第3話

「バカにすんなや。ご飯くらい俺でも炊けるわ」

「おかずはどうすんだよ」

「カレーでいいやろ。レトルトならあっためるだけで簡単やし」

「レトルト……レトルトって……」


 はっと短い笑い声を篠原は出した。はて、レトルトの何がおかしいのだろう。コイツの笑いのツボが、俺には微妙に分からない時がある。


「心配せんでも、夕食ぐらいわたしが作るやん。いつものボルガライスでいいやろ。作って家まで持ってくで」と、優子から期待通りの救いの一手がもたらされた。困ったときの何とやらで、優子ほど有難い存在は他にはない。 


「ボルガライス?」と篠原が怪訝そうな顔を見せた。「そんな料理、聞いたことないなあ。福井のB級グルメか?」

「うん、お母さんに教えてもらったんや。トンカツとハヤシライスを同じ皿に合わせるんよ。甘めのトンカツで、意外に美味しいで」と、優子は鼻を膨らまして得意げに応えた。


 はあ、と篠原は気のない返事を寄越す。どうやらトンカツとハヤシライスという不思議な組み合わせにピンとこないらしい。


 ボルガライスは、ここぞという時に優子が振舞ってくれる渾身の一品、福井県の人気B級グルメだ。トンカツと卵とじのハヤシライスとが同じ器に入っていて、カロリー度外視、食い応え満点のがっつり料理である。腹も膨れるし、甘みと辛みの調和が絶妙で結構旨い。


 優子の手料理には当たり外れがあって、以前作ってくれたソース鰹節おにぎり、これはどうにもダメだった。鰹節がカツにまぶしてある奇妙奇天烈なおにぎりで、甘ったるいソースがたっぷりと鰹節に掛かっていて、ご飯もパサパサと口当たり悪くて、まあ、はっきり言えばマズかった。競技かるたの試合当日に食べて腹を壊した曰くつきのレシピである。差し入れ食って食中毒になったなんて、優子には口を裂けても言えないが。


「トンカツとハヤシライスに卵とじなんて食い合わせが最悪じゃん。そんな妙なもん食うなよ」

 歯に衣着せぬ篠原の一言に優子の目が極限まで吊り上がった。

「失礼やなあ、福井県民に謝って。一度食べてみいや、美味しいんやで。頑張って作ってんのに、妙なもんなんて言わんといての!」

 悪り、言い方マズかったと、篠原は片手を上げてすぐに謝った。

「ま、折角だしさ、なんなら俺が特別に作ってやるよ。今日は店が休みでバイトないから」


 俺と優子が同時に目を丸くした。


「マジか」

「ウソやん、何作るの」

「じいちゃん直伝の手打ち蕎麦」


 おお、とまたもや二人で驚く。

「じいちゃんって……あの『菖蒲庭』のお店の人か」


 うん、と篠原は首を小さく縦に振った。


 菖蒲庭あやめていというのは、あわらの郊外、竹田川添いにあった定食屋だ。揚げたての天ぷらや地元で採れた魚の料理が美味しくて、特に大根おろしが掛けられた手打ちの越前蕎麦は絶品だった。県外からの客もいて、そこそこ流行っており、俺も親に連れられて何度か足を運んだことがある。店主を務めていた篠原の祖父は体を悪くしたとかで、数年前に店を畳んでいた。今は篠原の父が経営する ”Jardin d'irisジャルダン・ディリス” というカフェに姿を変えている。


「菖蒲庭直伝の蕎麦かあ……それは旨そうやなあ」


 程よく弾力のある蕎麦と大根の辛みが俺の頭を駆け巡り、ヨダレが口内に溢れてきて喉仏が上下した。あの味をもう一度味わえるというのならこれほど嬉しいことはない。


「店はもうやってないから、つゆはネット取り寄せのもので悪いけど。でもじいちゃんに蕎麦打ち伝授してもらってるから、上手く作れる自信はあるよ」


 自信満々に篠原は応えた。呆れるくらいに自信たっぷりだが、篠原の台詞に嘘はない。


 調理実習でのコイツの包丁さばきと鍋使いは女子顔負けだし、自分で作るとかいう弁当の彩りは色鮮やかに美しい。野菜や肉やら、何が使われているのか俺にはとんと想像つかないが、冷凍食品でないことだけは確かだ。とにかく毎日違うものが入っていて、一体どんな味がするのだろうと俺は興味津々でいたのだ。


「わ……わたしかって美味しいの作れるし!」と、優子は顔を真っ赤にして言い返した。

「まあ怒んなよ。明石さんの弁当は食ったことがないから知らないけど、俺の作るやつってそこらへんの蕎麦より断然旨いよ。なんなら明石さんも食いにおいで」


 思ってもなかった篠原のお誘いに優子が鼻白んで口を閉じた。


「……しょうがないなあ。折角やし行ってあげるわ」と優子がしおらしく返事すると、満足そうに篠原は頷いた。

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