第2話 ガタニア

唯織は首に、見舞いにもらった果物を包むためのリボンを巻き付けていた。

そのベットに座っているもうひとりの女性は叶愛かあいという名前だ。

お互い「イオ」「カナリ」と呼びあった。


「イオ、いくよ。」


「うん。」


叶愛は唯織の首をリボンで締め上げる。

唯織はうめき声を出さないよう自分の持っているハンカチを口に詰めている。

叶愛は抗がん剤により長く力を入れることができず締めては力尽き、また締めては止まる。

しかし、徐々に全身の体力が尽きてしまい締めることが出来なくなった。

彼女達は交替にこの自殺幇助じさつほうじょを繰り返している。

「自分で死にたいよね。」その言葉に意気投合した日からそれは始まった。


「何をしてるの!」


呂澤ろざわ病院の1号室に女性看護師の切り裂く声が響く。

藍原あいはら 叶愛の首をシーツを捻ったもので締めている菱形唯織の姿を見た看護師は、唯織を引き離し呼び出しボタン二度三度通しながら「誰か来てください。」と叫んだ。

叶愛は心肺停止で集中治療室に運ばれたが蘇生措置により命はとりとめた。

残された唯織には警察による病室での事情聴取が待っていた。

本人の病気を考え考慮されたのだ。

その後この事件は裁判が行われ「殺人未遂罪」か「自殺幇助」かに焦点が当てられたが叶愛が蘇生したと同時に「私が締めてと頼みました。」と証言したため菱形唯織には無罪の判決が下りた。


自分が自らの手で生命を断つことは人間の限界以上の強い執念が必要になる。

だから誰かに縋りたいと思うのだ。

手を下す人間がその時本人の明日起ころうとする幸福に気付けば自殺を幇助しようとは思わないだろう。

何故なら殺してあげようとする人間は相手の幸福を願っているのだから・・・。




狭川医師に一報が入った。

菱形唯織が自殺未遂をした。

彼女は殺人未遂のあと呂澤病院から別の病院に移された直後、壁に自らの頭を気絶するまで打ち付けた。

それを聞いた狭川は、東丁総合病院に彼女を向かい入れる決心をした。

東丁総合病院には癌の専門医も在籍している。


「うちであれば自殺と癌両方の治療ができる。彼女を救うためにはうちしかない。」


そう言う狭川に対し、スタッフからは反対の声が多くあがった。

他の患者さんになにかあったらどうするのかと。

その不安を一蹴したのは鴨臥木院長の言葉だった。

「病を受け入れるのは病院の根源である。」と。

狭川はまた鴨臥木院長に救われたのだ。

「俺は自分勝手な医者だ。」と自虐しながら菱形唯織の来る日を待っていた。




「よくいらしてくださいましたね。」


菱形唯織は、癌の進行が早まり既に自立歩行が困難になっていて、ベッドに寝たままの入院となった。

額には瘉えたとはいえ壁にぶつけたときの傷が深々と痛々しく残っていた。

狭川の言葉にも反応がない。


「佐川先生、先に私の方から。」


癌専門医、端詰はしづめ 神太郎かみたろう医師が唯織を癌科病棟へ運ぶよう看護師に指示した。


癌の進行度合いは誰もが外見で分かるほど早い。

癌細胞はあっと言う間に人間の生きた細胞を食い尽くし最後には身体同様に屍に変えてしまう。食われたら終わりなのだ。

早期発見早期治療其れが現代医学でできる限界だ。


唯織の心は転移した癌と同様に蝕まれ、腐蝕した木材のようにいつバラバラに砕けてもおかしくない状態だった。

「死を持って精算する」それが彼女の心情だった。


「菱形さん、癌科の検査はこれで終わりです。疲れましたねぇ。ごめんなさいね。このあと精神科の診察があります。狭川先生に会いに行きましょう。狭川先生は好きですか?優しいですもの、きっと疲れも取れますよ。」


最近の女性の成長を昭和の女性に比べることには無理があるが、身長170センチ程あるだろう、唯織に説明責任を果たしながら患者のリラックスを促す女性看護師は、一人でベッドを押しながら3階の癌科からエレベーターを使い2階の精神科へ菱形唯織を移動させた。


狭川の前に移動式ベッドが座っている。

彼は立位で診察する。


「お疲れのところ申し訳ありません。少しお時間を頂戴します。」


唯織は天井に埋め込まれたLED蛍光灯をじっと見つめたまま動かない。

頭を横に出来る事は端詰医師から聞いていた。


「眩しいでしょう。」


狭川は唯織の頭を自分の方へ少し捻った。

安心した狭川は診察を始める。


「今、なにか困っていることはありますか?」


いくつかの質問をしてみるが、診察は狭川の一方的な言葉で終わろうとしていた。


「生命は神秘に溢れている。」


唐突に彼女が呟いた。

狭川は脈略を追わずその言葉を繰り返す。


「そうですね。どうしても人間は知識に傾き情報に頼ることで安心しようとします。病気であれば医学知識ですね。でも人間の秘めているものはどれだけ高学歴の人間であろうと解き明かすことができない、人は神秘的な生き物です。」


狭川は彼女の言葉を前向きに受け取り「お疲れさまでした。今日はこれで。ゆっくりお休みください。」そう伝え、看護師を制し自ら癌特別病棟へ彼女を送り届けた。


東丁病院の癌特別病棟は今回、彼女のために作られた。

鴨臥木院長は同じ様な境遇の患者をこれからも受け入れるつもりだとリフォーム型のこの部屋を設置した。

隔離病棟と外観は同じだが部屋の中はホスピスのように自宅で寛ぐ環境に近いものだ。


花瓶に飾られる花は毎日日替わりで近所のフラワーショップから取り寄せる。

今日は黄色と赤いストライプが鮮やかなガタニアが飾られている。

花言葉は「あなたを誇りに思う」「笑顔で答える」「身近な愛」理由は過剰な気持ちにならないよう配慮された花だった。

過度の感情移入で患者やスタッフたちの心身に負担がかからないよう配慮された。

勿論、花言葉の知識など頭にはない狭川は、看護師から聞いたガタニアの花言葉に身の引き締まる様な気持ちを覚えた。

その鮮やかさはこの部屋を明るく照らし人間を凛とさせる不思議さを兼ね備えた神花だと思った。


人間が神秘さを失う時、詰まり誰もが永久に生きることができる時代になった時、人は誰もが分かり合える人間となる。

其れは生が死ぬ時である事に他ならない。

神秘さのある今だからこそ人の尊さを感じる筈なのだ。


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(続)生死の境・・・極限 138億年から来た人間 @onmyoudou

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