タコハチヤ・タコヤキーヤ6
閑静な住宅街のど真ん中。何の変哲もない姿で、マンホールはそこにあった。
ハイエースで挟むように停車させ、全員で積んできたコーンと看板を設置し、マンホールを囲んで工事現場を作り上げる作業に入った。
「準備完了です」
「よっしゃ」
「じゃあぼくは、狙撃点に移動するよ」
唯一私服の村木が、分解したMk.13狙撃銃の入ったギターケースを肩にかけると、のんびり先に立った。タコハチは地下に潜んでいるとはいえ、激しい交戦になれば地上へ逃げ出そうとするかもしれない。出口となるマンホールは二か所だから、そこを射線に収めることができる雑居ビルの屋上で待機するのが彼の任務だった。もちろんフル装備の恰好では目立ちすぎるので売れないストリートミュージシャンを装う。「15分後に待機位置につくよ」
一度車両に戻り、広い後部座席で着替える。スモークグラスで外から見られる心配はなかった。
神崎もマヤも、相手が異性だという妙な意識など抱くことなく、あっさりと下着姿になった。いまは仕事中。目の前にいるのは男でも女でもなく、上司であり、部下だった。それ以上でもそれ以下でもない。だいたい、いよいよ戦闘というときに中学生じみてどぎまぎしている余裕などなかった。
二人とも脱いだものを尋常ではない素早さで丁寧に畳んでひとまとめにしておく。整理整頓は自衛官の基本だった。
黒い戦闘服に半長靴を履く。戦闘服には、兵士がもっともぶつけ、また擦りむく箇所である肘と膝にパッドが当てられていた。これがどれほどありがたいものかは、パッド無しの服でアスファルトの上を百メートルほど匍匐前進すれば容易に実感できる。また服の生地自体が零技術による特性で、マル外によっては有害な体液等をある程度防ぐことができた。
その上から、各種ポーチに弾倉、衛生キット、無線機等、装備がぎっしり詰め込まれたプレートキャリアを身に付け、右大腿部に09式の入ったホルスターを装着する。
次いでヘッドフォンを耳にあて無線機と接続。最後の仕上げにヘルメットだ。軽量なプラスチック製で、スケードボーダーやスノーボーダーが使っているのとほとんど同じものだった。防弾能力はないが、頭を強打して星もしくはヒヨコを見る心配はない。
着替えが終われば次は武器。二人はペリカンのケースの中から04式5.56ミリ特殊小銃を取り出した。
04式は米軍が使用するHK416小銃を零情で正式採用したもので、レイルシステムで各種オプションを取り付け、任務や好みに合わせてカスタムすることができる。また09式と同じように零技術による収縮薬莢弾と専用の消音器を使用できるよう改良されている。
ホロサイトにフォアグリップ、強力なLEDのフラッシュライト、レーザーサイト、銃口には消音器を取り付けていた。勿論全て調整済みだ。
30発入りの弾倉を嵌め込み、槓桿を引いて送弾。薬室に初弾を装填する。これで切り替え軸を安全装置がかかっている「ア」から単発の「タ」もしくは連発の「レ」に合わせて引金を引けば弾が飛び出す。
「マルマル、マルマル。マルヒト。感送れ」
マヤの落ち着いた声がヘッドフォンに響く。マルマルは駐屯地でふんぞりかえっている佐藤を、マルヒトはマヤ自身を指す。映画のように、ケレン味溢れるコールサインで呼びあうことなどない。実際は味もそっけもない数字で呼びあう。くだけた表現にすると「佐藤さん、佐藤さん、マヤです。聞こえます?」といったところか。
「マルヒト、マルヒト。マルマル。感よし。よく聞こえる」佐藤は相変わらずの調子で答えた。
「マルヒト了」そこでマヤは区切る。「戦闘班各員、状況を知らせ」
捜査の際は二人一組の行動班だが、戦闘の際はマヤを長とし四人一組で動く。四という数は、イギリス陸軍特殊部隊SASが戦場で多くの血を流しながら割り出した数で、各国特殊部隊の編制の基本となっている。
「マルフタ準備よし」と神崎。目の前にいるものの、無線機の点検も兼ねてしっかりと答えておく。
「マルサン、準備よし」
「マルヨン、準備よし」
村木と鮎沢がそれぞれ返答した。問題なく聞こえている。これで武器、装備、無線と点検は全て終えた。準備は万端だ。
「了。周辺警戒」
この場合の警戒とは、周辺の民間人の有無だった。近所の奥さまに、うっかりハイエースから黒ずくめの特殊部隊員が飛び出してマンホールに滑り込むのを目撃されれば面倒なことになる。いくら揉み消せるとはいえ、余計な騒ぎは起こさないに限った。
神崎は素早く周辺に目を光らせ、誰もいないことを確かめる。
――平和、守ってるんだけどな。
ふと、神崎は思っていた。
守ってるんだけどな。マル外から。
恐怖はなかった。しかし、これが死ぬかも知れない危険な任務だという自覚はあった。
有害マル外の駆除。災害派遣。言葉遊びでぼかされているが、これが地球外生命体との戦闘だという事実にかわりはない。
アニメや特撮だったら子供たちのヒーローだ。それなのに、現実はこうしていちいち人目を気にして、こそこそ隠れてやらなければならない。
――なんなんだろう。
とはいえ表立って称賛されて嬉しいかと言われれば、素直に喜べない自分がいるのもまた事実だった。
自衛官が日陰者から頼れる存在として脚光を浴び、人から手を振ってもらえるのは、いつだって誰かが不幸になった時、誰かが犠牲になった時、誰も望んでいないことが起きた時だ。
災害を望む自衛官などいない。戦争を望む自衛官などいない。地球外生命体との戦闘を望む自衛官などもっといない。しかし、それが起きた時のために日々訓練を重ね、いざことに臨んでは危険を省みず、専心職務の遂行にあたり、もって国民の負託に応えなければならない。
なんなんだろう、この仕事は。それはすべての自衛官が心のどこかで抱えている、決して割り切れないなにかだった。
ぽんと肩に置かれた温もりで、神崎は我にかえる。マヤの手だった。
――仕事。仲間。
自然と浮かび上がったその単語が、なにか自体を急速に溶かしていくのを神崎は知覚する。
強い正義感ゆえに。国を守る使命感ゆえに。崇高な愛国心ゆえに。そんなご立派なお題目は、所詮は入隊最初の三ヶ月間、基礎の基礎である前期教育さえ経験したことのない外野が「反省」も「台風」も「ハイポート」も「バウムクーヘン」も知らないまま勝手に唱える理屈で、馬鹿馬鹿しいまでに実像から解離したファンタジーでしかない。
演習場で催したら、そのへんの藪の中で突き出した尻を虫に食われながら踏ん張るという経験を一回でもすれば、そのようなお題目などなんの慰めにもならないどころか、余計に心を荒ませ、虚しくしてくれるだけだということはすぐわかる。それより「まあ、仕事だからな」「みんなそうだしな」の一言の方が遥かに説得力があった。
声援も称賛もなく、それどころか誰に知られることもないまま地球外生命体との戦闘に臨めるのも、根本的には同じ理由からだった。
給与に見合うかはともかく、こういう仕事で、同じ仕事をやってる仲間がいる。自衛官が、それ以前に当たり前の人間が、黙って任務を果す理由などそんなものだ。
昼時なのが幸いした。閑静な住宅街に人の姿はなく、ひっそりと静まり返っていた。いける。
「異常なし」
神崎と村木がほぼ同時に告げた。
「マルヒト了」凛とした指揮官の声。「スタンバイ」
三回スタンバイコールのあとゴーで突入だ。
「スタンバイ」
04式の安全装置を解除。単発に合わせる。
「スタンバイ」
ハイエースのドアに手をかける。最後にもう一度周辺警戒。異常なし。突入をやめることも、やめる理由も、もうない。
「ゴー」
末尾にビックリマークのつかない、徹底的に抑揚のない乾いたゴーだった。神崎は一気にスライドドアを開いた。
マヤが音もなく滑り出、真っ直ぐマンホールに向かう。神崎もあとに続く。
向かいのハイエースから、鮎沢が同様に滑り出てきた。鮎沢の04式にはM320擲弾発射器が取りつけられ、火力を増強している。
鮎沢が工具をマンホールに掛け、この上なく静かに、素早く開放する。
突入というデリケートな作業をやる場合、いちいち何をやるか大声で宣言したり、目を合わせて頷きかけるといった無駄な動作は一切しない。黙々と手筈通りに行動するだけだ。
開けると同時にビックリ箱よろしくタコハチが飛び出してくる可能性がある。銃口をぽっかり口を開いた深淵から離さない。
なにも出てこなかった。
神崎が前進。穴を覗きこむ。地下へ続く錆びた梯子。井戸よろしく水が見える。他になにもない。少なくとも見える範囲にタコハチはいない。親指を立てて合図。異常なし。
次いで暗視眼鏡を下ろし梯子を降下する。ここで襲われたらたまったものじゃないが、その時はその時と割りきるしかない。
可能な限り静かに水面を割る。思っていたほど深くはなかった。くるぶし程度だ。
時代を感じさせるレンガの壁。幅10メートル、高さ5メートル。情報通りだった。タコハチはいない。襲撃の気配もない。いまのところは。「マルフタ、異常なし。降下点確保」
全員が降りてくる。振り向かなくとも、互いに死角を補い合い、全方位を隙なく固めているのがわかった。そこに個人という単位はなく、班という一つの生き物といってよかった。
ここまでは順調だ。もっとも、これまでの経験上マル外と遭遇してから順調に進行することなどまずなかったが。
「マルマル。マルヒト。地下に潜入。これより捜索に移る」
「マルマル了」
「1班が先行。マルヨンは距離を取りバックアップ。いつも通り」
「了解」
「了」
「あいよ」
04式を隙なく構えながら、神崎とマヤは互いをかばい合い、静かに前進を開始しする。少し遅れて鮎沢が続いた。
地下という空間は全くと言っていいほど光量がなく、いかに零技術の補正を使用していても暗い。
ゆっくりと、静かに前進する。そして――
「正面、コンタクト」
マヤがレーザーの光で位置を示す。目を凝らすと、約40メートル先で何かが蠢いているのが、暗闇にも関わらず不自然に輪郭が明瞭な視界の中に浮かび上がった。
神崎はハンドサインで自分が行くと合図し、マヤが援護位置に回るのを気配で察しながら、息を殺して前進する。真っ直ぐに銃口を、レーザーの光を向けて。
30メートル。20メートル。10メートル。反応はない。5メートルで、神崎は銃口を下ろすと、それの傍らにしゃがんで脈をとった。
「……最悪だ」
マヤが傍らに立った。珍しく、その表情が険しく歪んだ。
「マルマル、マルヒト。送れ」
「どうした?」
「行方不明の女性全員を発見」
「全員?容態は?」
「生きてますが、死んでるようなもんです」思わず神崎は吐き捨てていた。
蛙の卵巣を思わせる、ゼリー状の物質にまみれた女性たち。行方不明となっていた三人だった。いずれも服は着ていなかった。というより、引き裂かれ、その残骸が僅かに張り付いているだけだ。痩せ衰え、生気のない虚ろな目で口を力なく開閉させ、虚空を掴もうと手をさ迷わせている。詳しく精細すると、後頭部に傷があった。そして腹部が妊婦にしても異常なほど大きく膨らんでいる。
「タコハチの新しい生態がわかりましたよ。ヤツはジガバチと同じように、人間を生きたまま捕獲して卵を産み付けるみたいです。ご丁寧に神経を潰して、まともに動けない状態にして。何らかの毒物を注入した形跡もあります」
ふざけた名前とは裏腹に、悪趣味でグロテスクな生態だ。名前といい学名といい、誰かさんがなにも考えずにつけたのがよくわかる。
「だから女ばかりが行方不明か」
「ええ。おそらく女には、子宮という卵を産み付けるのに最適なスペースがあるからだと思われます。病室で犠牲になった子は、巣に持ち帰る前に逃げ去ったのかと」
マヤが冷たく告げる。
「だろうな。で、そんなスペースがない男は喰っちまうと。やれやれだな」
「どうします?救出――」
神崎が言い終わらないうちに、マヤが女性たちの腹部に向けて発砲していた。同じ人とは思えない、まさしく断末魔の悲鳴が響き渡った。腹部が風船のように破裂し、内臓が、そして膜に包まれたタコハチの幼体が転がり出てくる。マヤは無言で幼体を踏み潰し、動かなくなるまで二度、三度と弾を叩き込む。神崎が茫然としている間に、それを三度繰り返した。
「それでいい」と佐藤。
「なぜです!!」
「あなた自身が言ったじゃない。死んでいるようなものだって」
「ですが!」そんな意味じゃ――
「わたしは幼体の排除を優先した」
「そうだ。そしてこれで秘密も守られる。彼女たちはこのまま行方不明な方が、我々にとっても都合がいい」
「仮に家族のもとへ返せたとしても、よけい苦しめるだけだ」と、一部始終を聞いていた村木。
「マル外にレイプされ、しかも神経をやられた植物状態で、真相もわからないまま、じゃあな」と鮎沢。
「そういうことだ」
――溝。とてつもない溝を感じ、神崎は憮然とした目をマヤに向けた。
「わたしたちの仕事は正義の味方じゃない。自衛官なのよ」
マヤは真っ直ぐに神崎と向き直る。
「我が国の平和と独立を守り、国の安の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とする。そのために地球外生命体がもたらす脅威を秘密裏に排除する。国民には敢えて真実を知らせない。知る必要もない。この人たちは行方不明になった。それ以上の事実はない」
迷うな、考えるな。疑問を持つな。慣れろ。マヤが、そして皆が、この場の空気が神崎にそう告げていた。
それは、言い出したらきりがないほど矛盾に満ちている自衛隊という組織が、個人に対して求める唯一にして絶対のものだった。
この組織は一般的なイメージとは違い、上に極が付く右翼が狂喜乱舞し、左翼が怒りのあまり発狂しかねない、いわゆる愛国心だとか、天皇陛下万歳的な精神は求められない。あるのは「慣れろ」という、冷酷なまでにシンプルな理論だけだ。
迷うな。迷っているヒマなどない。考えるな。考えだしたらきりがない。疑問を持つな。疑問を持ったところで答えはない。ここはそういう場所で、そういう仕事だ。だから慣れろ。
それが出来ず、最終的に自衛隊を去っていく者も多い。時に精神に破綻をきたす者や、自ら命を絶つ者さえいる。しかし、それで何が変わることもない。組織にしてみれば、かわりなどいくらでもいるのだ。
神崎は気づいていた。自分がいま相対しているのはマヤという個人ではなく、彼女を、そして自分を動かす零事案情報隊であり、自衛隊であり、日本という国家そのものなのだ。それに対して異を唱え、問いかけたところで答えはない。刃向ったところでどうしようもない。それでも――
「ニード・トゥ・ノウ、ですか」
かろうじてそれだけを絞り出す。「知る必要性」を意味する言葉。転じて「知る必要のないことは知らせない」「知る必要のないことは知ろうとしない」という意味を持つ軍事用語。情報保全の大原則。
「ええ。まだ納得できていないようだけど――いまはこれ以上議論しているヒマはない」
不意にマヤは銃口を頭上に向けた。
「直上!!」
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