第5話 帰宅

「ありがとうございました」

「まいどー」


 公園に到着した頃には太陽は更に隠れており、空も茜色が薄くなってきている。そろそろ街灯が点灯し始める頃合いだろう。


「そういえば、聞いてもいいですか?」

「なんです?」


帰路を辿る彼女に肩を並べて歩いていると、妙に聞きづらそうにして彼女は訊ねて来た。


「警察署で担当官さんに呼ばれていたじゃないですか、ちょっと気になってしまいまして....」

「あー....そのことですか」

「無理だったら全然大丈夫ですのでっ!」


何かと少し身構えてみるも、すぐにそれは息と一緒にして抜けていった。


「あれですよ、鍋蓋は当分返せそうにないっていう話でした」


俺がそう返すと、藍川さんが申し訳なさそうに眉を歪めた。


「すみません、またご迷惑を....」

「大丈夫ですって、ただ、現物も見て来たのですが、仮に手元に戻っても捨てる事になると思うんですよね」

「だったら弁償を......」

「いやいや、そういうの気にしないでいいので!」


案の定彼女は、鞄から財布を引っ張り出そうとしたので先んじてそれを止める。


「しかしッ!」


ここ半日で知った彼女らしい律義さに口角が上がりつつも、頭を掻きながらそれにと付け加える。


「どうにも俺、鍋蓋のサイズ間違えてる気がするんですよ」


警察署で見せてもらった時、鍋蓋が妙に大きく感じたのだ。


「ちゃんとサイズを確認してから買ったのではないのですか?」

「......て、テキトーに選んで買いました」


視線を逸らしながらそう回答した俺に、彼女は懐疑的な眼差しを向ける。


「因みにですけど、サイズはいくつの鍋蓋を買ったんです?」

「えっと確か.......」


財布に溜まったレシートの中から昨日鍋蓋を買ったホームセンターのレシートを発掘して確認する。


「32センチのを買ってますね」


俺がそう答えて見せると彼女は少し目を丸くした。


「氷室くんの大家族なんですね」

「いや?俺含めて4人家族」

「いっぱい食べるご家庭なんですね!」

「多分みんな食は普通ですよ?なんだったら今、俺ひとり暮らしですから」


位置がずれて後ろに下がった彼女が俺に向けてくる視線がまた懐疑的な物に戻ったのがなんとなく察せた。


「多分....ちょっと、いやかなり大きいと思いますよ?」

「そうなんですか?」

「32センチと言ったら五人家族とかそのくらい用のかなり大きい物ですよ?逆に良くそんなに大きいサイズ売っていましたね」


自分で言うのもなんだが、何故気づかなかったのだろう。

因みに普段俺が使っている鍋は、精々三人前作れるかといったサイズ。

いくら休日特有の眠気に苛まれていたとしてもちょっと考えればわかるはずなのだ。


だというのに気が付かなかったのは......そうだ、ホームセンターのような大きな建物の中だとサイズ感が分かりづらくなるアノ現象のせいだ。間違いない。


「別に土鍋というわけではないのでしょう?」

「ああ、普通に金属製の鍋ですよ」

「だったら号数ではないので、ちゃんと鍋の内径をメジャーかなにかで測れば適したものが買えますよ」


果たして俺の家にメジャーはあっただろうか。越してきた時はカーテン用の紙製巻き尺を使っていたから....


「もしかしてメジャー、無いんですか?」

「多分....ないですね」


何度思い返しても覚えがない。確実にあると言えるのは、筆箱に入っている15センチ定規だけだ。


「私が持っている物で宜しければお貸しますけど....」

「いいんですか!ありがとうございます!」

「では明日お貸ししますね。今日となると私の家まで来てもらわないといけなくなりますので」

「えっと、藍川さんを家まで送るつもりだったので、藍川さんが良ければ今日借りてもいいですか?」


急かすようで申し訳ないと思いつつお願いすると、彼女は柔らかく口角を上げた。


「早めに欲しいですものね、もちろんですよ。それと……ありがとうございます」


 そこから特段会話はなく、街灯の光で明るくなった帰路を二人で辿った。

三分ほどたった頃か、「ここです」と彼女は立ち止まり目の前のマンションを指さした。


「それではメジャーを取ってくるのでエントランスで少し待っていてください。すぐに戻りますから」


 そう言って彼女はマンションのセキュリティドアを抜け、小走りで消えていった。

別に慌てなくてもと思いつつ、俺は適当にスマホをつつき彼女を待つ。


さして時間が過ぎぬ間に彼女はメジャーを胸に抱えて戻って来た。


「お待たせしました」

「そんなに慌てなくてもよかったのに」

「いえ、送ってもらった上に外でお待たせてしまっているので!」


そう言って差し出されたメジャーを受け取る。


「改めて。今日は色々ありがとうございました」

「気にしないでください。明日の帰りにでもこれは返しますので」

「わかりました。それではまた学校で」

「ああ、また学校で」


 小さく手を振る彼女を尻目に俺はエントランスを後にする。

いつも通りの日常にちょっとしたイベントが入ることで楽しさは増すものの、やはり非日常は疲れるもの。

悪くないため息を1つ吐いた俺は、重くなりつつある足を動かして短い帰路辿った。

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