第12話

 夫の鞄の底には、新しくペン型のボイスレコーダーを仕込んである。充電をしなければ使えないものなので、2本以上なければ、何日もは録音できないのだ。昨日取り出した1本は手元に。新しい1本は洋介の鞄の奥底だ。簡単には見つからないだろう。

「声を捕えた時だけ録音できるタイプです」

 探偵社の山本に渡されたものだった。

「雑踏の音も拾ったりしますが、スマホに繋いで、波形データを見ることで、個人同士の会話かどうかわかってくると思います」

 そう言って、チェックする範囲をせばめてくれた。


「じゃ、行ってくるよ」

「行ってらっしゃい」

 いつものように、洋介が家を出る。

 ドアスコープから外を確かめる。洋介が鞄の中を確かめている。

 見つかったか?!


 洋介は、外側のポケットと内側のポケットだけ探り、底に手を突っ込むようなことはなかった。ホッとしたようだった。

 夫が雑な人で良かったと心底思った。

 ドアの前で調べるあたりも間抜けだけどなあ……藍子はガッカリする。

「馬鹿だなあ、ホント」

 そんなに雑で、私の生命保険金が貰えると思ってるの?

 

 しかし、そこに加藤という協力者が現れればどうだろう?  

「あいつは天才なんだ。いつも冷静沈着で、観察力も優れてて。本当に羨ましいよ」

 洋介が、いつも自分のことのように、加藤の自慢をしていた。

 彼が協力者ならば、完全犯罪も有り得るのではないのだろうか……。


 しかし――


 加藤がその犯罪に手を染めることの「見返り」は何なのだろうか?

 単に「金」ではないような気がしていた。



 家事を一通り終え、コーヒーを淹れると、藍子はペン型のボイスレコーダーと、スマホを繋いだ。


 ガサガサと関係ない音も混ざっている。会社での会話。洋介がずっと鞄の前にいるわけでもないので、他の社員の会話も時々入る。


 外回り。今日は一人らしい。


「関口さん、こんにちは〜。今日も暑いですね〜。何してるんです?」 

「犬小屋をね、潰そうかと思って」

 犬小屋? 潰す?

「あ……そうなんですか……。もう新しい犬は……?」

「もう飼わんよ。わしがこの年だ。最期まで面倒を見てやれる保証がないのに、ただ可愛いだけで飼うのもな。」

「そうですか……」

「大野君には、あの時随分世話になった。」

「いえ……そんなこと」

「知り合いの獣医さんまで呼んでもらったのになあ」

「お役に立てなくて、申し訳ありません」

「いや、やっぱりタロウも年だったのかもなあ。変なものを拾い食いしたのかもしれないなんて。鼻が鈍ってたのかねえ」


 そんな会話を交わしながら、二人で犬小屋を解体していっている様子がわかった。


 飼い犬が死んだ? 拾い食いをして? 夫が獣医を呼んだ? 

 犬は何を食べたのか? そこまで来てくれる獣医なんて、洋介の周りにいたのかしら?


 まさか……

 藍子は、また、体の違和感を強く感じ始めていた。



 そして、肝心の、加藤の研究室での会話だ。

 今、盗聴器が壊された。


「何か心当たりが?」

 と、加藤。

「わからない……」 

「女がいるのがバレたんじゃないか?」

「そんなヘマはしてないよ。家だって、証拠を消すためにハウスクリーニングまでやったんだぞ?」

「どうだか。女は勘がいいからな」

 加藤は、洋介の浮気を知っていたのか。


「犬のデータは取れたんだろ?」

 洋介が話題を変える。

「でかい犬の方は、俺が直接出向いたからな。 小さいのは量を完全に間違った。本当に誰かに殺されたみたいな死に方だったぞ? 俺もフォローできることとできないことがある。気を付けてくれ」


「猫は結局無理だったのかよ?」

「あれは無理だな。」

「あんなに苦労して運んできたのにか?」

「ははは……」

 加藤が思い出したように笑う。

「まさか、袋詰めの猫を自転車で持ち込むとは思ってもみなかったよ」

「袋詰めの猫持って、バスに乗るわけにもいけないし、タクシーなんかもっとだろ? 変な匂いしてたから、自分の車にも乗せたくない。もうレンタサイクルしかないだろうがよ」

「ここまで40分くらいかかったって言ってたっけな」

「猫を捕まえるのに土まみれになるわ、汗まみれになるわ。最悪だったよ」

「あれは、腐ってたからな」

「腐ってたって何だよ? ちょっと弱ってただけだろ?」

「猫エイズの末期だったよ」

「『猫エイズ』?!」

「人間には感染りゃしないよ」

 洋介が安堵のため息を漏らしたのがわかった。

「そもそも、食い残しがなかったから、どれくらい摂取したかわからないんだ。薬を飲んだ後、調子が悪くなって、後ろ足を車にでも轢かれた跡があった。野良猫だから、そこから餌がロクに取れなくなったんだろ。」

 洋介が言い訳するように言う。

「まあ、何にしても、連れてくるのが遅すぎたな。」

 加藤が冷たく言い放った。


「とにかく、だ。サンプル数が少なすぎて、正確な数値が出ないんだ」

「研究室のじゃダメなのか?」

「馬鹿な。使える理由わけがないだろう。そもそも会社には無関係な研究だぞ?」

「野良とか、捕まらないんだよ」

「だからペットなんだろ? 猿とか飼ってるとこないの?」

「お前、それ、本気で言ってる?」

「まさかだろ」


 あはははは、と二人楽しそうに笑って、会話は続いた。

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