第3話
「今日ね、病院で足の違和感についても相談してきたのね」
藍子が重い口を開く。
「うん」
洋介も、藍子を真剣な顔で見つめる。
「『
「身体……なんだって?」
「『身体表現性障害』。痛みの刺激が、脳の誤作動を引き起こしている可能性がある、って。現代の医学ではわからないような病気にかかっているような考え方になっちゃうって。」
「待ってくれよ。今度は脳の問題だっていうのか? どこの病院なら治るんだよ!」
洋介が怒ったように言った。
藍子が涙ぐむ。
「ごめんね……。私もなんでこんなことになっちゃったかわかんない」
「いや……ごめん……藍子を責めてるわけじゃないよ」
「私がこの変な感覚を我慢すればいいだけだもん。ごめんね、洋介」
藍子は、とうとう泣き出してしまった。
「病院を紹介してもらおう」
洋介は、藍子をそっと抱きしめた。
「心の病気の延長線上にあるかもしれないから、先生が、暫く様子を見ましょうって」
「そうか……」
少しでも気を紛らわせることにした藍子は、庭木の手入れをしていた。
「あれ?」
勝手口から少し離れたところに、小さな魚の食べ残しがある。
「あっ! もう〜、あの猫だ!」
いつも家の裏を通っていく猫が1匹いて、花壇に糞尿をしていったりして、迷惑していたのだ。
「もう! こんなところに食べ残し置いとかないでよ!」
腹立ちつつも、それを片付けようとして気付いた。魚は3匹あった。あちらこちらに。
猫1匹が魚3匹を咥えていくもの? しかも、こんなところにこんなものが落ちていたら、それこそカラスが黙っていないだろう。
一つずつは、とても小さく見える「違和感」だ。だけど……。
その日の夜中、寝ている最中に、何かの尻尾のようなものが足に触って、藍子は飛び起きた。
「猫?」
猫など飼っていないのに、尻尾のようなものがサワサワとまとわりついてくる
「嫌あああ!! やめてぇええ!!」
藍子の叫びに驚いて、洋介が電気をつけると、感覚は消えた。
「猫が……猫が……」
藍子は恐怖に泣きじゃくる。
「猫なんかいないよ。夢だよ。寝ぼけたんだって」
洋介が、頓服の安定剤を持ってきて、藍子に飲ませた。
医師は数週間の入院を勧めてきた
入院のできる、「精神科」のある大きな病院への紹介状を書かれ、転院させられた。
いよいよ「精神病患者」になったのだと、藍子はベッドの上で泣きじゃくった。
しかし、家を離れて過ごすうち、口の中や足の違和感が段々薄れてくるのがわかる。猫の尻尾みたいな幻覚も感じない。……知らぬ内にストレスを溜めていたのか……と、思った。
だいぶ体調も良くなって、足や口の中の痺れが取れ始め、病院の中や庭なら散歩してもいいと許可が出た。外に出ても外来の患者と区別がつかないような、普通の格好をして病院のホールや庭に出る。
外は別世界だ。空気すら違うような気がしていた。外の木陰のベンチに座って、病院の庭を眺める。太陽が、木の陰の少しの間からも降り注ぐ。目の前の木には、雀が戯れている。「良くなるよ」「もうすぐ退院できるよ」と、雀が言ってくれているようだった。
「……大野さん?」
急に斜め前から名前を呼ばれ、ドキッとして、声の主を見上げる。
「あ……加藤さん?」
夫、洋介の大学時代からの友人、
「どうかしたんですか? こんなところで」
加藤が聞いてくる。
「あ、ちょ、ちょっと体調を崩しまして、入院していました。でも、もう散歩できるようになって。もうすぐ退院だと思います」
嘘つきほどよく喋る。そんな言葉を思い出しながら、藍子は、あたふたした。
「か、加藤さんは、どうして?」
「僕は治験薬を先生に、ちょっとね」
「あ、ああ。そうでしたね」
そうだよな。病気じゃなくても病院に来ている人は少なくないのだ。自分も、入院患者だなんて言わなきゃ良かった、と、藍子は少し後悔した。
「それはそうと、あれの効果はどうでした?」
「『あれ』?」
「え? 洋介から聞いてなかったですか?」
「いえ、何も……何の話ですか?」
「あー、そうか。参ったなあ」
加藤は困ったように言う。
「何なんですか? 何の話でしょう?」
藍子は不安になる。
「まあ、いいか」
加藤はそう言うと話し始めた。
「洋介がね、ゴミ捨て場のカラスに困ってるって聞いたものですから……」
「カラス……ですか?」
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