scene 5. カストロ通りで朝食を
翌朝、サムとネッドは揃って朝食に出かけた。
カストロ通りにあるザ・コーヴ・オン・カストロは、店舗は小さいながらも美味しい家庭料理が食べられると評判の人気店だ。サムは昨夜の宣言どおり、朝目覚めてジョンの散歩と餌やりを済ませると、ネッドを叩き起こして車をださせた。
注文したメニューは定番のかりかりに焼いたベーコンが添えられたパンケーキ、そしてコンビーフハッシュとオムレツ。ネッドはパンケーキではなく、フレンチトーストを選んでいた。
食事を愉しみながら、周りをきょろきょろと見てネッドが云った。「こんなところで男ふたりがメシ食ってたら、勘違いされるんじゃないすか?」
カストロ地区は飲食店や雑貨店、レコードショップなど様々な店が立ち並ぶ賑やかなところだ。ゲイバーやゲイのための書店、ビデオショップ、レザーウェアの専門店など、他ではあまり見ない店も多くある。
バターミルクパンケーキがその甘い香りを残して口のなかから消えると、サムはネッドにこう答えた。
「心配するな。ここでもふつうに友人同士や同僚がメシを食うし、誰もいちいちそんな目で人を見とらん」
「サムはまったく気にしないんすね」
「別に、勘違いされたとして困ることもないしな」
そう云って次のひとくちを口に運んだ瞬間、ネッドがなにやら訝しげな表情になってサムを見た。その反応にパンケーキが喉に詰まりそうになり、サムは慌ててコーヒーで流しこみ、咳払いをした。
「いや、変な意味じゃないぞ。その……おまえ、考えたことあるか? ゲイの奴らはこういう地区以外の場所では、当たり前に異性愛者だと思われて生活してるんだ。なにも云わず、なにも表現してなきゃそう扱われるんだ。でも奴らはなにも云わない。云えないんだ。そして、俺たちはゲイだと思われることを忌避する。それはどうしてだ? そんな世の中を作ってるのは誰だって話だ。……そもそも、ベッドを共にする相手がどっちかなんて、他人が気にすることじゃない。家族だって、そんなこと訊きやしないんだ」
途中からはネッドにではなく、ほとんど独り言のようだった。サムは目をぱちぱちとさせているネッドに顔を向けると、「俺がこんなことを云うのはおかしいか」と苦笑した。
「いや、おかしいなんて、そんなことはないっす。……なんか、なんていうか、俺のほうがずっと若いのに、頭かたいんだなって気づいて反省してます」
ネッドのその反応に、サムはほっとした。
「そうか。俺はゲイじゃないぞって念を押す必要はなさそうだな」
「そこは大丈夫です、なんとなくわかります。……それに以前、結婚はされてたんですよね? 確か息子さんがいたとか聞いたことが――」
サムがその言葉にぴくりと反応した、そのときだった。
「あらサム! お久し振り」
いきなり背後からかけられた声に、サムは振り向いた。
「トリニティ」
躰にフィットしたTシャツにタイトなパンツ、そして足許はブーツ。髪は短く、化粧はしていないが、いかにもこの地区の住人らしい男がそこに立っていた。サムは「六月のパレード*以来だな。どうだ、元気にやってるか」と、そちらに向いた。
「あたしは元気よ、あのときは本当にありがとうね。今もあたしがこうしていられるのはサムのおかげ。あなたも元気そうで安心したわ。ジョンは?」
「ジョンも元気だよ。そうそう、実は、
「うちはいつでもオッケーよ。――お連れさん、邪魔してごめんなさいね」
いきなり話しかけられ、フレンチトーストを頬張りながらネッドがオッケーというように手を上げる。
「かまわんよ。今からメシか」
「テイクアウト。彼が、腹筋が背中に届いちゃうって」
「はは、そりゃあ急がないとな。よろしく伝えといてくれ」
ハスキーな声で柔らかく話すトリニティを、サムは手を振って見送った。サムたちの席から離れ、カウンターで注文を始めたトリニティを見やり、ネッドが尋ねる。
「彼……彼女? は、探偵事務所の?」
「あの恰好のときは〝彼〟でいい。ああ、数少ない依頼人だよ。『カプリッチオ』っていうナイトクラブを経営してる。ちなみに夜、仕事中に会ったときは〝彼女〟のほうがいいそうだ」
「パレードって……ゲイのあのイベントのことっすよね? サムも参加したんすか?」
「俺は沿道で眺めてただけさ」
さすがに当事者たちに混じって行進はしていないが、トリニティなど知り合いの顔を見れば手や旗を振りはしたなと、サムは思いだして顎を撫でた。
「ふうん……なんだか、いいっすね。サム、すっかりこの街に馴染んでるって感じで」
羨ましいっす。いいなあ、サンフランシスコ、などと笑みを浮かべてネッドが呟く。サムは照れくさそうに肩を竦め、カップに残っていたコーヒーを飲み干すと「さて、行くか」と腰をあげた。
探偵事務所に戻る道すがら、サムは通りで買った新聞にざっと目を通していた。ネッドも運転しながらちらりと紙面を覗き、「やっぱり戻りましたね」と苦笑いした。
新聞には『連続殺人、六人めの被害者か』、『〝
車が角を折れ、探偵事務所のある通りに差し掛かったときだった。サムが新聞を畳んでいると、ネッドが「誰かいますよ」と車のスピードを落とした。
エントランスへの階段途中で手摺から身を乗りだし、オフィスの出窓を覗こうとしている男がいる。空き巣が留守かどうかを確認しているにしては、えらく大胆だ――裏に犬がいたので表にまわったのかもしれないが。
サムは左手を前に差しだし、ネッドに進めと合図した。一言も交わすことなくネッドがゆっくりと探偵事務所をやり過ごし、少し先の街路樹の陰で車を停める。
ジーンズにTシャツ、癖のある黒髪。ほっそりとした後ろ姿のその人物は、ときどき背後を気にしながら、まだ部屋の中を覗っていた。
「……依頼人?」
「だといいが、どうもそんな感じじゃないな」
サムはそっと車から降り、事務所に向かって歩き始めた。ネッドは右手をハンドルに置いたまま、サイドミラーでサムと不審人物の様子を見守っている。
ゆっくりと近づき、サムが階段を上がりかけると、男ははっとしたように振り向いた。
「うちに御用かな」
太く黒い眉、黒い瞳。ヒスパニック系らしい目鼻立ちのはっきりした、整った顔だった。だがその男――というより、まだ十代後半くらいの少年だった――は階段の手摺を乗り越えてジャンプし、そのまま駆けだした。
「待て!」
サムが追う。同時にスキール音を響かせてネッドが車をバックさせた。サムの眼の前で舗道に乗りあげた車が、少年の行く手を阻む。いいぞネッドと一瞬視線を交わし、サムは足を止めた少年を捕まえようと手を伸ばした。
だが少年はちっと舌打ちしたかと思うと、オールズモビルのボンネットに飛び乗った。ネッドが「おい!!」と声をあげているあいだに少年は車を揺らす勢いでまたジャンプし、通りの向こう側へと駆け足で逃げ去っていった。
「俺の442になんてことしやがる!」
少年の姿はあっという間に見えなくなってしまい、サムもネッドも追うことは諦めた。――逃げ足が速い。誰かのことを思いだすなとサムは少年の去ったほうを見やりながら、いったいなんだったんだろうと首を傾げた。
ネッドを見送ったあと。サムは裏庭にいたジョンを中に入れてやり、オフィスに戻った。窓を開け、上着を脱いで椅子に腰掛けたとき、デスクの上に置いた新聞が風を受けヨットの帆のように膨らんだ。
「おっと」
デスクから落ちそうになるのを掴み、畳み直して重しに灰皿を置く。そうしてサムは反対側の端に置いたままだった古新聞の束を、元あったところに戻そうと立ちあがった。
壁際の棚に仕舞ったあと、サムはその上の段にふと視線を移した。
古新聞を仕舞った箱の上に、もうひとつ同じ箱がある。サムはその箱を持ってデスクに戻ると、そっと丁寧に蓋を開けた。
中には7インチのシングル盤が二枚と、やはり古新聞が入っていた。だがそれは先月とか去年の古新聞の束ではなかった。たった一部、日付は一九六七年六月二十一日。すっかり黄ばみ、皺だらけで端もところどころ破れてしまっているその新聞の一面には、『ゴールデンゲートパークに集まるヘイトアシュベリーのヒッピーたち』とあり、写真が大きく掲載されている。
立てて入れられているレコードはボブ・ディランの〝
サムは新聞やその写真を暫し見つめたあと、また中に戻し、溢れだしそうな感情を閉じこめるかのように蓋を閉めた。
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※ ゲイ・フリーダム・デイ・パレード・・・Gay Freedom Day Parade。
一九七八年六月二十五日にサンフランシスコで開催された、同性愛者の権利を主張するこのイベントで、
サンフランシスコに住むアーティストで公民権活動家、そしてハーヴェイ・ミルクの友人でもあったギルバート・ベイカーは、アレン・ギンズバーグから影響を受け、ジュディ・ガーランドが歌った〝
(ジュディ・ガーランドはゲイ・アイコンのひとりであり、ベイカーが〝Over the Rainbow〟にインスパイアされたというのが定説になっているが、ベイカー自身はローリングストーンズの〝
初めは8色で、それぞれの色に意味が込められていたが、ピンクの布地の調達が難しかったことから7色に減り、一九七九年にはターコイズとインディゴが青に置き換えられ6色構成になった。赤、オレンジ、黄、緑、青、紫の6色から成るストライプ模様は、現在まで最も一般的となっているプライドフラッグである。
♪ Bob Dylan "Blowin' in the Wind"
≫ https://youtu.be/MMFj8uDubsE
♪ Peter, Paul and Mary "Puff, the Magic Dragon"
≫ https://youtu.be/s26e_86-K0k
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