第18話 名探偵・阿笠湖南
殺人事件がおきた。とある地方都市の市長が惨殺されたのである。
それは、あまりにも奇妙かつ不可解な点が多く、解決するにはあまりにも難しい事件だった。
所轄警察署の者だけでは手に余ることであり、捜査本部には県警本部の者はもちろん県内のあちらこちらから凄腕と呼ばれる刑事たちが集まった。
しかし、それでも殺人の容疑で逮捕されるに足る人物は見当がつかない始末。疑わしい者も少なく、あまつさえわずかに存在する疑わしい者にもしっかりとしたアリバイがあった。
警察関係者は警察の威信にかけて懸命の捜査を続けた。しかし大多数の捜査員の心持ちとしては、完全に手詰まりとなったこの事件に対し、焦りのモードから諦めのム
ードへ移っていった。
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!」
重苦しい空気を突き破るかのような素っ頓狂な声を上げて、その男は入ってきた。男は、安っぽいパイプ煙草の煙を吐いている。当然ながら公共施設内では禁煙なのだが。
(呼ばれてないのに変なのが飛び出てきやがった……誰だコイツ……)
室内の捜査員たちは暗然たる気持ちで、恨めしそうに、苛立ちをも伴ってこの男を見やった。
だが捜査一課課長は素晴らしいタイミングだと感激しながら彼に向かって走り寄り、歓迎の意を表明。
「お久しぶりです! 名探偵・阿笠湖南(あがさ・こなん)の頭脳をもってすれば、事件は一瞬間に解決しましょうぞ!」
今度は室内がざわめいた。この、世の中を舐めきったかのような冴えない中年男が……あの伝説の名探偵・阿笠湖南とな?
ほぼすべての捜査員にとって、阿笠湖南はレジェンドであり、かつ幻にも似た状態の人物だった。人は見かけによらないものという言葉の典型だ。
この数十年の間に街で起きた難事件を解決しまくった名探偵は、久しぶりの登板に意気込んでいた。
捜査一課課長は、初めこそ興奮気味だったが、まったく容疑者の見当がつかないことを恥じてか、バツの悪そうな態度で湖南に捜査の進捗を詳細に報告した。
だが名探偵・阿笠湖南は、名探偵と呼ばれるだけあって余裕綽々。鷹揚にうなずいてから少し間を置いて、室内にいる者全員に聞こえるように語り出した。
「皆さん! 大丈夫です! 私にはすべて分かりましたよ!」
皆、一様に驚く。阿笠湖南は立て続けにまくし立てる。
「そもそも! 証拠が多すぎるんです! この事件は! はい! よろしいですか? よろしいですか? まずもって凶器とされる刺身包丁。こんなものはたいした問題じゃあない! 重要なのは、まずヨモギ。そしてギター。少しだけは参考になるのが、我が国が誇る天才数学者の岡潔による多変数解析函数論においての三つの大問題解決です!」
ぽかーん、とするしかない周囲に構わずに阿笠湖南は断定した。
「真犯人は……市長の愛人の友人の知り合いの父親の知り合いの友人の愛人の市長ですね!」
急転直下の事件解決。市長の愛人の友人の知り合いの父親の知り合いの友人の愛人の市長は任意聴取に至って犯行を認めた。これから動機をはじめとした詳細が判明していくのだろう。
阿笠湖南はその名推理によって社会に名をとどろかせるようなことにはならない。彼は風のように現れて、一瞬で事件を解決したかと思うとまた風のように去っていくのだ。行方は誰もあずかり知らぬところだ。
捜査一課課長は、これで警察の威信を落とさずに済んだと安堵する。
容疑者逮捕から一週間ほど経ったある昼下がり、部下の一人が捜査一課課長に訊ねた。
「課長閣下、あの名探偵・阿笠湖南氏は、なぜああも見事に事件を解決に導かせることができたのでありましょうか?」
課長は紙巻き煙草の煙を吐きながら答える。くどいが、公共施設内は禁煙のはずだ。
「名探偵・阿笠湖南は、人智を超えた天才だ。凡人たる我々には到底理解の及ばぬ頭脳の働きを見せる。天才の思考回路を知ろうとしても難しすぎて無理だ」
事実、事件解決の決め手となったと思われるヨモギ・ギター・多変数解析函数論にまつわる何とやらの意味は、誰にも分からなかった。
しかしそれらには、常人には計り知れぬ大いなる意味があるのだろう。
いや、意味はないかもしれない。
そのようなわけで、名探偵・阿笠湖南の名推理はこれからも警察組織などには思いもよらぬシステムによって難事件解決をバリバリと遂行されるのであった。
永遠に解明されないシステムによって。
最大の謎は阿笠湖南という男の存在ではあるが。
ともあれ、嗚呼、天晴れ。
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