6.前日譚と出発の日
街の制度や仕組みに関与するためには多くの融資が必要となる。
問題に対する解決策を講じるためには予算が必要になる。この事はどの世界においても明確な議題として持ち上がる。
豊はハガンカの孤児問題や雇用待遇問題についてビットマンにいくつかの進言を試みた。ビットマンも、豊が魔術【過剰なる糧】を用いて孤児や浮浪者に対して食糧支援を行っているのは認知していた。しかし、個人の支援にはその問題の規模に対して限界がある。
そこでビットマンは領主として、ハガンカの有力者に融資の申し出を促す試みをした。ハガンカでは月に一度、【ハガンカ定例会】なるものが開かれている。各地の問題を議題にあげ、種別に関係なく解決へと導く試みである。
その定例会には労働者組合の組長や、各商店の代表、輸送会社の社長、政治や司法を司る貴族なども参加している。
流れとしては、議題を挙げ、各担当が持ち帰り、次の定例会までに解決策や結果を明らかにするというものであった。
「ビットマン。今回の議題は孤児院設立の提案と雇用問題における待遇の改善となっているが、どちらも過去に、五年前に起こった災害とモンスター増加によって予算が確保できないという理由で建築中止。見直しとなったのではなかったのか?」
ビットマンに意見を出したのは、同じくハガンカで経済問題を取りまとめている貴族【フリードマン・ジンクス】である。
「その通りだ。我がルーティーン家でも長い備蓄と資金プールを行ってきたが、目標の金額まで残り二割。制度として成立させるには三年は掛かると考えられてきた」
その話を聞いた労働組合のトップ【メニット・ハタラーク】が機転を働かせる。
彼の手元には大きなメモの束が握られており、それを確認しながら話を進めていく。
「労働者たちからも報告に挙がっている、お前ん所の家庭教師が大きく関与しているな……? 例のおにぎりを出すという【飯の魔術師】だろう?」
「め、飯の魔術師だと⁉ そんな奇天烈な魔術師がこの屋敷に居るのか⁉ かのビックハットでも食物を生み出すことは不可能と言われ、精々作物の急成長が限界だと言うのが通説ではなかったのか⁉」
「フリードマンが驚くのも無理はない。実際このビットマンですら、直接目にするまでその魔術の存在を信じることが出来なかった。しかし、彼は救済活動として魔術で握られた食物を孤児や浮浪者に配り歩いておる。勿論私も認可した」
「秘匿するべきだ! この街で囲い込み! その恩恵を有益に利用するのがハガンカを守るものとしての義務ではないのか⁉」
「フリードマン。もう遅い。彼が初めて魔術を使ったのは俺のギルドだ。噂は既に、ギルダム王国中に届いているだろう」
「メニット、労働組合でユタカがおにぎりを配った時、気力体力共に絶大な回復力を見せたというのは真実であるな?」
「あぁ、うちの受付嬢【シェルジュ・カーティ】もその回復力を直に体験している。その後、幾度となくクエストを受注した際、体調を崩していた傭兵や、傷を負った冒険者などに【光り輝くおにぎり】を配っていたという報告もある」
「労働力の強化……体力の改善……! これらを利用し、働ける者の力を引き出すことが出来れば、ハガンカにおける労働者の成果は一時的に向上するはずだ」
ここまで聞き、フリードマンが察する。
「孤児院建設に労働者を充てろ、という事か……⁉ 資金はどうする⁉」
「……我が家でプールした金がある。後は……! 貴族連中から資金援助を募る」
「無茶だ! 経済連の奴らもない袖は振れぬ! 経済活性化の起爆剤でも用意しないと奴らは納得しないぞ! ただでさえ魔物が活性化し、田畑は荒れ果てて税は回収できぬ中で、冒険者などの実力者に金を払い続けている!」
「そこで奴らを黙らせる一品を用意した。このレシピがあれば黙って金を出す」
ビットマンがメイドに指示を送ると、続々とカートに載せられた【アップルパイ】が運ばれてくる。
「なんだ。ただのアップルパイではないか……! リンゴの産地である南ハガンカでは最も有名でポピュラーな料理だ! これでは……! な、なんだこの芳醇な香りと香ばしさは……! ただのアップルパイではないな⁉」
「うぉおおぉ……このメニット・ハタラーク。これ程食欲をそそられる体験をしたことはない……! これもまさか例の魔術師が……⁉」
「かなり複雑なレシピだ。彼がルーティーン家に提供してきた。まずは食べてくれ」
「オレは言われなくても食べるぞ! 素晴らしい香りだ。リンゴの酸味だけではない。生地の香ばしさに卵の風味もある。表面を焦がしてワザと香りを立たせている! うぅ……! ザクザクとした触感……⁉ 薄いパイ生地が何層にも重ねられているせいか、新たな触感が生まれている……! 馬鹿な! 王に献上でもするのか⁉」
それ程までに手の込んだアップルパイはこの場に集まった有力者の度肝を抜いた。
レシピというものは情報が集まりやすい現代において軽視されやすいものだが、料理人が独自の調理法や配分量を用いて苦労を重ねた執念の結晶がレシピである。
「しかし、レシピがあったところで再現性はあるのか……⁉ このクリームも見た事がない。甘さから考えて砂糖を使っている様にも思えるが、甘さが濃い! この状態で紅茶を含むと……ゴクリ……また美味い……! 紅茶の風味と苦みが甘みを洗い流し、また新たな心持でアップルパイを食べられる……! 永久機関か……⁉」
メニット、フリードマンを皮切りに、有力者達がアップルパイを次々と口に運ぶ。
「こ、これはたまらん……! リンゴは並べただけでなく一度調理されている!」
「これは果物を煮込んで保存力を強めるコンポート技術! パイに転用したのか⁉」
「そして、このクリームの滑らかな舌触りと優しい甘さ。リンゴと調和している!」
【これが家で食えたなら】皆がそう考えた。各家にはお抱えの料理人が存在する。このレシピを覚えさせて各地で披露すれば、自分の存在を強く知らしめることが出来る。まだハガンカでしか知られていない、このアップルパイをどうしても手に入れたい。彼らの思考は一瞬にして支配されたのである。
「ビットマン! 残り二割は我が【ジンクス家】が出す! レシピを公開しろ!」
「フリードマン! 抜け駆けはよせ! 【ハタラーク家】も出資する! これを国中のギルドで提供すれば莫大な利益になる!」
「【ハコベール家】も一枚噛ませてくれ! このレシピが知れ渡ればリンゴの需要が爆発的に増える! 輸送が独占できれば支援金も提供できる!」
「我が社も!」「我が家も!」
新しいレシピの需要は強い。食事はこの国において力のある娯楽だからである。
娯楽は明日への希望を見出し、現実の過酷さを薄める。これは厳しい世界を生きる人々にとって大きな利益につながるのだ。
「ユタカからはこのレシピを扱う権利を買い取ってある。故にこれはルーティーン家のレシピだ。孤児院建設の残り二割と、労働環境改善策の制度確立に必要な資金。これらをルーティーン家の提示する一定金額融資してくれた者に、レシピを公開する仕組みを用意した。更に、このレシピをパワーアップさせる追加レシピを、労働環境改善策の貢献度、つまりは支援金額に応じて公開する」
「これの上がまだあるのか⁉ 今ので十分な利益が望める完成度だぞ⁉」
ルーティーン家が持つ情報の力。たった一人の魔術師によって覆る需要。それを管轄しているビットマンの人望。ハガンカ領主を誠実に熟してきた家。
メニット・ハタラークは驚愕していた。彼の計算では今のレシピでも、ギルドの酒場と食堂ひとつにつき、銀貨十数枚の売上金が望める。それが領地内のギルドで展開した場合、その利益は莫大なものとなるのは明白であった。
「わかった! 貴族の経済連を説得する! 必ず納得のいく支援金を提示する!」
フリードマン・ジンクスもレシピ公開の条件を飲み、契約書にサインをした。
これを見た他の人物も、我も我もと契約を交わしたのであった。
結果的に、この談合によって社会福祉の支援金が爆発的に増加し、孤児院設立や雇用制度の改正に大きく貢献したのであった。
この集まりは豊が出発する一週間前に開催された。
何故なら、豊の能力を独占しようと考える輩が手を出す前に、ハガンカを出発させる運びとなっていたからだ。彼を囲い込もうと準備をしても一週間では足りない。
この事もビットマンは計算していたのである。
―――――――――――――――
「長い間、お世話になりました」
豊の雇用期間が終了し、昨日はささやかな宴の場が用意された。
主人、雇用人を含め皆大いに楽しんだ。
「ユタカ、またいつでも遊びに来るといい。次また会う時は友人として歓迎させてもらう……お主の進言で生まれ変わったハガンカを楽しみにしていてくれ」
「旦那様……幾重にもわたる便宜、心より感謝いたします」
「身体に気を付けてね。街の外は凶暴な魔物も多いと聞き及んでいます……。ほら、二人とも……ユタカにさよならを言って」
「……ユ゛タ゛カ゛ァ゛……行かないでぇ……!」
可愛らしい顔を崩しながら、アンリエットは泣き散らかしてしまっていた。
上等なシャツの袖は彼女の涙で滲んでしまっている。
「泣くなアンリエット……。もう会えないってわけじゃないんだから……。引き止めてしまってはユタカも困ってしまうだろう?」
宥めるハイネの目にも、涙が溜まっている。
懸命に涙をこらえているのが、豊にも伝わってきた。
「夫人。坊っちゃん。お嬢さま。それと、共に働いてくれた同僚の皆さん。短い間でしたが、大変お世話になりました!」
豊が深く頭を下げると、ビットマンが目の前にひとつの包みを差し出した。
「ユタカ。コレはルーティーン家からの贈り物だ。今朝一番に届いた物でな、なかなかの逸品だぞ」
豊が受け取った包みの中には、磨き上げた業物のショートソードがあった。
鞘から取り出してみると、練り上げた純度の高い鉄が、太陽の光で煌めき、
その剣の上等さを重厚に示している。そして
紋章が刻まれた剣。それはつまり【ユタカを家族として受け入れる】という印に他ならなかった。立場ある家としては破格の対応と言わざるを得ない。紋章の入った品を渡すという事は、その相手に対して家、さらに言えば一族が発言および行動の責任を取る意図がある。
「旦那様……‼ これは……‼」
「ハイネとアンリエットの案なんだよ。君の役に立つ贈り物がしたいとね。改めて宣言をしよう。このギルダムだけでなく、すべての国において、ルーティーン家は君を支持する!」
「ユタカ。あなたの力でたくさんの人を救ってください」
「ユタカ。もう泣かないわ……がんばってね!」
「ありがとうございますぅ……‼」
「ふふっ……ユタカもまるで子供みたいね」
二人を抱き締めた豊は、皆の心遣いに歳も忘れて泣き散らかした。
ルーティーン家で過ごした日々は、豊にとって忘れがたい思い出となっていたのである。
「(あぁ、まだ僕は……心の底から泣くことが出来たんだ……)」
――ルーティン家の家族構成は、北条家とまるで同じであった。
父は妹が生まれてから二年後に事故で亡くなっていたが、豊は父親から受けた愛情をそのまま妹へと向けており、母親からの感謝の言葉は深く彼の心を満たす。
必要とされているという事実は、自身の存在意義を確立するのに十分な理由だ。
「(助けを必要としている人達には家族がいる。それはかけがえのないものであり、異世界であろうと変わらない……僕は手の届く限り、人々を救う救世主になる!)」
【豊の救世主としての決意は、ルーティーン家との絆で強く固まった!】
「さぁ、ユタカ! 行くのだ! まだ見ぬ、君の助けを求める人々のもとへ!」
「はいっ!!」
業物のショートソードを引っさげて、豊の旅は始まった。
三カ月の給与で準備した数々の装備と旅の必需品は、これからの冒険を大いに助けることになるだろう。荷物を満載した背嚢を背負いなおし、新品の外套が風に靡く。
ハガンカで過ごした三ヶ月あまりは、この世界のチュートリアルとして為になることばかりであった。屋敷の書庫では書物を読み漁り、一般的な常識をはじめとして、冒険を潤滑に進めるであろう専門知識も時間の許す限り詰め込むことが出来た。
人類幸福度上昇の旅は、これから始まる。
豊は知らない。ハガンカでの生活における日頃の行いや、【過剰なる糧】を用いた救済活動。広く知れ渡った火事での一件で、ルーティーン家のメイドを始めとした、町娘たちからの評判がとても良かった事を……。
「……レノア。良かったのか? ユタカについていかなくても」
「何を言ってるのよクラウド。ユタカには大きな目標があるのよ? わたしが出る幕じゃないわ。まぁ、あれだけいい男をみすみす逃すのは大きいけどね。今の生活をすべて投げ捨てるほど、恋に恋する乙女でもないわよ」
「そう言い切る割には、目が真っ赤じゃないか……随分と世話になったんだろ?」
「うるさいわねぇ……ちょ~っと孤児たちの支援してもらって、働き口見つけてもらって、あいつらが住める場所が出来たってだけよ……。あとは、旦那様の働きかけで労働者環境も見直しが始まって、炊き出しの回数も増えた」
「ユタカ……どれだけ自分の手間と給料をつぎ込んでくれたんだよ……。物語に登場する英雄だって、ここまでしてはくれないぞ……」
豊の背中を目で追い続けるレノアの手には、丸めた羊皮紙が握られている。
主な内容は彼への感謝だが、少女の儚い想いと愛が綴られていた。これを読めば豊はレノアを喜んで娶るだろう。だが、その決断が救済の旅を続けたいという彼の首を絞めるのはレノアにも理解できた。
「……渡さなかったのか? あれだけ練習して書いた手紙なのに……」
「男にとって女がどれくらいの重荷になるかわたしは弁えてるの。大人だから」
「……そうか」
クラウドはそれ以上追求する事はなかった。幼い頃、家族と離れ離れになってしまった彼女の詳しい事情を知っている為だ。
「また会えるわ。ユタカなら大丈夫よね……!」
――豊は歩き続ける。遥か前を走る幌馬車は決して乗り損ねたのではない。
馬車の行き交わない場所にこそ救済を求める人々がいるのだと考えたのだ。
「(ルーティーン家で過ごした日々を振り返ると家族の事を思い出した。母さんと由佳は達者でやってるだろうか……まぁ、この救済が終われば元居た時間軸に戻るんだけど……こんな調子で世界の救済なんて出来るんだろうか……)」
【ピーピー……ガガッ……】
『やぁっとハガンカを出発したのねユタカ青年……。三ヶ月のチュートリアルはどうだった?』
「女神様は容赦なく他人の感動をぶち壊しますね……」
『何よぉ〜! コッチはようやっと仕事がひと段落して、様子見に来てあげたっていうのにぃ〜! 神様は忙しいのよ~! 惑星の体表温度を一定に保ったりとか!』
「それはどうもありがとうございます、はい」
『ナニソレ〜? もっと感情込めてよ〜! 私この世界の神様なのよ〜?』
「それはそうとして! 女神様どうなってるんですか!!」
『えぇ~? 何がぁ〜?』
「異世界に来たら美少女にモッテモテだって言ってたじゃないですか‼ 獣人とかエルフとか! モンスター美少女とか!」
『少なくともモンスター美少女は言ってないでしょ! 私は【需要はあるかもね〜】ってニュアンスでモッテモテって言ったのよ〜?』
「ズルいですぞ! 優良誤認! 詐欺ですぞ‼」
『そんな事よりも! 副神リアーラから【人類幸福度】のお知らせが届いたわよ! 今から封を切るわね! 私もまだ見てないの! 一緒に定期通知を見ましょう!』
「この通知が旅の指標になってくれることを切に願う……」
『あっ! 2.5%に上がってる! やった~! 初めて人類幸福度が上がったわ! ユタカを救世主にしたのは間違いじゃなかったんだわ~~~!』
「……救った人々の数を考えれば、大体の目途はつきましたな。ハガンカでは孤児の支援を徹底的に行いました。食糧支援が主でしたが、ビットマンさんにも話を通して新たな孤児院の設立も約束してもらいました。雇用問題や労働環境も改善が見られると思います」
『はぁ~! よかったぁ! 惑星の温度調整で残業した甲斐もあったわ~!』
「そんなに大変なんですか? 惑星の温度調整」
『大変よ~! 地球の神は下手くそでしょ? 急に暑かったり寒かったり』
「令和ちゃんのクソ雑エアコンってネタ、あながち間違いじゃなかったのか……」
『それじゃあ新天地に向かって出発~! っても私は天変地異制御の仕事があるんだけどね~!』
「女神さまってちゃんと仕事してるんですな……」
『ちょっとぉ! どういう意味よそれ~⁉』
――改めて、北条豊の異世界救済はここから始まるのであった。
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