第10話
この日、エリスはある人物と会う約束をしていた。
リーウェルとの婚約をマリンから告げられる以前、エリスはこの日の訪れを非常に楽しみにしていたのだったが、今の彼女はあまり今日の訪れをうれしくは思っていなかった。
なぜなら、今の彼女は婚約者となってしまった身。
彼女はその事を今から、自身が最も心から慕う相手に伝えなければならないのだから…。
――――
自由奔放な性格のクライスは、今日帰ってくるまで外国でイラストを描いて回っているのだという。
そんな彼との約束の場所は、二人の思い出の場所でもあった。
「(クライス、自由な性格だから今日会う約束を忘れちゃったりしてないか心配…)」
その場所は、二人が最初のデートを行った記念の場所。
人気の少ない小高い丘の上でありながら、王都全体を見渡せるほど景色のいい場所であり、デートの穴場スポットして一部の恋人たちに知られている場所だった。
エリスはあの日と同じように、その場所にピクニック用のシートを敷いてその上に腰を下ろすと、あの日と同じように手作りのお弁当をその上に取り出し、クライスの到着を待った。
――あの日――
それは、二人にとって初めてのデート。
それは、ロマンも何もない最悪ともいえる出会い方をした二人の、奇妙な運命によって実現した二人きりのピクニック。
社交界で再会を果たしたクライスとエリスは、その別れ際にこう言葉を交わしていた。
「一週間後の12時に、王都の西側にあるヒューレット丘の上に来てほしい」
「な、なんで…?私別にそこに興味はないし…。行きたいなら一人で勝手に……ひゃ!!!」
ベッドの上で横になり、クライスの事は横目に見ていたエリス。
彼女はさきほどクライスにからかわれたことが悔しいのか、少しいじけた様子で口をとがらせてそう言葉を返した。
そんなエリスの言葉を聞いたクライスは、その身を乗り出して突然にエリスの頭を軽くつかんでその頭をくるっと回転させ、自分の事がよく見える位置まで彼女の頭を動かした。
すると結果的に、二人は非常に近い位置までそれぞれの顔を近づける態勢となり、鼻と鼻がくっついてしまいそうなほどの距離をその目で理解したエリスは再び声を上げてしまった。
「必ず来い。いいな?」
「う……」
その場でははっきりとした返事をしなかったエリスだったものの、当日を迎えるまでの1週間、彼女はその心の中を常にそわそわとさせており、片時もクライスの事がその頭から離れることはなかった。
それゆえ、結局エリスはそのまま約束の時間、約束の場所に向かうことに決め、二人の初デートは実現することとなったのだった。
「本当に来てるのかしら…。召し使いに買い物だって嘘をついてここまで送ってもらったのに、クライスがもしもここに来なかったら、今度こそもう二度と話なんてしないんだから…」
あまり乗り気でない雰囲気を醸し出しながらも、きちんと約束の場所を訪れたエリス。
自分のほかに人影もなく、それでいて初めて訪れる場所であるために、彼女の心の中にはそわそわとした感情が沸き起こっていた。
しかしその感情はいらぬ心配であったことを、彼女はすぐに理解する。
「(ほ、ほんとにいた……)」
丘の上にたどり着いたエリスの視線の先にいたのは他でもない、クライス本人だった。
彼は草原の上で直に腰を下ろし、スケッチブックを広げながら王都の景色を見つめ、それをイラストとしてその手で書き上げている最中だった。
…その表情は真剣そのもので、社交界で会った時の子どもっぽさやいたずらっ子のような雰囲気は完全に鳴りを潜め、目の前の景色をかき上げることに集中していた。
エリスは足音を殺し、そーーっとクライスの背後に近づいていく。
完全にイラストの描き上げに集中しきっているクライスにとって、そんなエリスの接近を察知を発見することは絶望的なほど至難の業と言えた。
エリスはそのままクライスの真後ろまで接近することに成功し、クライスの背中越しに、彼が経った今夢中で描いているイラストを見ることに成功する。
「きれい…!」
「どわっ!!!!!」
「あ」
そのイラストは非常に繊細で丁寧に描かれており、まさに美しいと形容するにふさわし仕上がり具合だった。
それをクラインの真後ろで見て取ったエリスはそのまま素直な気持ちを言葉にしてしまう。
それはクライスから見れば、いきなり自分の真後ろから人間の声が聞こえてきたという経験になり、彼はこれまでに経験したことのないような驚きようを見せた。
「おどろかすなよ!!!びっくりするだろ!!!」
「この間のお返しー。やり返さないと気が済まないもん」
「ったく…。ちょっとかわいいからって調子に…」
「………え??」
クライスが小さな声で発した言葉に、思わず反応してしまうエリス。
しかしクライスはエリスの反応を見てしまったと思ったのか、それからその言葉に言及することはなく、話題を別の内容に移していくのだった。
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