4.豊の魔術

 ある日の寝苦しい夜に、その事件は起きた。

「ユタカ青年、起きて!! 起きなさい!!」




「あぁ……? 女神様……?」


「何だか様子が変なの! 早く外へ!」




 只ならぬ女神の様子に

豊は寝床を飛び起き、部屋を飛び出すと

慌てふためく周囲の様子と夥しい熱気から現状を理解した。



 本館から離れにある子供部屋から

ごうごうと音を立て、激しい火の手が上がっていたのだ

【子供部屋】とは呼ばれているがそこは貴族の屋敷

一般的な家よりも遥かに大きい構造をしている。


 それ故に、鎮火は容易ではなかった。



「旦那様!!」


 豊が駆けつけた現場には、燃える建物に対し

必死に水の魔術を唱えるビットマン氏と夫人の姿があった。




「ユタカ! まだ中に子供達が……!! 子供達が……!!」


 主人の放った言葉を全て聞くよりも先に

所持していたシーツをバケツの水に浸し

豊は駆け出していた。

 炎渦巻く建物内に躊躇いもなく向かってゆく


「我が身に体現せよ! 溢れ出せ! 第一の術ッ!」



 短い詠唱を経て、豊は魔術を発動させた

彼が使える魔術の中で今最も有用な魔術


【激しい発汗】


 炎に対する抵抗を、著しく向上させる魔術の一つである。

彼が神の力で世界線を跨ぎ、異世界に来る際

人生経験と、魔術適性により発現したこの魔術。


 見た目は汗っかきのデブにしか見えないが

炎や熱への耐性は、抜群に高い

彼の夏には、大量の飲料水が必要だった。



 出入り口は、燃え盛る炎に包まれており

常人ではとても、足を踏み入れることは出来ない

そんな状況下でも、豊は一切の迷いすらない。


 身を焦がす炎をものともせず、子供部屋に突入し

ロビーから階段を駆け上がり、扉を蹴破ると

素早く二人を発見。安否を確認してから、濡れたシーツで包み込む。


「(二人とも、眠ったように静かだ……!)」

 子供たち様子から、煙を吸い込んでいる可能性を考慮し

早急に脱出を試みる。


 二人を抱きかかえたその時

突如として、屋敷全体が大きな音を立て、天井の一部が崩れた。


焼け落ちた瓦礫が、三人を襲う。その瞬間


【動け、早く】


 詠唱と共に、豊の第二の術が発動!



【クイックアップ】


 彼の身体からは信じられない程の高速移動を実現させる時の魔術


 彼が高校時代友達とのじゃんけんに負け続け

三年の間、購買戦争を勝ち続けた伝説が、魔術として体現したもの

人の隙間を縫い進み、速さと正確さを備え、目的を完遂する動き


 当時の友人曰く『豊が三人に見えた』

との証言も多数残っており

卒業文集にも、この奇妙な出来事は詳細に載っている。



 この魔術も、世界を股にかける際に発現したものだ

女神の話では現代での能力の一部が

魔術として体現されたのだという。



 自らの表面を少し焦がしながらも

豊は、子供達二人を無事に救い出した。


 しばらくして、呼吸と意識を取り戻した子供達に

大人たちは安堵の表情をこぼす。


 我が子の無事に魔術による消火も忘れ

泣きながら抱き合う一家


 豊は、二人の無事を確認しながら

激しい発汗を撒き散らし

高速移動で、バケツの水をかけ続けた。


 彼と使用人達の活躍により火は消され

辺りには、焼け焦げる臭いと

何故か、肉の良い香りが漂ったという。





 のちに判明した事だが

火の出所は、アンリエット本人であり

怖い夢を見た際、誤って発動した魔術だった。


 本来このような事態が起こらぬ様

魔術には【詠唱】という過程が設けられている。


 さながら、発動や発現における最終確認、認証行為

パスワードの入力に似た様なものである。


 その過程を破棄してまで、【誤認してしまった】

身の危険を払おうと、魔術が発動してしまったのだ。

 幼いながらも、才能を持つが故の事故。


 具体的な内容は、記憶にないと本人は言うが

大きな暗闇が、大地の底から溢れ出し、全てを飲み込むという

漠然としたものであった。


 アンリエットはこの件を深く反省をし

自分の持つ火と魔術の怖さを、身をもって体験した。


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