言葉は要らない

色街アゲハ

言葉は要らない

 世間での生活に疲れ、少しばかり人との関わりから遠ざかりたい、などと軽い気持ちで口にしてしまったのがそもそもの間違いだった。

 思っているだけなら何も起きなかったのに、言葉にしてしまうと何故か否応なくそうなってしまうと云う己の性質についてもう少し考慮するべきだった。

 それで何度も酷い目に遭っていると云うのに、又してもやってしまった。自分の与り知らぬ所で話は勝手に進んで行き、気付いた頃には嘗て酔狂な富豪の別荘として、今は管理する者も無く、荒れるがままに放置されている無人島に御招待などと云う状況に追い込まれていると知った時には、膝から崩れ落ちそうな気分になった。

 自分でもどう云う理屈でそうなるのか分からないが、心の内に秘めている願望を言葉にした途端、それが無意識に出た物であればある程その通りに事が進んで行くのだ。それも決まって悪い方向に。

 幾度となくそんな事態に巻き込まれ、その度に誓って二度と余計な事は口にすまい、と決意を新たにするものの、喉元過ぎれば何とやら、またぞろやらかした挙句、本人の意志とは全く関係なく話は進んで行き、断るに断れない所まで追い詰められてしまった。

 こうなった以上、抵抗するだけ無駄とこれまでの経験上分かっていたので、半ば諦めの心境で波間に揺られること数刻、やがて見えて来た島は周りに点在する剥き出しの岩礁とは対照的に、鬱蒼とした木々に包まれ、今では島の中心に埋葬され静かな眠りに就く富豪の気難しく陰鬱な性格を表す様にこちらに迫って来るのだった。

 木組みの波止場が僅かに開けた木々の合間より伸びて、船着き場の先端の木材を波の洗う物憂げな音が、訪れる者を暗い森の中に誘い込む様に幾度も繰り返される。

 

 島に降り立つと、そこには何時現われたのだろうか、その波止場の雰囲気に余りに不釣合いな前時代的な燕尾服に身を包み、顔に仮面の様な薄ら笑いを張り付けた、壮年をやや過ぎたと云った態の、白い物の混じった髪を念入りに後ろに撫で付けた人物が大仰な身振りで出迎えの礼を執っていた。


「ようこそ御出で下さいました。歓迎いたしますよ、新しいご主人様。」


 身振り、言葉遣いこそ丁寧だが、明らかに此方を小馬鹿にした態度。低く抑えた声の中に含まれた、果実の腐った様な毒を含んだ甘さに悪酔いしそうになりながらも、こちらも可能な限り平静を装って挨拶を返す。

 前の主人である富豪の執事を名乗るその男は、早速とばかりに案内を始めるのだった。幾らこちらが出来る事なら少しばかり休憩を頂きたい、などと言っても笑って取り合わず、「何はともあれ奥まで参りませんと。何も有りはしませんよこの島は。どうぞこちらへ、何、後で幾らでも休めますとも、心行く迄。それこそ望むだけ幾らでも。」

 そう言ってクツクツ薄気味悪い笑い声を上げながら、この自称執事は先へ先へと進んで行くのだった。

 

 木々は島の中心に向かって伸びる道を避ける様に捻じ曲がり、その表面の樹皮に浮き出る模様はまるで苦悶の表情を浮かべる顔の羅列の様に見え、奥に行くに従って、始め緑濃い生き生きとした葉を茂らせていた木や草が、徐々に黒ずんだ紫色の茎や葉に推移して行き、それはさながら世界から徐々に色が失われて行く様なそんな錯覚を起こさせるのだった。終いには、この変化は実は自分が貧血を起こした所為なのではないか、と云う考えが浮かんでくる程に、周りは灰色の世界へと沈んで行った。

 自然とこうなったのか、それとも意図的にそうなる様にしたのか。意図的だったとしたら、成程、この島の所有者だった今は亡き富豪とやらは、聞きしに勝る偏屈者だったに相違ない。人を遠ざけようとする余り、その為だけにこの島を購入し、以来そこに籠って一切の交わりを断ってしまったと云う、噂通りの人物であったとするならば。

 実際の処は分からない。一説に依ればその早すぎる死を隠す為に用意された筋書きだったと云うし、また別の口を借りるならば、精神に異常を来した富豪の姿を隠す為に周囲の者がこの島に幽閉したのだとも。

 何れにしてもかの富豪にとっては余り愉快とは言えない境遇であった事は間違いない。自らの意志に依る物か、他者の都合に依る物か、どちらであってもそれが牢獄である事に変わりは無かったであろうから。

 

 そこまで考えて、その牢獄に今正に案内されている我が身を顧みて、今さらながら恐れを覚えて思わず足が止まりそうになるのを、傍らの燕尾服は目敏く見咎めて、それがさも楽しくて仕方がない、と云った様子で、

「おやおや、どうされましたか? この景色の余りのすばらしさに感極まりでも致しましたか? 構いませんよ、どうぞ存分に御照覧あれ。どの道時間は幾らでも御座いますので。」

 などと、笑いの形に張り付いた口を更に大きく歪めて言い放つのだった。此方を甚振る事が楽しくて仕方ないと云った、無邪気さすら感じさせる口調。それに加えて言葉の端々から匂わせる此方を消して逃すまいと云う確固たる意志。それに気圧されて、最早逃げようなどと云う考えすら浮かばず、ただ〝どうしてこうなった″などと答えの出る筈もない言葉が頭をグルグル回るばかりで、ただ言われるがままに着いて行くより他に術が無かったのである。


 奥へ奥へと分け入って、周りは更に暗く、増々色を失って行き、それと共に自分の中に在った光や色も又失われて行く様な感覚。恐怖や後悔などと云った心の暗い部分に属する感情だけが残り、沸き立ち、抗う事も出来ない程に逆巻き、渦を描いて、何も出来ずにただ震えて小さく縮こまっている自分を押し流そうとする。自身の感情が自分を殺すなどと云った事が有り得るのだろうか? 

 かの富豪もこうして己の正気を失って行ったのだろうか。最初は自分と同じく、軽い気持ちで口にしたのだろう。己の膨大な富に群り、剥き出しの欲望に満ちた視線から逃れ、一息吐けるだけの自分だけの居場所が欲しい、と。

 まあ、その程度の愚痴で済む様な、言ってみれば贅沢な悩みでしかなかったのかも知れない。〝何か″がそれに具体的な形を与えた。恐らくはかの富豪に有り余る富を齎したのと同じ存在が。彼を唆し、気付かぬ内に彼自身を徐々に追い込んで行く様に仕向けて行った何らかの悪意に満ちた存在が。

 そうして破滅への道へと誘導しておきながら、あくまで富豪が、また今こうして為す術も無く歩いている自分が、自分自身の意志で選択したのだ、という形にしたい存在。目の前を先に立って歩く、今やその姿を取り繕う事無く、尖った耳、剥き出しになった歯、巨大な爬虫類を思わせる尾をくねらせて頻りに自分を追い立てようとする存在が。


 そいつは実に楽しくて堪らない、と云った様子で、自分の周りを見た目以上に身軽な動作で跳ね回りながら、

「さあ、ほら頑張って。もう直に着きますからね。安らぎの地へ。前の御主人様の眠り、貴方様も直ぐ後へと続く事になる、永遠の安らぎの地へ。」

 などと、聞き様によっては最後通牒とも取れる事を言うのだった。勿論わざと言っているのだろうが。

 

 やがて森が切れ、開けた場所に出た。 

 それ迄の陰鬱な雰囲気とは打って変わって、空に向けて大きく木々が開いて、明るく差し込む陽の光が足元の柔らかな草々を照らし、その間から小さいながらも様々に鮮やかな色合いの花々が顔を覗かせていた。

 それは、本当にささやかながらもこの上も無く安らぎに満ちた空間の様に思え、それだけにこの様な小さな場所でしか真に心の平穏を得られなかった嘗ての富豪の身の上を想い、自然と頭を垂れて、故人の為に暫し瞑目するのだった。

 

 だと云うのに、件の執事と来たら、そんな思いなどお構いなしとばかりに、耳元で要らぬ事をのべつ幕無しに捲し立てて、此方の気を散らすのだった。


「それにしてもあんまりじゃあありませんか。私、前の御主人様にはそれはもう献身的にお仕えさせて頂いたのですよ。富をお望みならば、使っても使っても余りある膨大な富を。その富に群る有象無象の輩から逃れたい、と請われた時には、誰にも邪魔されない遠隔の地であるこの島をお世話させて頂きましたし、念入りに人の入り込めぬ様深い森で周りを囲み、その安らぎに満ちた生活を守るべく、それはもうあらゆる手を尽くさせて頂きましたと云うのに、その報いが何だとお思いになられます? 旦那様は選りにも選って、この私に自分と同じ墓に入る事をお望みになったのですよ。〝お前の様な存在を野放しにする訳にはいかない、このまま一緒に眠って貰う。此の世の続く限り永遠にだ。″などど、何て無慈悲な仰り様。随分な仕打ちだとお思いになられるでしょう?」


 尖った歯を剥き出しにして切々と訴える執事。此方の沈黙を無言の肯定と受け取ったのか、尚も続く彼の陳情。


「そも貴方達の様な只の人間が私共の様な存在を気軽に使役しようなどと烏滸がましいとは思わないのですかね。幾ら私共に届き得る声の持ち主であるとは言え、何の代償も無しに私共の力の恩恵を受けようとは、人の身にあるまじき傲慢さである、と言わねばなりますまいよ。絶えず耳元に囁き掛けて来ては、此方が言う事を聞く迄消えようとしない貴方達の声のお陰で、どれ程此方が迷惑しているか一度でもお考えになった事が御座いますか? ならば、願いを叶える際にそこにチョッとばかしの悪意を込めた所で、それが責められる謂れは御座いますまい?」


 今や体裁をかなぐり捨てて、完全にその本来の姿を現わした執事だった者は、鱗だらけの身体を翻し、此方に向き直ると、魚の腐ったような瘴気を吐きながら、咽返る此方を横目に見つつ語り続ける。


「例え願いの結果が如何様になろうとも、元はと云えば貴方達の願った事。その結果は真摯に受け止めねばなりますまい。貴方共がどのように受け止めようとも願いは叶った。その事実は覆り様が無いのですから。ああ、それでもお仕えする御主人様の願いを叶えて差し上げるのが私共の役目、甚だ不本意ではありますが、亡き御主人様の無聊を慰める、その最後の願いを叶えて差し上げる為に、其処でワタクシ考えました! 御主人様は私と共に眠る事をお望み。しかしながら私としては御遠慮願いたい所。其処に折良く聞こえて来た貴方様の声。世間から遠ざかり、安寧を得たい、との願い、この私確かにお聞きいたしました! 御両人の願いを叶えるに、正に打って付け、実に打って付けでございます。」


 そう言って彼が手を一振りすると、突如目の前の地面がボコり、と音を立てて、人一人が丁度納まる位の穴が開き、それを指し示しながら興奮頻りと云った様子で、叫ぶ様に訴え掛けて来る目の前の悪魔。


「今こそ私は執事と云うお役目を辞させて頂くと致しましょう。私は去る、残るはこの場に眠る御主人様と空席になった執事の席、其処で貴方様の出番と云う訳です。私の身代わりとなって頂く事で貴方様は永遠に続く安寧を得られる。御主人様はこれで死後も孤独に苛まれる事無く永遠の安息を得られる。そして、私は晴れて自由の身。素晴らしい解決、素晴らしい落とし処ではありませんか! ねえ、貴方様もそうお思いで……、」


「もう結構」


 それだけ言って墓穴に蹴り落した。

 どうしてこの手の輩は余計な事まで頼みもしないのにペラペラ喋るのか。考えるより先に何の躊躇いも無く蹴り飛ばしていた事に自分でも驚きながらも、よほど腹に据えかねていたのだろうな、と自分の事ながらしみじみと感じ入るのだった。

 続く言葉が立て板に水の如く溢れ出て来たのも、その事を充分過ぎる程裏付けていた。


「実に魅力的な提案だが、遠慮させて貰うよ。御主人様は君をご指名なんだろう? 責任逃れは感心しないな。御館様と臥所を共にする栄誉は君にお譲りするよ。是非向こうでも忠義溢れる献身を遂行してくれたまえ。」


 そして、唖然と此方を見上げたまま言葉を発せないでいる件の執事崩れに向けて止めとも言える一言を放つのだった。


「これは僕の願いでもある。」


 流石に前の主人との願いとの二つに挟まれては、どうにも弄り様がなかったらしく、呪詛と絶望の入り混じった叫び声と共に忽ち穴は塞がって行き、後には真に平穏を取り戻した広場に、木漏れ日の静かに揺れる中、何処からか戻ってきた小鳥達の憩う声が途切れ途切れに聞こえて来るばかりであった。その声は、来た道を戻り、森を抜け、眼前に開けた海に細く伸びる桟橋に繋がれた舟の見える所まで続き、聞く者の耳を楽しませると同時に、長くこの島に巣食っていた災厄が完全に消滅した事を知らせていた。


 船の主は予想外の人物が現われた事に腰を抜かさんばかりに驚いた様子だった。さっするに、あの執事の姿をした悪魔と打ち合わせ済みだったのだろう。これ以上の面倒事は御免被りたかったので、一芝居打つ事にした。


「おや、驚いてますね、心配いりませんよ、私です私。」


 船主は目を白黒させて言葉も無い様で、それを良い事に畳み掛ける。


「なあに、御蔭様で晴れて自由の身ですからね。これ以上この忌わしい場所に留まる理由も無くなったので、こうしてこんな姿で現われたと云う訳です。何、当人は今頃ゆっくりお休みしている所。文句を言いたくても出来ないでしょうから気に病むことはありません。そんな事より早い所出発しましょう。手筈は整っておりますよね?」

 

 何一つ嘘は云っていない。尤も相手がどう受け取るかは此方の知った事ではないが。半ば賭けではあったが、どうやらこの船主、かの悪魔に半ば脅される形で秘密に関わっていた様で、戸惑いながらも納得した様子で、直ぐ舟は動き出し、少しずつ島は遠ざかって行く。


 小さくなった島を眺めつつ潮風を頬に感じていると、自然と言葉が口を衝いて出た。


「やはり君には執事がお似合いだよ。あの格好もなかなか似合っていたしね。そのまま来世でも御主人様と仲良くおやりよ。」


 そうして先程から感じていた眠気に身を任せて、ゆっくりと目蓋を閉じるのだった。こんな心無い科白でも効果が有るのだろうか、などと至極どうでも良い事をぼんやりと考えながら。



                                終

 

 

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