鏃は星に憧れる②

 さて、と少女は思考を切り替える。

 彼女にも兵士としての矜持とプライペート、楽しみにしている趣味がある。

 重要な任務が目前に迫っているからと言って、やりたいことをやらないつもりはない。

 走破性と空力特性に重きを置いた流線型の具足を鳴らし、一息に立ち上がると、ヘルメットを被り、外側から内側へと螺旋を回し、頭蓋骨へ浅く固定した。

 最後に沈み行く月の行方を追い、夜の闇にぼんやりと浮かび上がる塔を眺めて、ヘルメットの暗視機能や望遠機能のテストを済ませた。

 屋上の淵へ歩んだ。雨樋を挿げ替える形で取り付けられた昇降用の鉄骨材を伝って、勇士の館の最下層へ滑り降りた。

 適度に筋肉のついた腕が、破壊的な負荷により僅かに崩壊しては再生する。映画を見て散々研究した、それなりに格好良い高所からの下り方、その一である。鉄骨を軽く掴み、猛烈に摩擦される準不朽素材のグローブには、降下に伴い相当な摩擦熱が生じたが、壊れたりほつれたりする徴候は皆無。不朽結晶連続体以外では破壊出来ないのが準不朽素材だ。伊達に着け心地が最悪なわけでは無い。


「よっ、と」


 下降が終わる前に、具足の爪先で軽く鉄骨を蹴り、五体を空中に浮かし、重外燃機関と一体化した可動式姿勢制御装置から圧縮蒸気を噴射してふわりと着地する。

 速度を付けたまま落着しても然程の損傷は負わないが、具足が相当うるさい音を出す。他の兵士が出払っているため、今この勇士の館に在駐しているのはバリオスとクサントス、つまりが少女の愛弟子が二人だけだが、年少者への気配りが出来てこその模範的アメリカ人だ。

 もっとも、少女が製造された頃には合衆国は既に無数に分割され、挙げ句の果てには人類文化継承連帯に統合されてしまったので、本当の意味でアメリカ人だった時期など一秒も無いが。


 勇士の館の駐機場にはキッチンカーを停めている。

 すぐ傍には衛兵の装束を着させた不死病患者が佇んでいる。

 古き日の、恩師の残骸だ。

 ダンディと言っても良い、映画俳優のような顔立ち。

 彼が死亡する寸前に、そういう背格好に憧れていたので死後は是非使わせてほしいと依頼したのだった。

 苦笑いしながら好きなようにしなさいと言われたのを覚えている。


「何事も無かったか?」


 返事は当然ない。不死病によって完璧な安寧がもたらされた肉体に、精神活動が自然発生する余地はない。だが、声に応じてどこかで物音が聞こえたように感じて、少女は耳を澄ます。

 気のせいだろうか? 建物が軋む音だったのかもしれない。

 今日も普段と同じように人工脳髄を載せ替えようか寸時迷ったが、状況が状況だった。

 クヌーズオーエ移動販売所の店主としてのロールを楽しんでいるときに、緊急で出動命令が入りかねない。

 素直に趣味に興じられないことに歯がゆさを覚えつつ、今日は一日ボディを乗り換えないで過ごすことに決めた。


 しかし料理を一人でやるのは大変であるため、外燃機関に積んだ無線で目の前の不死病患者をラジオ・ヘッドとして操縦し、手を増やす。

 一存で、電灯は使用しない。いつも通り、ヘルメットの暗視装置を頼りに料理を仕込んだ。

 不死病患者は睡眠を必要としないが、普通の人間を模した生活習慣を維持することは精神の安定に寄与する。

 偽りの眠りでも、眠りは眠りだ。

 可愛い部下を騒音で起こしたくはない。


 料理の準備を進める。最悪の状態まで腐ってはいないが生身の人間が飲めば間違いなく体調不良になる水を料理鍋に注ぎ、ステンレス製プロパンガスボンベの残り少ない中身を惜しみなく使って火を焚き、湯を沸かす。

 そこに調達が難しい上に人気のない冷凍肉や乾燥野菜を適当に入れて、煮込む。

 灰汁取りはこまめにしているし、塩コショウを入れて味見もしているが、材料が材料なので大した味にはならない。

 何よりヘルメットの少女はレシピの類を一切見たことがなかった。料理について真実素人である。

 自分自身、まともな料理を作れるわけがないと理解している。

 偵察軍のトップであるからこそ蒐集できる希少価値の高い粉末状のコンソメを適当に入れて、それなりに味を調えるのが関の山だ。


「バカ舌どもは喜んで飲んでくれるが、美味しいのは俺の味付けじゃなくてこのコンソメなんだよな……」


 ボヤきながら鍋にグローブの手を突っ込んでスープを掬い、ヘルメットの下から舌で舐め取る。


「まぁ、バカ舌は俺も同じか」


 雑に美味である。

 でも、もうちょっと野菜とかも煮込んでまろやかにするか、と萎びたニンジンや黒ずんだキャベツを投入する。

 あとはひたすら煮込んで掻き混ぜるだけの作業。


 何者かの気配を感じて、少女はまた周囲を見渡した。


「物音がするような……」


 不意に機関オルガン音が轟き、駐機場のライトが一斉に点灯した。


「そうか、起こしてしまったか?」


 少女は暗視装置を停止させ、困ったように唇を引き結んで、闖入者を探した。


「あっ、マスターマスター! おはようっス!」と駐機場の窓から声がした。「今日は自分らに仕事無いんスか?」


 快活そうな笑みが似合う、少女の不死病患者が這い出してきた。

 頭部にはヘルメットと一体化した人工脳髄。

 偵察軍のスチーム・ヘッドだ。

 師の装備を模した、へカントンケイル謹製の準不朽素材の具足をガチャガチャと言わせながら、歩み寄ってくる。


「おはよう、バリオス」

 鍋を掻き混ぜるのを不死病患者に任せ、手回しコーヒーミルに豆を詰めていた少女が、そちらを見遣る。

「起こしたんなら悪かったな」


「いやいや、今日寝てないんスよー、今日の任務の予定全然来ないから何でだろ何でだろって気になって良い匂いッスねー何作ってるンすか? 今日って結局どうなるんスか? それ何作ってるんスか? 何でだろって。あれ、何か息苦しくないスか?」


「お前さ、いい加減一つ一つ喋らんか? 早口すぎて酸欠起こしてるぞ」


 マスターと呼ばれたそのヘルメットの少女は呆れた。


「クイックシルバーにバラされた体は平気か?」


「平気っス、もう傷一つないらしいっスよ!」


「バリオス! マスターの邪魔をするな!」と怒鳴りながら、同じ窓から、同じ装備をした少女が現れた。「また酸欠起こしてるじゃないか! みっともない姿を晒すんじゃないぞ、まったく、酸素濃度調整がヘタクソなのに、なんであんな良い成績出せるんだ。不思議でかなわん!」


「お前も声がデカいぞー、クサントス。あと挨拶な」


「はっ。失礼しました、我が師、マスター・ペーダソス。おはようございます」

 指摘されて、軍人然とした少女が敬礼した。

「バリオスがご迷惑をお掛けしたかと存じます」


「いや……まぁ俺もそんな繊細な作業してないし。バリオスはよく分からんよな。何であれだけ動けるのに酸欠起こすのか、何で言語野にしか異常出ないのか」


 飛行服の少女――偵察軍を統括するスチーム・ヘッドは凛とした声で優しげに頷く。

『少尉』コルト、そして『軍曹』ウンドワートに連なる機体。

曹長マスター』の称号を戴くペーダソスは、おおらかな態度で部下たちに話しかける。


「お前はお前で、元々はあの筋肉隆々の大男だろ? それが、そんなちっこい体に乗り換えてるのに、やたら馴染んでるし、不思議だよなぁ。あ、楽にしていいぞ」


「はっ、努力しておりますので」

 軍人然とした少女は規律正しく両手を後ろに組み、軽く両足を広げた。

「しかしながら、お褒めに与り光栄です」


「思うんスけど、クッさんにはそっちの才能があったんじゃないスかねぇ」


「何の才能だ! あとクッさん言うな!」


「クサントスは身体操縦が上手だよな。絶妙に使いこなしてる。居住まいとか……」コーヒーミルのハンドルをよっせよっせと回しながらペーダソスが同意する。「なんかこう……良いところのお嬢様っぽさがあるよな」


「この素体の貌が良いだけでしょう。何せ斃れたレーゲントたちから譲り受けたものでありますから」

 クサントスは高貴さを漂わせる顔立ちに、憮然とした表情を貼り付けたまま返答した。

「私見を述べれば、バリオスのやつが飛び抜けて粗雑なだけであります」


「それはある」

 豆を挽く作業で少し汗を搔いてしまった。

 螺子を抜き、ヘルメットを外して、髪をかきあげながらペーダソスは小さな歯を見せた。

「バリオスは全体的に雑だ」


「酷いっスよマスターまでぇ……自分なんてそういう選手だったの二年だけで、そのあと三年寝たきりだったんスよ? 職業軍人だったクサントスと違って、加減分からなくて酸欠起こすのも普通っスよ」不服そうな顔をしたのは一瞬だ。「あっ、その取っ手をグルグル回すやつ、代わらなくて良いっスか?」


「ん。助かる。ちょうど手が痛くなってきたところだ」


 嘘である。パワーアシスト用の強化外骨格に支えられた不死病患者の腕が、これしきで疲労するわけが無い。

 だが、コーヒーミルの取っ手を回転させるバリオスは「いえいえー。グルグルするっスよー!」と至って上機嫌だった。


「気が利くのはいつもバリオスだ、クサントスも見習えよ」


「バリオスに遅れを取るとは……善処します……」クサントスは無念そうに顔を歪ませた。「自分も何かお手伝いすることは?」


「そうだな。水入れた鍋を運ぶとか、やるか? 身体操縦は上手でも身体出力の調整はまだ上手くない。ちょっとした訓練だな」


「……我々の任務、どうしても、男性のボディは使えないものですか」


「上を目指すなら無理だな。股ぐらに余計なもんブラブラさせながら、重くてトロいボディで壁やらなんやら飛び回るのキツいぞ? みんなお前のボディを羨んでる」


「……」クサントスは沈黙した。「オーバードライブ使うともげましたからね、実際……」


「そうそう。あれ痛くなかったのか?」


「痛いというか……心理的ダメージでありました」


「そうか……」


「マスターマスター、これいつまで回せば良いんスかねー?」


「んー? ぜんぜん分からん。適当にやってくれ」


「了解っス」


「それで、マスター・ペーダソス。任務の件なのですが、実際、我々三機が温存されているとなると……」


「ああ。決行は間近だろうな」


 ペーダソスはアーミーナイフでカチカチに固まったパンと乾燥肉を切断し、水で戻しながら頷いた。


「首斬り兎との決戦は近いぞ。心しておけよ、俺たちがどれだけ上手く立ち回るかで、未帰還機の数が変わる。きっとそういう戦いになる」


 バリオスとクサントスは、魂なき虚ろな眼窩に、覚悟の鋭さを宿してその言葉を受け止めた。未知の敵との戦闘では、情報をどれだけ速く掴めるかが明暗を分ける。

 彼ら不死の偵察兵は、まさしく血河の地へと最初に撃ち放たれる嚆矢である。


 帰還は、これを期待されていない。

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