第8話
花凛とのメッセージの遣り取りで、洋介と花凛が不倫していることは確かなものになった。
よくあるドラマのセリフのように、花凛が洋介に「早く奥さんと別れて」と言い、洋介が「もう少し待ってくれ」と言う。それの繰り返しが何度かと、残業や接待と偽ってホテルに行っていたこと……。
おおよそ想像の範囲内の会話がそこにはあった。
もう、女の匂いはしていたから、そこは驚きもしない。胸が苦しくて、悲しいとは思っていたけれど。
ハッと気付くと、もう家を出ないといけない時間になっていた。
慌てて、メッセージの画面をスライドさせながら、会話を自分のスマホで撮った。電車の中でゆっくり読もうかと思ったが、新しいメッセージが届いた時に「既読」のマークがつくとまずい。
今いじった画面履歴を消すと、洋介が最後に見た画面に戻った。藍子はスマホをオフにすると、バッグに入れて、家を出た。
電車の中、改めて、自分のスマホに撮った、洋介と花凛のメッセージの遣り取りを読んでいく。
「いつになったら、離婚するの?」
「だから、ちょっと待って、って。今やってること終わったら俺は自由の身だから」
「今やってることってなに」
「そのうち話すよ」
「どれくらい待てばいいの?」
「まだね、結果が出てないからわかんないことがあるんだ」
「なに?」
「そのうちわかったら、やるから」
「いみわかんない。もういい」
「怒んなって〜」
……「今やってること」? 「結果を出す」? 花凛もわからないようだが、藍子にも意味がわからなかった。
洋介の会社に着き、受付に行く。
「大野洋介の家内ですが、夫がスマホを家に忘れて行きまして、渡していただきたいのですが……」
と、受付嬢に頼む。
「暑い中ご苦労さまでした。お預かりします」
そう言うと、彼女はスマホを受け取り、近くのデスクにいた若い女の子に声をかける。
「中野さん、大野さんにスマホ預かってますって、会議の後で伝えてもらえます? このあと一緒に外回りですよね?」
顔を上げたのは、いかにも今時の女の子。
「あ、いいですよ。私、預かります」
そう言って、彼女は藍子の前に来た。22、3といったところか? にっこりと笑う。
「大野課長の奥様ですか。部下の
宣戦布告だと思った。
「よろしくお願いします」
藍子もにっこりと軽くお辞儀をすると、会社を後にした。
自分より10歳近くも若い女に、洋介は入れ込んでいる。そりゃ、私も、もうすぐ30になるけれど、やっぱり男の人は若い女の子の方が良いのかしら……。
藍子は虚しく思った。顔や容姿を見て、文章を読んだ限りでは、そんなに頭のいい子には見えなかったが、女はわからない。ただ、あの子が本気で洋介のことを愛しているとは、どう考えても信じられなかった。
洋介が自分を殺害して、保険金を得ないといけないような理由が、そこにあるのだろうか? 私に直接離婚してくれと言えば済むことでは?
――離婚時の財産分与がネックなのか? それで、私を病気か事故にみせかけて殺す気なんだろうか……。
藍子は、溜め息をつく。
考えていることが、まるで子供だ。考えが甘過ぎる。大体、どうやって自分のことを殺す気なのだろう? 殺したと気づかれずに?
警察を舐めているとしか思えない。
「捕まっちゃうよ? 洋介」
溜め息をまた一つ。「馬鹿だなあ」と呆れる。不倫を理由に、こちらから離婚を言い出せば、洋介は完全に不利になる。それはわかっているのだけれど……
「今やっていること」「結果を出す」とは何のことだろう……。藍子には、そこが引っ掛かっていて、もう少し様子をみようと思ったのだった。
その翌日の夜中のことだった。
水を飲みに起きた藍子が、何気なくダイニングの窓の外に目をやると、大きな犬が座ってこちらを見ていた。
「えっ?」
どこから入ってきたのだろう? どこの犬だろう? 見覚えがない。
そうっと近付くと、犬は、窓をすり抜け、驚いて転んだ藍子に近付いてきた。
余りの事態に、藍子は声も出ない。そのまま、ズリズリと後ずさる。
大きい犬。自分とそう変わらぬ大きさにさえ感じる。
次の瞬間、犬は、ドンッと藍子の上に乗ると、上半身のあらゆるところに噛みついてくる。
「いやああああ!!」
藍子は、振り絞るように悲鳴を上げた。
「どうした?!」
洋介が慌てて飛んできて、リビングの電気をつけた。
同時に犬の姿が消えた。
「犬が……犬が……」
洋介は、震える藍子の傍に走り寄る。
「犬?」
「犬に襲われた!! ほら、こんなに噛まれて!!」
「……どこを噛まれたの? 大体、犬なんてどこにいるの?」
藍子は自分の首や胸を触る。パジャマも破れていなければ、血もついていない。
「嘘?!」
リビングの鏡に自分を映してみたが、噛まれたあとは全くなかった。
「嘘……」
「ほらあ、また寝ぼけたんだろ。夜中に大騒ぎすんなって」
「寝ぼけてなんか……」
「一回、精神科で相談してみろよ。俺、寝るからな」
吐き捨てるようにそう言うと、洋介は寝室に戻っていった。
藍子は、もう動けなかった。
そのまま、明るいリビングで、一睡もできないまま、朝を迎えた。
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