scene 6. よろず相談承ります

 月曜日。サムは十日前に依頼のあった調査の報告のため、ノースビーチ地区まで出かけた。

 依頼は、そろそろ結婚を見据えて正式に婚約をと考えている、娘の恋人の身辺調査であった。依頼人である母親は調査対象の家族や学歴、人柄などはよく知っているが、実は前科があったり借金やギャンブル癖があったり、ドラッグの使用歴があったり、過去の恋人とのあいだに子供がいるなど隠し事がないか心配なので、娘にも知られないようこっそりと調べてほしいと云った。こういった身辺調査や素行調査は、探偵業の定番といえる、よくある仕事である。

 サムは、実は依頼を受けてから四日ですべての調査を終えていた。対象の若者は見事なまでに品行方正、一点の曇りもない経歴の持ち主だった。あまりにも清廉潔白すぎるその好青年にむしろ呆れ、サムは思わずこんなことを考えてしまった――こういう奴は、結婚して子供ができてから遊び始めて、慣れていない所為で問題を大きくしたりするんだぞ、と。

 ところで、報告を今日まで遅らせたのには理由があった。ある人物の経歴などを洗いだすのは、元連邦捜査局FBI特別捜査官という経歴を持ち、高い調査スキルとあちこちに伝手があるサムにとってはなんの造作もないことである。だが、調査があまりにも早く終了しすぎると、依頼人は満足しないのだ。

 というわけでサムは、五日前にはできあがっていた調査報告書を、十日間しっかり調べ尽くしました、という顔で提出してきた。おかげで懐は久しぶりに暖かい。真上から注ぐ初夏の陽射しよりも熱いくらいだ。

 愛車のアンバサダー・ブロアム・ワゴンで探偵事務所へと戻る途中、サムはチャイナタウンに立ち寄った。事務所を出てノースビーチ地区に向かっていたときから、今日のランチは中華料理チャイニーズのテイクアウトにしようと決めていたのだ。チャーハン揚州炒飯ムーグーガイパン蘑菇雞片エッグフーヤン芙蓉蛋……海老のロブスターソース蝦龍糊もいい。今日は奮発だ。

スモークダック樟茶鴨も夜のつまみ用に買っておくか」

 車を駐めた場所から少し歩き、着いた中華飯店はちょうど昼時で混みあっていたが、サムは勝手知ったるという顔で裏へまわった。





 探偵事務所に戻ったサムは、オフィスの奥の応接室でTVを視ながらランチを摂った。スモークダックと、食べきれなかったムーグーガイパンを半分残し、他の容器は綺麗に平らげられていた。琉璃塔が描かれたチャイニーズカートンを丁寧に畳み、持ち帰ってきた袋に入れる。そしてその袋ごと雑巾を絞るように捻り潰すと、サムは空いたテーブルに新聞を広げた。

 食後の一服に火をつけながら、一面の見出しに口許を歪める。『連続殺人、次の犯行はいつ? 何処で?』『〝魅惑の殺人鬼The Fascinating Killer〟の犯行パターンを考察する/三度続けて殺人が行われたのはサンフランシスコが初』――思わず、模倣犯の証拠はまだかと本部からせっつかれているネッドを想像し、笑いが溢れた。

 ざっと記事を流し読みして一枚捲る。紙面の下のほう、広告欄に並ぶ細かな文字を囲んでいる枠を左から目で追い、サムは自分が掲載を依頼した広告を確認した。

 『マクニール探偵事務所 各種調査・捜索など、よろず相談承ります。元FBI捜査官であるサム・マクニールがプロフェッショナルに解決します/探偵事務所二階、空き部屋あり・下宿人ロジャー募集中。クローゼットのある1ベッドルーム、専用バスルームと階段、出入り口(裏手)付き。キッチンは共用。犬好きな方歓迎』――その下には家賃と『応相談』という一文、電話番号と住所が記されている。その周りにはトラックドライバーや配管工などの求人や、不用品を売りますといった様々な広告が載っていた。

 探偵事務所の広告はこれまでにも何度か打っているが、あまり効果は期待できなかった。どれほどの人がこれを目に留めるにせよ、探偵を必要としているような人でなければ意味がない。もっと云えば、困り事を抱えてはいても、金には困っていない依頼人でなければ自分が困る。

 しかし今回、この広告をだしたのは、どちらかというと下宿人募集のためだった。

 家賃は相場よりもやや良心的な数字にしてあるが、それでも一人分の家賃が入るのと入らないのとではかなり違う。とはいえ、金のためばかりではない。サムは尾行調査などで三日間まったく家に戻らないこともあるので、留守番代わりがいてくれるとありがたいのだ。ハリウッドに行くと出ていってしまったジェフは、頼めばジョンの餌やりや散歩もやってくれ、とても助かった。――そのかわり、家賃をまけてやったりもしたが。

 新聞をぱらぱらと捲り興味を惹かれたところだけ読み終えると、サムは立ちあがってデスクに向かった。そして坐る前に抽斗を開け、大きな画用紙とマーカーペンシャーピーを取りだす。

 真っ白な画用紙に、サムは『空き部屋あり』と、新聞に載せたのと寸分違わぬ文面を丁寧に書いた。目立たせたいところは何度かなぞって太く、視認しやすいよう赤や青のマーカーペンも使って仕上げていく。

「こんなもんかな」

 できあがった下宿人募集の貼り紙を手に持ち、めいっぱい離して眺めてふむ、と頷く。サムは次にスコッチテープを取りだすと、外に向けて窓に貼ろうと後ろを向いた。

 そのとき。サムが意識するよりも先に、自然に焦点が動いた。窓を見るはずの視線はガラスを通過し、外にいるその人物をフォーカスした。目が合った。先日オールズモビルを踏みつけて逃げていった、あの少年だ。

 少年ははっとした表情をしつつも、階段の陰でそわそわと躰を動かしながらこっちを見ている。逃げようかと迷っている様子だ。サムもどうしようかと一瞬考えたが、少年から目を逸らさないまま掌を上に向け、こっちへ来いと合図をした。

 ぱちりと大きな目を見開き、少年は十秒ほどの逡巡のあと、そろそろと階段を上がり、探偵事務所のドアを開けた。


 恐る恐るという感じでオフィスに入ってきた少年は、先日逃げだしたときより子供っぽく見えた。不安げだからだろうか。黒い癖っ毛の陰から覗く大きな目は、きょろきょろと警戒するように部屋の中を見まわしている。このあいだと同じ、色褪せてくたびれたTシャツにジーンズ、スニーカーという恰好。背は自分より高くネッドと変わらないくらいあるが、躰はほっそりとしていてあまり健康そうには見えない。

 サムは努めてのんびりとした口調で、「中華料理は好きか? ランチを買いすぎて余ったんだ……ムーグーガイパンとスモークダックがある。食うか?」と云ってみた。少年は少し面食らった表情になったが、その一瞬後「要らない。俺は物乞いじゃない」と口先を尖らせた。

「すまん、そういうつもりで云ったんじゃない。食いきれなくてな、もったいないだろ。……まあそれはいい。ところで、今もこのあいだもどうしてここを覗いてた? なにか困り事でもあるんじゃないのか」

 少年はサムの質問には答えず、飾り棚の脇からオフィスの奥の部屋まで覗くと、「あの赤い車に乗ってた奴は? 今日はいないの?」と尋ねてきた。

「ああ、あいつは偶々訪ねてきてただけの旧い知り合いだ。今日はいない。というか、しょっちゅう来るわけじゃない」

「なんだ、そうなんだ。あんたの息子か恋人かと思ってた」

「どっちでもない。元同僚だ」

 なんの仕事の、とは尋ねられなかったが、探偵事務所の広告に元FBIと記載している。ひょっとするとこの少年は、今日のではなく一ヶ月ほど前に掲載した新聞広告を見てここへ来たのかもしれないと、サムは思った。

「まあ、せっかく入ってきたんだから、とりあえず坐れ。俺はサムだ。ご覧のとおり探偵をやってる。よろず相談承ります、ってな」

 そう云って、促すようにじっと少年の目を見る。すると少年はわかったといったふうに何度か頷き、ソファにすとんと腰を下ろした。

「……リカルド」

「リカルドか、いい名だ。愛称はリコ? リッチー?」

「その呼ばれ方はどっちも好きじゃない。リックでいい」

「リック。腹が減ってないなら、なにか飲むか? ビールはまずいのかな、歳は?」

「……十七」

「ドクターペッパーと7UPセヴンアップがある。どっちがいい?」

 リックは途惑ったような、少し拗ねたような表情で「7UP」と答えた。

「よし、取ってこよう」

 サムが立ちあがり、オフィスを出ようとしたそのとき。

「スモークダックも」

 リックが付け足した一言に、「いいとも」と頷く。――やれやれ。今夜のつまみがなくなったなと思いつつ、サムは奥のテーブルに置いたままのカートンを指さした。

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