scene 4. 再現度と噂話
「――四件めから、凶器が変わっているんです」
大きなピンボードに被害者の遺体を撮った現場写真を並べて貼り、デスクには資料。ラージサイズのマグからは湯気とともにコーヒーの香りが立ち昇り、灰皿には溢れそうなほどの吸い殻。サムはまるで現役の頃に戻ったようだと思いながら、手帖片手に話すネッドの話を聞いていた。
「刃渡りは4・5インチほどとありますけど、三件めまでと刃の形状が違うそうです。こう、幅が細く真っ直ぐ気味なやつに変わってます」
「凶器を変えた? ……あまりないケースだな」
「ですよね。あと四件めから、先ず喉を掻っ切ったあと胸や腹を滅多刺しにするっていう、ソガードの手口とまったく同じになってます。再現度が上がったっていうか」
路上に仰向けに倒れ、着ている服を真っ赤に染めた若い女性の遺体――現場写真を見て、確かに以前のあの事件と変わらない様子だとサムは思った。
「模倣犯に刺激されて、新たな模倣犯がでたか?」
「その線も考えてますけど、当局が懼れてるのは……」
「本物の登場か」
ネッドは頷いた。
「実は、あちこちで聞き込みをしてる段階で何度か耳にしたんです。〝
「西へ? そんな話は初耳だが」
「ええ、ただの局地的な流言でそれほど広まってるわけじゃないっぽいです。チームのほうも同じ犯人が手慣れてきただけだろうって、そんな噂話はまったくとりあってないっすね。ただ――」
「……なにか引っかかるのか?」
「ええ、二点」
ネッドはマグを取りコーヒーを啜りながら、もう一方の手をピースサインの形にした。「ひとつは、その噂話はどうやら〝魅惑の殺人鬼〟復活説の最初の記事以前から流れているようなんです。俺はてっきり、記事からそんな話が広まったんだと思ったんですが、調べるとどうやらそうじゃない。最初にその噂を耳にしたのはもう二年近く前だって云う奴が、三人もいたんです」
ふむ、とサムは顎に手をやった。
「ふたつめは?」
「マスタング」
ネッドは困ったように眉間に皺を寄せ、答えた。「噂話なんてのは、同じ話でも地域ごとにちょっとずつ違ってくるもんですよね? でも〝魅惑の殺人鬼〟移動説に関しては、調べた限りではほぼ同じで。何処で聞いてもこんなふうです――まるで映画スターのようにハンサムな金髪の男が、夜な夜な黒いマスタングに乗って獲物を探している。その正体はあの〝魅惑の殺人鬼〟で、今度は西部で再び殺人を繰り返すつもりなのだ、って。こう聞くと、酒場で若い女を脅かしてからかおうとしただけの作り話っぽいですが――」
「証拠品として押収した奴のマスタングについては、公表してなかったな」
「そうなんです。でも、どっかから漏れたにしては色が違うし、途中で脚色されて変わったわけでもないみたいで」
ソガードが犯行のため移動に使用したマスタングのボディカラーは、ペブルベージュであった。人気のマッスルカーとしては、かなり地味な色である。
「夜に出没する殺人者が乗る車だ。黒のほうが、話としてはしっくりくるだろうが」
「……偶然ですかね? もしも本当にソガードが生きてて、今は黒いマスタングに乗っているとしたら?」
「つまり、四件めの犯行からは本物だって云いたいのか?」
「どう思います?」
サムはあらためて現場写真を注視し、捜査資料のコピーをじっくりと読んだ。夜、ひとりで出歩いていた若い女性という以外、被害者たちに似通った特徴や共通する点は特にない。犯行時刻はいずれも夜十一時から一時のあいだ。曜日も金、土、火、木、日とばらばらで、ソガードの事件とまったく同じだ。
だが、これらは遺体の状態と同様、当時の新聞で報道されていたことだ。模倣犯が真似てもなんの不思議もない。
「これだけじゃなんとも云えんな。三件めまではともかく、四件め以降のサンフランシスコでの犯行は、確かにソガードじゃないと否定はしきれないが」
「やっぱりそうですよね。なにか、なんでもいいからこれはソガードの犯行ではありえない! っていう点がみつかればと思ったんですが」
三杯めのコーヒーを飲み干し、欠伸を噛み殺しながらネッドは云った。「そうそううまくはいかないか。しょうがない、チームに煙たがられながら地道に捜査を進めることにしますよ」
ピンボードに貼った現場写真を剥がしながら、ネッドは「資料のほうはコピーなんで戻す必要ないっすけど、どうします?」と訊いてきた。デスクの隅に置かれた時計の針は零時過ぎを指していた。サムは資料のコピーをまとめてクラフト封筒に入れると、ストリングで閉じないままネッドに渡した。
「置いていかれてもどうしようもないな。ところで、おまえこれから戻るのか?」
「うーん、支局の仮眠室のベッド、硬いんですよね」
モーテルでも探したほうがいいですかね、と独り言のように云うネッドに、まったくこいつは、と苦笑しながらサムは後ろにある三人掛けのソファを指した。
「そのソファでも仮眠室のベッドよりはましだろう。おまえが嫌じゃなきゃ、ジェフの使っていた部屋もある。どこででも寝ていけ」
「いいんすか? やった」
「俺がそう云うのを待ってたろう。ばればれだ」
「さっすがサム」
サムはオフィスの明かりを落とし、ネッドを促しながら階段を上がった。その足音を聞きつけ、オフィスの奥にいたジョンも駆け寄ってきた。よしよし、待ってたか、もう
ジェフに間貸ししていた部屋は棚の中や出窓の上など、細々と置かれていたものがすっかりなくなり、きちんと片付けられていた。見たところ埃なども積もっておらず、ざっと掃除もしていったようだ。
バンダナを巻いた長髪に髭面、ぼろぼろのベルボトムジーンズにTシャツという恰好しか見たことのないジェフだったが、人は見かけによらないものである。
「綺麗っすね。俺んちよりいい部屋だ」
「うん、問題はなさそうだ。シーツとブランケットだけ出そう。取りに来い」
サムはそう云って部屋を出た。すると。
「シャワーも使っていいすか? あと、タオルも貸してもらえるとたすかります」
休日に遊びに来るような、そんな仲じゃないんじゃなかったのかと呆れつつ、サムは云った。
「……明日の朝食もおまえの奢りな」
「うへぇ、そう云われるような気がしてました。いいっすよ、モーテル代と比べりゃ安いもんっす」
「よし」
サムは自室である寝室を通り過ぎ、居間にしている部屋のドアを開けた。
通りに面した此処はちょうどオフィスの真上にあり、本来なら主寝室としての使用が想定された部屋である。サムはメインフロアの居間と応接室部分を探偵事務所として使っているため、アッパーフロアのこの部屋をプライベートな居間にしているのだ。
ドアを開けてすぐ右に折れ、サムはバスルームと向い合せにあるウォークインクローゼットから必要なものを取りだした。
「ほれ、ブランケットとシーツとタオル。まさか寝間着まで貸せとは云わんよな?」
「大丈夫です。いちおう着替えは一式持ってきてるんで」
アンダーシャツで寝て朝、着替えます、と云いながらネッドが奥の部屋に戻ろうとする。やれやれと思いながら、サムはおやすみの挨拶の代わりに「朝はかりかりに焼いたベーコンと、コンビーフハッシュ付きのパンケーキだな」と云ってやった。
うへぇ、旨そうっすという声とドアの閉まる音が、同時に聞こえた。
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