第3話 人格と知性と徳のリンク?いづれも漢語ではないもの

とある東国にある、横文字神社の御祭神のタヌキが始めた「でっかい私塾」。誰が呼んだか「教育ユートピア」であると。


ここでは、「西洋文明の超克」を目指す鋼鉄の心(鋼鉄の人の間違いなのでは?)を養成する事が重きを置かれた。


それは人格と知性と徳のリンクであると。しかし注意して欲しいのは、漢語のようなフリをしてるのだが、いづれも西洋の翻訳語の観念なのであった。英語の「Personality」と「Virtue」の訳語なのである。


ヤンキーの主人公は、西欧の徳観念なぞ知りようがないし、西欧文化の徳がある人はどんなものなのか。イリオモテヤマネコ並みに遭遇した事がない。


そもそも集団性が強いワークニにおいて、人格主義こと、「Personality」の観念を肌感覚で理解するのは一筋縄ではいかないものである。「Personality」というものは、そもそもどの道を通っても同じ所に到達する「道」という東洋思想とは違う所にある観念だ。それぞれ違うものが衝突する事なく包括されて存在してる感じだ。でもそれは、一体感が強い東洋の中では、バラバラに収蔵されてる博物館の展示物のような感じを受けた。そのように人を区分けする事に大変な違和感があった。


ただしかし、「Personality」という観念がある事で、それぞれの凸凹の個性を活かす形での教育方法(具体的に言うとかなり柔軟な個別指導)が取られて、一律にできなくても困ることはなかった。 


西欧の個人主義は、このような考え方が基盤となってるもので、この観念を肌感覚で理解できない事には「個人主義」も「人権」も理解するのは大変であろう。


人格と知性と徳のリンクなのだそうだが、この西欧の徳観念がヤンキーの主人公にはなかなか難しかった。


ヤンキーの感覚では、「知行一致」という陽明学の価値観が強く、能書きではなく黙って行動できる事が徳を実践できたと考えるのである。なので、あまりにも西欧の徳観念は「頭でっかち」に見えた。このような、露骨な知性主義をヤンキーの主人公は肌感覚で理解するのは大変だった。


そもそもヤンキー文化圏での高学歴の意味は「いい学校、いい会社」という昭和の価値観しかない。今のご時世、現場仕事の方が下手な高学歴より稼げるとなると、ますます意味がわからなくなってしまう。


ヤンキーが西欧の学校文化に合わないのは、西欧キリスト教の知性主義がやはり共感できる程理解できてないからだろう。


知性を持つ人間を、その他の動植物よりも特別な存在と見る世界観は、常に人種差別の「誰が知性を持つ人間」なのか?という事で揉める。二足歩行の人類がいて、肌の色や文化が違うだけで「人間ではない」とは、とてもヤンキーには想像できないものだ。


さらに近代の学校制度は、子どもの保護から始まった。しかし、ヤンキーはプレモダンな価値観の「子どもは労働力」という価値観から変わってない。変に金のかかる学校に行くよりも、早く働く方が親孝行という価値観だ。そんなんでは、近代の学校制度の意味を根源的に理解するのは難しいだろう。


ヤンキーに西欧の知の真義はわかるのだろうか?根源的には宗教問題になってしまいそうな気がする。


欧米人は仏教の「空(存在と非存在の中間形態のようなもの)」を虚無主義だとして恐れる。西欧キリスト教の教義学を作ってる土台を木っ端微塵に破壊するからだ。一神教は大体どれも仏教が怖い。しかしながら、東洋よりのキリスト教やイスラームは西欧ほどタブー感はあまりない。


「空」は虚無主義ではないのだが、特に空論を発展させた禅宗の価値観では、欧米人目線では充分に虚無主義に見えてしまう。それは、「枯山水」に表現されるような、デコデコしい無駄なものを削ぎ落としたミニマリズムの思考が働いてる。


そういう禅仏教の思考を無意識にしがちなヤンキーの主人公には、正直な所、西欧の言う「善」が本質的によくわからない。


西欧キリスト教社会は、ゴシック建築の教会のように欧州を統合する価値観を「建築」して、社会をまとめて来た。西欧の「善」というのは、そのような構築物なのだ。決して、その辺の草木のように自然に生えてくるものではない。ヨーロッパの街並みが人工的に設計されてると同じ発想だ。


またヤンキーの価値観は知られてないのだが、老荘思想が強く、余計なことをあれこれとしない方がより良く収まるという、西洋哲学で言う所の「予定調和」的な価値観を持っている。だからこそ、余計に人為的に国際秩序の構築のために、非西欧世界をかき回すのは本当に良いことなのであろうか?


この余計なことをしない「予定調和」は実に根深いものである。無為というのが言語化されないヤンキーの価値観だったりする。


高学歴層はヤンキーを誰一人として「伝統的」だと思ってないのだが、ヤンキーは日本全国津々浦々に存在するのに、高学歴層は主に都市部にしかいない。逆説的に西欧キリスト教の価値観が根付いてないヤンキー層はどうしても、西欧キリスト教を知らないせいで、無意識に価値観が西欧化してないヤンキーの世界はやはり古いままだ。


それは「伝統的」というのが元来の日本語にない言葉で西洋語の「Tradition」の訳語だからだ。そして「日本文化」というものを、オリエンタリズムの枠組みでしか見てないから、ヤンキーの古い価値観が見えなくなる。


ヤンキーの主人公にとって西欧文明はすべてが「頭でっかち」だ。そのような、ともすれば「バーチャル・リアリティー」で構築されてるのが西欧文明だ。まるで関東某所にある「ネズミの国(夢の国)」のように見える。


しかし、そのような人工的に作られたであろう、「でっかい私塾」こと「教育ユートピア」は世間と比べると実に居心地は良かった。


----------ここまで----------


台詞が全く無いライトノベル(笑)

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