タコハチヤ・タコヤキーヤ4

「よっしゃ。命令下達だ」

 地下の会議室。スクリーン脇の講義台に立つ佐藤は、どこからともなくるんるんと効果音が響いてきそうなほど素晴らしくご機嫌な様子だった。

 そりゃそうだろうなと、神崎は思う。どう考えてもマル外なタコが病室で大暴れし、女子高生と刑事が犠牲となり、居合わせた村木と鮎沢も死にかける事態が発生したのだ。零事案特措法に基づく零事案情報隊の活動根拠「地球外生命体による重大かつ緊急な事態」が発生し、「零事案の対処は、零事案情報隊があたる」と明記されている以上、こそこそ嗅ぎまわる必要はなくなった。事件は警察から零情の――はっきり言ってしまえば佐藤のものとなったのだ。そりゃあ気分がいいだろう。

 とはいえ、現場に出る身としては、そういう本音はなるだけオブラートに包んでもらいたいと神崎は思う。2班の机をみやると、村木と鮎沢も同様の見解のようだった。なにせ死にかけたのである。

 もっとも、佐藤にいちいち辟易していたら無駄に疲れるだけなのもまた真理。例によって無表情を決め込んだマヤに倣い、神崎は崩れかけた姿勢を正すと話に集中した。

「まずは状況のおさらいだ。約二週間前、3月22日午前6時ごろ、東京都練馬区ひかり台の住宅街路上において、男性の惨殺遺体がジョギング中のおっさんによって発見された」

 佐藤が講義台に置かれたノートパソコンのマウスをクリックすると、スクリーンに警察から提供された事件現場の鑑識写真が投影された。血まみれのアスファルトに砕けた骨と足の一部。それに引き裂かれた衣類等が散らばっている。何故か黒縁眼鏡が無傷で転がっていた。

「見ての通りひどいありさまだが、財布も身分証明書も盗まれていなかったため身元はすぐに判明した」

 次いでスクリーンに投影される被害者の顔写真。ボサボサの天然パーマに黒縁眼鏡、分厚い唇に低い身長。お世辞にもハンサムとは言えない、どこか残念な雰囲気を漂わせる男だった。

「被害者は鏡慶吾、26歳。現場付近のアパートに暮らしていたフリーターで、交友関係から怨恨の可能性は薄い。また、金品も奪われていないことから、ひかり台署は猟奇事件として捜査本部を設置。まあ、強盗に狙われるなりでもないし、誰がどう見てもまともな殺され方じゃねえからな。本格的に捜査に乗り出したわけだ」

 経歴も残念な男ではある。しかしながら、この死に方は残念を通り越して悲惨過ぎだ。

「またひかり台では先月に2件、今月に1件、女性の行方不明事件も発生している。いずれも自宅からすぐ近くの路上で忽然と姿を消している。お巡りさんたちも馬鹿じゃないから関連を疑い必死に捜査していたんだが、手がかりはまったく掴めずにいた」

 佐藤は一同を見渡すと、得意げに口元をゆがめた。

「第一の事件が報道された段階で、俺はこれが零事案じゃないかと睨んで警察のお偉いさんに情報をよこせと咬みついたんだが、あいつらこれは通常の猟奇事件だからうちの管轄だと突っぱねやがったんだよ」

 通常の猟奇事件という言い分も釈然としないが、日ごろ零事案特措法を盾に好き放題行動した挙句、ろくな説明もないまま現場の保全や隠蔽等の尻拭いばかり押し付けられるとあれば、警察が面白くないと思うのは当然の成り行きだった。警察に限らず、零情を目の敵にしている機関、組織は多い。今回のように協力が得られず、違法すれすれどころかバレたらアウトの内偵捜査で尻尾を掴むことの方がむしろ多かった。

 神崎たちが日夜現場でマル外と戦っているように、佐藤は縄張り争い、組織の軋轢、縦割り社会の弊害等と呼ばれるものを相手にしているわけだ。

「だからお前らを潜り込ませ、零事案成立の要件を満たす証拠を集め、早急に上の許可を取り付けるつもりだったんだが…一歩遅かった」

 結局、組織のメンツが動機のくだらない縄張り争いのために全容解明と対処が遅れ、犠牲者が出てしまったことに変わりはない。一応佐藤も人の子らしく、苦々しく顔をしかめる。

 僅かな沈黙の後、気を取り直して佐藤は続けた。

「ムラ、アユ。お前らが見たのはこいつだな?」

 スクリーンに次々と、巨大な円筒形の容器に納められたタコの標本、写真、詳細な三面図が表示される。

「こいつだ」鮎沢はスクリーンのタコを忌々しげに指差した。「だよな相棒?」

 村木もうなずいて肯定する。

「一連の事件は全部こいつ、タコハチがやったとみて間違いない。全長は最大5メートル。宇宙空間を卵のような状態で回遊しており、ごくまれに地球に落下してくることがある。人間を食い物としか思っていないため、コミュニケーションもクソもなくいきなり襲いかかってくる」

 鮎沢は肩をすくめた。「みたいっすね」

「大概は大気圏突入時に燃え尽きたり、着地の衝撃に耐えられず即死して消滅するせいで、グレイなんかと違って人類に認知されることはなかった。たまに砂浜に打ち上げられ、オカルト雑誌をにぎわせる謎のゼリー状の物体の正体はこいつだ。2班が遭遇したのは誕生まもない幼体だろう。女子高生の腹部に卵を産み付けていたようだな」

 ふと神崎は、写真の右下に小さく『Σ4提供』のキャプションに気が付いた。

 ――やはり本社の提供か。

 Σ4――正式名称プロジェクトシグマ・フェイズ4は、ロズウェル事件でのファーストコンタクト以降、アメリカ合衆国大統領直属の秘密機関として、現在も活動を続けていた。その活動目的の詳細はほとんどが機密で、佐藤でさえ断片的にしか知らないほどだ。

 そもそも1954年、創隊間もない航空自衛隊内に零情の前身である未確認飛行物体調査研究班が設立されたのも、零事案特措法が制定されたのも、アメリカの意向によるものだった。Σ4が本社なら、零情は日本支店。Σ4会系情報機関零情組といったところだ。

 もっとも米軍と自衛隊の関係も似たようなものなのだから、ここは仕方がないと割り切るしかない。

 病院での一件も、佐藤の連絡によりキャンプ座間から駆けつけたΣ4の要員によって引き継がれ、村木と鮎沢はその場から締め出される憂き目にあっていた。

 詳しくはわからないが、いつも通りなら既に現場は表向きのシナリオに合わせて作り直され、回収されたタコハチとやらの遺体は横田基地の定期便でアメリカに送り出されているのだろう。

 ――聞いてるか、カンザーキ。

 佐藤の一言で、神崎はふらついていた思考と目線を慌てて正した。背筋を伸ばし、視線は佐藤の目に固定して、わんちゃんよろしく「聞いていますアピール」を全身で行う。納得した佐藤は頷いて続けた。

「タコハチの生態についてはほとんど謎だ。どういう理屈なのか知らんが、孵化から数日で3メートルほどに巨大化。地上ではゴキブリ並に、水中ではペンギン並に素早く動き回る。光が苦手なのか活動は夜間のみ。昼間は暗いとこにいるのはわかってる。こいつにはこの素晴らしき地球の環境は適していないらしい。運よく孵化しても長生きは出来ず、よほど条件が揃った場合でも一ヶ月ほどで死ぬ。そのためか必死に人間を捕食して生き延びようとすんだがな」

「あの、質問いいですか?」

 神崎は自衛隊流に拳を握って手を挙げる。

「おう」

「その、タコハチってのは正式名称なんですか?」

「うむ」よくぞ聞いてくれたと言わんばかりの、まるで向日葵のように明るい素敵な笑顔で、佐藤は言った。「正式名称だ。ちなみに学名はタコハチヤ・タコヤキーヤだ。第一発見者には命名の権利があるからな」

「第一発見者ってまさか――」

 まずい。ものすごく嫌な予感がする。

「そう!俺だ!ぴったりの名前だろう?」

 神崎はがくりとうなだれ、鮎沢は天井を仰ぎ、村木は頭痛を感じたのか額に手を当てる。マヤでさえため息をついていた。にもかかわらず、佐藤は自信満々だった。

「別にいいだろ?トキの学名なんかニッポニア・ニッポンだぞ。ニシゴリラの場合はゴリラ・ゴリラ。ニシローランドゴリラに至ってはゴリラ・ゴリラ・ゴリラなんだからな。いやー、初めてタコハチと北海道で遭遇した時は大変だったんだ。何しろ冬戦教上がりのレンジャー小隊が危うく――」

「あー…もういいです」

 なんだよ、つまらないな。これからが本題なのに等とひとしきりぶつくさつぶやいた後、誰も相手にしていない現実に気づいた佐藤は咳払いでごまかした。

「――でだ、昨夜の事件を受け、政府は一連の事件を地球外生命体災害に認定。零事案の要件をすべて満たしたことから、正式にうちに仕事が回ってきた」

 ここからが本題だ。一同は姿勢を正した。

「本日マルキュウ・マルマル、零事案特措法第二条2項に基づき、我々零事案情報隊に対し、正式に災害派遣命令が発令された。俺たちはタコハチ捜索行動に移り、発見次第これを駆除する。いつも通り隠蔽は他があたる」

 マル外による脅威を外部からの武力攻撃と解釈し防衛出動とするか、あくまでも生物による災害と捉えて災害派遣とするかでは、当初相当な議論があったらしい。

 結局、地球外生命体は人間ではない以上、武力攻撃には当たらず、タコハチのように人に危害を加えるマル外は有害鳥獣ならぬ有害マル外であり、したがってそれによる被害は災害と解釈され、かつてその名目で漁場を荒らすトドを駆除していたのと同じ理屈を適用し、災害派遣で落ち着くことになった。

「要するに俺たちはこのタコ野郎をとっとと見つけ、ぶっ殺せばいいってことだな?」

 鮎沢がわかりやすく要約した。

「そういうことだ。いつもと同じで、俺たちは零事案特措法に基づき、いかなる活動も制限されない。また、必要に応じあらゆる機関を指揮下に置くことができる」

「うっし!行くぞ!」

「まあ待て。ちとダレてきたがもうちょっと俺の話を聞け」

 佐藤は席を立ちかけた鮎沢を制する。

「お前らの報告を受けて、俺なりに調べておいたことがある。こいつを見ろ」

 スクリーン上にひかり台の地図。二つの赤い点と三角の赤い点が三つ表示される。

「赤い点は二つの事件現場だ。三角は行方不明者の住居」

「バラバラですね」村木が率直な感想を述べた。

「そう、バラバラだ。だがこいつはどうだ?」

 地図に新たな赤い直線が表示される。赤い点は完璧に重なり、三角の点も近接している。

「これは?」

「ひかり台はもともと大戦中に旧日本軍の駐屯地が置かれていた。戦後日本に進駐したアメリカ陸軍が在日米軍キャンプ・ガーブラクトとして使用後1972年に日本に返還され、住宅街となった。この直線は旧日本軍時代に設営された地下壕の本線だ。米軍基地時代にも使用され、現在は下水道の一部として利用されている。総延長2キロ。幅は10メートル、高さ5メートル。複数の支線も存在するが、資料がなく詳細は不明だ」

「目撃者はマンホールの中に消えたと言っていた」自分自身に言い聞かせるように、神崎は言った。「間違いなさそうだ」

「夜行性なら、おそらく今はこの中に潜んでいますね」村木も肯定する。

 鮎沢もマヤも異存はないと頷く。

「そういうことだ。お前たちは下水道工事を装い、ひかり台一丁目のマンホールから地下壕東端に潜入。タコハチを捜索、発見次第排除しろ。質問」

「なし」全員の声が揃った。

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