第9話

 病院でカウンセリングを受け、医師から結果を告げられる。

「はっきりそうとは言えない段階ですが……『統合失調症とうごうしっちょうしょう』という病気をご存知ですか?」

「……いいえ」

「見えるはずのないものが見えたり、聞こえるはずのない音が聞こえたりすることがあります。」

「病気のせいだって仰るんですか?!」

「幻覚や幻聴の他に、被害妄想などの症状も出てきたりもします。例えば、『誰かが自分を殺そうとしている』とか」

「そんな……そんなはずは……」

「状態があまり良くなさそうですね。もう一度入院しますか?」


 「少し考えさせてほしい」と医師に告げ、新しい薬を出すという提案もひとまず断って家に帰った。


「病気が私の脳を支配して、そう思わせてるだけ? じゃあ、あの女とのメッセージの遣り取りは何なの? あれも幻覚?」

 スマホを開くと、そこにはあのメッセージ。思わずスマホを叩きつけたくなる。


 病気が見せた幻なんかじゃない。私のこの喉から胸の辺りまでの痺れや締めつけも、気のせいなんかじゃない。私には、ハッキリと感じるのだ。他の誰が、そんな筈ないよ、と言おうとも。



 夕飯の片付けを終えて、藍子は、リビングでくつろぐ洋介に話しかけた。

「ねえ……二、三日、実家に帰ってもいいかな?」

「どうしたの、急に?」

 ソファに横になっていた洋介が座り直す。

「なんかね、ちょっと精神的にいい状態じゃないみたいで、入院しますかって言われたんだけど、それは嫌だから……」

「そんなに? なんの病気なの?」

 藍子は、医師に告げられた病名を言うのは避けた。検索でもされれば、そのせいにされてしまうかもしれない。

「身体表現性障害が悪化してるのかも。」

「そうか……」

「少し環境を変えてみたら、症状も改善するかもしれないと思って」

「まあ、お義母さんの顔を見たら、安心するだろうしな」

 悪い提案ではないと洋介も思ったようだった。



 全くの嘘だった。


 実家には、洋介と大喧嘩して家にいたくないから、二、三日ビジネスホテルに泊まることにした。洋介には絶対内緒で、そっちに帰ってることにしてほしい。もし、洋介から連絡があったら、すぐ、こっちに電話してほしい。

 そう告げていた。



 探偵社に浮気調査を依頼していた。

 浮気以外の何かが出てくるかもしれないし。


 盗聴器とボイスレコーダーを大量に用意した。


 各部屋に一つずつボイスレコーダーと盗聴器を仕掛けた。洋介の鞄の底には、ペンタイプのを。整理の苦手な洋介は、鞄の中のペンをなくすことがよくあった。ペンがみつからないと、そのへんにあるペンを雑に鞄に放り込んでいくのだ。1本くらい見たことのないのがあっても、すぐにはわからないだろう。底に引っ掛けて、簡単には取れないようにして、他のわかりやすいところに普通のペンを差し込んだり、引っ掛けたりしておいた。探偵社から渡された超小型の盗聴器は、内側のポケットに。いつもは何も入れていない。



 翌朝、早くに藍子は家を出た。今日から三連休だし、早い時間に移動しないと混むから、というもっともらしい理由をつけて。

 駅までは、洋介が送ってくれた。


 洋介の車が帰っていくのを見送って、トイレで着替える。

 いつもは着ないような服に、ウィッグ。伊達眼鏡だてめがねとマスク。あとの荷物をコインロッカーに預けた。

 探偵社の山本と落ち合うと、家の近くに車を停めた。ここくらいまでは、クリアに盗聴できる場所だと山本は言った。


 受信機からは、まだ、テレビの音と、それに独り言をいう夫の声しか入ってこない。が、本当に思ったよりクリアに聞こえて驚く。世の変態たちはこんなことをして、人の生活を覗き込んで楽しんでいるんだな。そう思うと、滅茶苦茶気持ち悪くなった。


 午前9時。洋介のスマホの着信音が鳴る。


「うん。起きてる。え? 今から? まだ9時だよ? 昼からでもいいじゃん」

 恐らく、花凛からの電話だ。妻がいないからって、リビングで堂々とデートの約束ですか。

「あ〜、家かあ? 家ねえ。まあ、いいか。その代わり、ちゃんと掃除してってよ? うん。うん。じゃあ待ってるよ」


 私がいない間に、私の家で?!

 藍子は、目眩がした。


「奥さん、一旦表にまわりますね」

「はい……」


 暫くすると、花凛がやってきた。お腹が見えるほど丈の短いTシャツに、太めのダメージジーンズ。髪を緩く巻いている。小顔効果のあるキャップをかぶれば、もうモデル並みのカッコ良さだ。


「あれが、中野花凛ですか?」

 山本が聞いてくる。

「そうです」

 藍子は、憎々しげに答えた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る