ヒトガタ5 (完)
アズマSが巡航に入ると同時に、神崎は持ち込んだペリカンのハードケースの蓋を開いた。
04式ならゆうに二丁はそのまま入るサイズのケース内に、なお分解された状態で12.7ミリ対物狙撃銃――米海兵隊が採用したバレットM82A3対物狙撃銃を零情が有償軍事援助で導入したもの――が収納されていた。組み立てる順番毎にパーツを取り出し、だだっ広い床で黙々と組み立てていく。
「あと5分。スキャン開始」
ちょうど組み上がり、対物がその化け物じみて巨大な姿を現したところで奥田が告げた。
目標上空まであと五分。アズマSの機首下にぶら下げる形で搭載された
通常のFLIRとは違い、アズマSのそれにはヒトガタスキャンモードが搭載されていた。零技術による特殊なフィルターを通すことで、人とは違うヒトガタ特有の赤外線パターンを識別、捕捉することができる。
「ホテルワン、捉えた」と奥田。「スタンバイ」
神崎はちょっとした辞書ほどもある巨大な弾倉を対物に装填すると立ち上がる。同時に高橋2曹がコクピットの真後ろ、右側のキャビンドアをばかりと開いた。冷たい夜風が一気に機内へと流れ込んでくる。
キャビンドアに渡された分厚いハーネスの上に、機外に対物の銃身を突き出す形で据えると膝撃の姿勢を取った。一歩後ろにマヤ。双眼鏡型のヒトガタ探知装置を手にしている。
「ホテルワンより1キロでホバリングする」
「了」神崎が狙撃に集中出来るよう、奥田とのやり取りは観測手役のマヤが代わって行う。
やがてアズマSはゆっくりと旋回すると、東京湾上で葛西臨海公園に右側面を向けた。
「ホテルワンは水族館前にいる」
ドンピシャリ、だった。さすがは奥田1尉だ。ほとんど左右に振る必要さえなく、赤外線暗視装置を改良した対ヒトガタ探知装置を前方に取り付けた照準眼鏡越しに、神崎はヒトガタの姿を捉えていた。
「確認」マヤが言う。「射撃用意」
「射撃用意」照準眼鏡から目を離さず、神崎は対物の槓桿を引くと、巨大な12.7ミリ弾を薬室へと送った。「射撃用意よし」
撃て。マヤが静かに命ずる。神崎は半分吐いた息を止めると、そっと引金を絞った。
頭上のローターの轟音、ある程度の音は電子的にカットするヘッドセットのイヤホン越しに、それでもなお銃声が轟くのを知覚した次の瞬間、照準眼鏡内で狙い通りヒトガタの胸に大穴が開き、特有の青い血が撒き散らされ、引きちぎれた頭部が転がり、右腕が吹き飛ばされのが見えた。振動するヘリからの狙撃は本来とてつもない難易度だったが一発で済んだ。
「キル」確認したマヤが奥田に告げた。
「了解。ホテルツーへ向かう」
奥田の一言と同時にアズマSは旋回、前進。二体目のヒトガタへと向かっていた。
零情に来て初めてヒトガタ駆除を行った時、神崎は面食らったものだった。いくらヒトガタが、人間が死亡するだけのダメージを受けると活動を停止し、五分もすれば僅かな水たまりを残して完全に分解して消滅する性質があるとはいえ、もし誰かに目撃されていたらまずいのではないか、と。
だがヒトガタ駆除に限らず、零情の任務をこなしていく中で、やがてそれが余計な杞憂なのだということが神崎にはわかった。人々が漠然と抱く常識というバイアスは想像以上に強固なものなのだと。
IT革命、情報化社会と言った言葉も死語になって久しい今日この頃。誰もが情報発信出来る時代は、同時になんの根拠もない単なる妄想や、中途半端な知識に基づく的外れな推測、ちょっとした悪戯心や悪意からのもっともらしい虚構をも自由に発信出来る時代でもあり、それは零情やΣ4にしてみれば素晴らしき、笑いが止まらない時代の到来を意味していた。
例えばSNS上でオカルトマニアや好事家たちお好みの都市伝説の一つにTR-3Bというものがある。いわく、UFOの技術を元に米空軍が作り上げた極秘の反重力戦闘機が存在するのだと。ご丁寧に三面図まで出回っている。
結論から言ってしまえば、そんな機体は存在しなかった。そもそもTR-3Bという名前自体、もっともらしいようでいて、その実米軍の航空機命名規則を完全に無視した突っ込みどころしかないとんだデタラメなのだ。実機とされる写真も下手くそな画像加工によるフェイクばかり。だいたい、エリア51に実在するTR-3Bにあたる機体は光学迷彩を搭載している。そもそも目視出来ず、カメラに捉えられることもない。
仮に自分が今すぐ退職して零情の詳細な体験記を出版したとしても、世間が真に受けることはないだろうなと神崎は思う。せいぜい書店の中でもとりわけ胡散臭いオカルトコーナーに置かれ、好事家やオカルトマニアたちの妄想に餌を与え――それでおしまいだ。
あとは勝手に尾鰭がついて、真実はそのクソの山に埋もれる。
いまの狙撃に目撃者がいたとして、突然人が吹き飛んでバラバラになる事態に驚愕し警察に通報したとしても問題なかった。駆けつけた警察官が現場で目にするのは何もない光景。少し観察力があるならば水たまりには気付くかも知れないが、仮に鑑識が仔細に分析したところで鑑定結果は文字通りただの水。アスファルトに弾痕らしき痕跡があるにはあったが弾は見つからないとなれば、疑うべきは通報者の頭になる。
通報者にしても、誰も信じず、事実現場に何もない現実を繰り返し示されれば自分は疲れていたのかもしれないと思い直す。
なんなら一部始終を撮影され、動画サイトに投稿されたとしても同じだ。このそれっぽいフェイク動画ならいくらでも溢れている世の中で真に受ける者はほぼいない。下手にあの手この手で圧力をかけ削除に追い込むよりも、捨て置いた方が安く済む。
おかげさまで関係機関が隠蔽工作に要する予算は年々縮小を続けていた。佐藤によると既に全盛期の百分の一にまで下がっていた。いやあ最高だね。
アズマSは東京上空へ進入する。眼下にはまるで世の中に溢れるそれぞれの好き勝手な真実のごとく、無数の光が輝いていた。
その光の中に潜伏する残る二体もそつなく片付け、零情のありふれた日常業務の一つを終えると、アズマSは木更津駐屯地への帰路についた。
頭上を飛ぶ自衛隊機が対地球外生命体戦に従事していると思う者は、一千万を超える都民の中で、ただの一人もいなかった。
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