タコハチヤ・タコヤキーヤ8
「みんなお疲れさん」
隊長室の椅子にふんぞり返った佐藤は、居並ぶ神崎たちにのんびりと手を振った。全員陸海空、それぞれの迷彩作業服に着替えていた。
「どーも」
鮎沢が皮肉たっぷりに言った。
「大変だったなあ、今回は」
「いつものことです」神崎が肩をすくめる。
「それもそうだな――まあ、なんにしろ事件は解決したし、災害派遣も解除された。Σ4と政府が手を回して、表向きに事件捜査は継続されるが未解決のまま迷宮入り。病院の件は医療事故。アユがぶっ放した擲弾の轟音は、地下にたまったガス爆発事故で処理される」
ようするにいつも通り、ということだ。
「お前らには今日から3日間休暇をやる。休暇証をきっちり書いて提出しろ」
自衛隊では何でも許可がいる。休暇にしても、休暇証に行き先と連絡先をきっちり書かなければいけない。行き先の変更がある場合、電話連絡の必要もあった。また零事案が発生すれば無条件で帰隊しなければならない。とはいえ、そこは特別職国家公務員なのだから仕方がない。
「それと、今回の件はタコハチとの交戦だったからな。地球外生命体対処手当もでるぞ。一時間あたり五百円だ」
今回は潜入から交戦、駆除まで一時間で済んだ。要するに五百円アップでおしまいだ。低すぎる気もするが文句を言っても仕方がない。とはいえ、ため息くらいは許してほしかった。
「そういうわけだ。解散」
「気を付け」長であるマヤが号令。「敬礼」
一同は敬礼し、隊長室を退出する。
一人残った佐藤は胸ポケットから端末を取り出すと、秘匿通話アプリを起動。通話を始めた。全て英語でのやり取りだった。
「零事案情報隊の佐藤1佐です。ええ、はい。予定通り処理しました」
「はい。やむを得ない犠牲かと」
「これで警察の連中も、自分たちに零事案に対処する能力はないと痛感したでしょうな」
「今後はスムーズにこちらに事案が回ってくるかと」
「そうです。地球外生命体に対処できるのは我が国では我々だけです。警察ごときにできることではありません」
「しかし申し訳ありませんなあ。こちらの国のしょうもない縄張り争いのために、貴国の貴重な生体サンプルをお借りしまして」
「はい。そういうことで、今後ともどうぞよろしく」
「――ところで、仮にもタコハチの第一発見者として非常に驚いたんですがね」
「私が最初に北海道で遭遇した時、タコハチの皮膚は5.56ミリ弾で容易に貫通でき、擲弾なら一撃で倒せました。そもそもタコハチには地球の環境は合わない。生まれた瞬間から弱っていく。二週間もすればすでに瀕死のはずなんだが、下水道の個体はどういうわけだかぴんぴんしていた」
「それだけじゃありません。なぜだか下水道の個体は雌雄を識別し繁殖する知恵までつけている」
「――もしそちらの立てたスケジュールに従い調査ごっこにあと一週間かけていたら、死骸を見つけて楽勝な任務どころか、下水道は孵化した奴らの巣窟となり、うちの部隊は全滅。手に負えずそちらに泣きついていたことでしょうな。たまたまこちらでシナリオを早回ししていなければ大惨事、まったく実に危ないところでしたよ」
「――なあ、まさかとは思うがよ…あんたらエリア51で地球環境に適応するようにいじった個体をよこしたんじゃねえだろうな?」
「――ああ。なるほど事故と。予想外の適応と。なるほど。――とまれ、うちの部隊は家族経営レベルの零細でしてね。一人欠けても大打撃になる。ことによっては組織ごと徹底的に解体されかねないほどに」
「我々が目障りで、あわよくば消し去ろうとしている組織、機関は多い。国内だけでなく、国外にも。そう例えば、どさくさ紛れに我々を弱体化させて日本国内における権限と活動領域拡大を狙っている同盟国の同業他社がいないとも限らない」
「あくまで例えですよ。我々はパートナー、トモダチじゃあないですか。ただ、こう言う事故が起こると友情にもひびが入り遺恨にもなりかねない。今後はお互いに気を付けてまいりましょう。ええ、それでは」
通話を終えた佐藤は、しばらくしてやれやれと首を振ると、隊長室を出た。コーヒーが飲みたかった。特別熱くて苦いヤツを。
そんなことを思いながら廊下に出たところで、マヤと鉢合わせした。
マヤは何も言わなかった。ただ、黙って佐藤を見つめていた。隊長室の扉は防音。会話を聞いていたわけではないのだろう。が、彼女が全てを察しているのは一目でわかり、佐藤は観念した。まあ別にいいだろう。知ったところでマヤは誰にも話さない。
「Σ4と、ちょいと世間話をな」
佐藤はそれ以上何も言わず、一瞬だけ年相応以上の力のない笑みを浮かべた。
それで十分だった。やはりそうか。醒めた心でマヤは思う。確信を得て、何かしら感情らしいものを抱くのではないかと期待していた自分がいたが、実際には何も浮かばなかった。
「ああそうだ」と去り際、背中越しに佐藤は言った。「鷲野1尉。たまには神崎3尉と課業外で交流するといい。部下と親交を深めると、思わぬ収穫ってものがあるからな」
その一言を半ば聞き流しながら、マヤは思う。
――なんなんだろう。
慣れ親しんだ虚無感と共に、ぽつんと、そんな一言が浮かんだ。
地下で聞いた女たちの断末魔の悲鳴が過ぎる。彼女たちの死の真相が明かされることは永遠にない。表向きには、行方不明者として見つかることなく終わることがすでに運命づけられている。
しかし、そんなことなど知る由もない彼女たちの家族は、恋人は、友人は、これからも待ち続けるのだろう。もうこの世にいないことさえ知らないのだから。鷲野マヤという人間に殺されたことを知らないのだから。
そう、殺したのだ。自分が。確かに言い訳はできる。任務だった。仕方なかったと。しかし、どんな理由があれ手をかけたのは紛れもなく自分だった。茶番だということを、薄々察しながら。
今回の件が佐藤を含めた茶番だと知ったら、みんなはどう思うだろうか。今の自分にとってみんなの範囲は極端に狭い。彼女にとっては零事案情報隊が全てであり、したがってその同僚であり、仲間たちだった。
鮎沢は簡単に想像がつく。唾を吐き、ふざけるなと食ってかかり、佐藤の頬を一発殴る。そしてそれで終わりにする。24時間以上引きずることも蒸し返すこともない。
本人に指摘したところで決して認めはしないが彼は粗暴はふり、粗暴になりたいだけであって根は生真面目で繊細だ。一発殴るという彼なりの、そして誰から見てもわかりやすいキャラクターを示せればそれでいいのだ。
わかりやすいといえば村木もだった。ただそうですかと微笑み、自然体に受け流す。彼はあくまで自身の仕事をこなす。そしてそれを決して家庭には持ち込まない。彼にとっては最愛の家族こそが全てなのだ。
一度村木がいつもの笑顔のままこう言ったことがある。「あんまりぼくを信用しないほうがいいですよ。悪いですけどぼく、家族のために必要なら誰であろうと撃ちますからね」
あながち、どころかそれが本心からの言葉なのは誰もが理解していた。
そして神崎は――彼はどうだろうか?マヤはほんの少し困惑した。はっきりとはわからない。神崎がもっとも最近部隊に来た、いわゆる新人なのもあるが、行動1班として常に共にあることから交流自体はある。気難しいところはないが、単純な人間というわけでもなく、時々妙に核心を見抜くことがある。どうにも掴めずにいた。今回の件にしてもひょっとすると車でのやり取りから大雑把にしろ感づいているかもしれない。
――そう。ある思考が過った――彼のような人間がいれば――
「マヤさん」
不意に声を掛けられ、マヤは振り返った。意図せず長いこと考え事をしていたらしい。多少気を取り直して、すでに私服に着替え済みの神崎にマヤは答えた。なにかしら?
「あの、よかったら桜でも見に行きませんか?今がちょうど見ごろだそうなんで、散歩がてらにでもと」
「ええ、いいわ」
誘った当の神崎がきょとんとしている。無理もない。この手の誘いは意図して断っていたのだ。神崎にしてみても、断られるまでが挨拶の、一種の様式美と化していた。
「少し待って。着替えてくる」
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