をめくってやや屈みながら小屋の中に入って行った。
一瞬だけ見えた小屋の中には他に誰も居なかったように見える。
俺は小屋から3メートルほど手前で立ち止まり、少し様子を伺う。
彼が小屋に入ってすぐ、小屋の中が明るく照らされた。
こんな短時間で火おこしができるものだろうか?
ドワーフならば、そんな技術を持ち合わせていても不思議ではないが、その光は青白く、揺らめきもない。俺は少し警戒心を高めた。
しかし、幸いなことに彼の影が青や緑の壁面に浮かび上がり、彼の一挙手一投足が小屋の外からでも視認できる状態になった。やはり他に仲間はいないようだ。
影の動きから察するに、彼は円筒状の何かのフタを開けて中身を確認した後、ガサゴソと何かを探しているようだ。
俺は覚悟を決めると、足音を立てないよう一歩ずつ、ゆっくり、ゆっくりと小屋へ近付く。
小屋まであと2メートル。
まだ何かを探している。
左側の棚を探している。小ぶりな縦のようなものを手にして正面に置いた。
まずは身の安全を確保から。冷静な判断だ。
小屋まであと1メートル。
まだ何かを探している。
今度は右側の床から鞭のような、草の束のようなものを拾い上げて正面に置いた。
拷問器具か毒薬か。俺の巨体を封じて拘束、長期戦に持ち込む算段なのだろう。
小屋の入り口に手をかける。
まだ何かを探している。
どうやら目当ての品を見つけたらしい。それを目線より少し上に掲げ、状態を確認している。
見間違いではない。完全にクロだ。鋭利な何か。
それを見た瞬間、俺は突入すると同時に、彼の頭部めがけて左手の岩を大きく振りかざした。
そう、単純な話だ。
『
ただ、それだけの話だ。
「!!!」
「!!!」
ありったけの殺意を込めて振りかざした俺の左手は彼の目の前、およそ指一本分の距離でピタッと静止した。
何かを思考したわけじゃない。
そんな考える暇など一瞬たりとも無かったはず。
それは相手に反撃のチャンスを与えることになるから。
何か不思議な力が働いたわけじゃない。
これは紛れもなく俺の本能が身体を制御したのだ。
今ならそう冷静に判断できるから。
何か躊躇いがあったわけじゃない。
俺の人間に対する殺意、憎悪、覚悟は間違いなく魂に刻まれている。
だからこそ、死ぬ覚悟をもって殺しに行ったのだから。
目の前にいるのはドワーフではない。やはり人間に違いない。
今の俺は人間を根絶やしにしてやるという気概を持っている。
だから、この目の前にいる人間も殺す相手である。
だけど、この目の前にいる人間は殺す相手ではない。
俺の本能がそう語っている。
何故なら彼は今、突然、村を蹂躙され無残に四肢を切断された仲間達と同じ目をしているからだ。
だから、この目の前にいる人間は奪う側の人間ではない。
だけど、この目の前にいる人間もまた復讐べき人間である。
お互い静止したまま時間だけが過ぎていく。
それはほんの数秒だったかもしれないし、数分だったかもしれない。
俺は拳を降ろし、うなだれた。
そんな俺の様子を見た彼は、まだ凶器を握ったままの俺に対して無謀にも無遠慮に不器用に、不格好な形で目に涙を浮かべながら俺を抱きしめた。
「##%$? …&¥¥、$%:」
言葉は分からない。だけど、それでも分かることがある。
彼は、俺のことを本気で心配し、慰め、優しく包み込もうとしてくれている。
それは、母のような温かさ
それは、父のような安心感
それは、それは…
俺は年甲斐もなく、柄にもなく、ボロボロと大粒の涙をこぼしてすすり泣いた。
とめどなく溢れ出す様々な感情。
それはまるで通り雨。急に現れ、急に去ってゆく。
ほんの少しの間だけ、俺は全ての肩の荷を降ろすことができた。
そして、一度だけ深く深呼吸をしてすぐに落ち着きを取り戻し、彼の肩を掴んだ。
「…本当にすまなかった。ありがとう。」
言葉は通じないが、俺の思いはきっと彼には届いたと思う。
まっすぐ俺の目を見ていた彼は、数本しか残っていない茶色い歯を輝かせながら満面の笑みを浮かべてニカッと笑い返してくれた。
俺は、そんな彼を見て同じくニカッと笑い返した。
よし、今から彼のことを『ニカ爺』と命名する。
ありがとう、ニカ爺。
ごめんね、ニカ爺
これからはよろしく、ニカ爺。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます