アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜

むえん

ある祭礼の終幕

 歌声が、無窮の空を貫いていた。


 その場に居る誰しもが空を仰いでいる。

 空を仰ぎ、神を讃え、歌っている。

 合唱に似てはいる。実態としては数えきれぬ独唱の集合に近い。

 調律が崩壊しているという点でのみ、その聖歌はある種の安定性を保障されていた。

 誰一人として声楽というものを理解しておらず、ただ一枚の楽譜も用意されていない。


 一つの智慧も伴わない形ばかりの斉唱。

 だからこそ彼らの祈りは真実の無垢であった。



 重機関銃を抱える下半身を粉砕された壮年の男が、刃の欠けた斧槍を杖にして立つ脚のない女騎士が、弾切れの自動小銃を首から提げた両腕のない年若い兵士が、軍隊調行進聖詠服ミリタリー・ドレスを着た少女が、何か尊い者の到来を待ちわびるかのように、空へ祈りの歌を捧げている。

 雪原は血に濡れて煙り立ち、四散した手足、こぼれ落ちて打ち捨てられた臓物までもが歓喜によじれて蛇の如く這い、踏みにじられた赤い泥濘に筋道を残す。


 命のありかを示す者、命のかけらを繋ぐもの、全てが打ち震えて、神の愛を讃える。

 だがその時代、その丘、その鎖された時代に、神はなく、魂はなく、信仰はなく、もはや祈りの言葉は無用である。


 楽園であるからだ。


 既に、楽園であるからだ。


 一人の少女が、歌いながら歩いている。

 死から見放された哀れな者どもの間を擦り抜けて、軽やかな足取りでミリタリードレスの裾を揺らす。

 セミロングの白銀の髪が羽のように風に靡く。

 聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神に愛された少女の瞳は、しかし何事も捉えてはいない。

 背負っていた蒸気機関スチーム・オルガンを捨てる。

 鼓笛隊の如き帽子を捨てる。

 幾千の祈祷と幾万の願いを託されたその漆黒と黄金の衣服に指を這わせ、固定具を外し、装飾の釦を外し、季節外れの外套でも脱ぎ捨てるかのような気軽さで、身につけた一切合切を虐殺の雪原へと脱ぎ捨てて行く。


 やがて一糸まとわぬ裸体を晒した。

 凍てついた太陽が視線を注ぐ。

 少女の白銀の髪を飾る白百合の造花が一輪……。

 握りしめた小さなナイフが一振り。


 脚を止めた先に、怪物が待っていた。

 獣であった。

 少女が見上げても、見越せぬほどの巨体。

 如何なる生態系にも属さぬその怪物は、しかし人間に似た二本の脚で直立し、額には七股に分かれた捻れた二対の角が、呪わしい冠の如くに、血と脂でてらてらと煌めいている。広葉樹のように硬質化した厳めしい外皮は、屍蝋じみて白い。瞼を備えない無機的な眼球はしなやかな乙女の裸身に注がれ、しかし一切の知的活動の痕跡を示さない。


 少女は幼子に語りかけるように、甘い声音で獣に語りかける。


「あなたは、おぞましき獣です。けだものの姿と形をしています。ですが、ですが、あなたもどうぞ、いらっしゃいなさい。賢者も知者も問うでしょう、なにゆえ我らの父が、かくの如き穢れたものを迎えるのかと。我らが主はこう仰る、救われるに値しないと信じる者にこそ、我が手に触れる資格があるのだと……。罪あるものこそ、赦されるのに相応しいのだと……。ああ! 主よ、我らが父よ! どうか、どうか皆幸せになりますように! みんなみんな、幸せになりますように!」


 白銀の少女が一際高く声を上げると、虐殺の雪原に散らばる死者たちが、びくりと体を震わせた。

 そして息を吐き、あるいは血を吐き、声を張り上げて、鎮魂の詠唱を始めた。


 魂無き丘に歌が満ちる。


 神無き空へと、無垢の祈りが木霊する。


 少女は慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

 ナイフをくるりと回し、両手を祈りの形に組んで、傷ついた小鳥でも扱うように柄を握りしめる。

 切っ先を己の喉にあてがった。


「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約です。主の御国に栄えあらんことを!」


 そして己の頸動脈を切り裂いた。

 処女雪よりもなお白い首筋から、目覚めるような赤い血が噴き出した。

 ひとかけらの穢れもない少女の裸身と、殺戮のために創造された歪な獣、その両方に向かって、分け隔て無く降り注いだ。


 やがて少女は倒れ伏せ、泥濘混じりの雪原に横たわり、血と泥の汚濁で全身を汚した。

 

 少女の歌声が途切れたのを合図としてか、呆として祈りの歌声を奏でていた哀れな者どもが、丘の上の廃教会へと行進を始めた。

 獣は追い立てられるようにして行進に組み込まれ、やがて教会の腐れた梁を潜って、それきり見えなくなった。


 やがて教会が炎に包まれる。

 全ては灰に還るのだろう。

 さりとて、救いを求める魂無き祈りは、紅蓮の丘に響き続ける。


 残されたのは、白銀の少女の死体が、一つ。


 そして、奇妙な装いの兵士が一人……。


 十字架の如く背負った棺のような形状の機械の排気筒から、火葬炉めいて煙が立ち上っている。 

 神無き時代に取り残された、その兵士の顔面を覆うのは、永遠に朽ちぬことを約束された砲金色のヘルメット。

 黒いバイザーの下で、二連二対の非人間的なレンズが、教会の炎を映し、赤く輝いている。


 兵士は死せざる死者たちの葬列を見送り、倒れ伏せてぴくりともしない少女を眺めていた。そうやって目には見えぬ誰かとしきりに議論を交わしていたが、そのうち少女の傍に歩み寄った。

 少女を見下ろしながら、平坦な声を投げかける。


「起きろ、リリウム。眠っている暇はない。私たちにそんな時間はもう残されていない」


 この不滅の時代に、その機関兵士スチーム・ヘッドは告げる。

 もはや一刻の猶予もないと。

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