第4話──2


  3


「やっぱ私、才能ないかも……。人生って儚いね……」

「こら、よしか。勝手に走馬灯見ないでー? まだまだレッスン初日だから、上手く出来なくて当たり前。落ち込まなくても大丈夫だからね?」

「穴があったら埋まりたい……」

「こらー? ハンドタオルで顔覆っても隠れてないよ? 頭隠してどこも隠さずだよー?」

 小春にとって初めてのダンスレッスンの後。講師の先生に挨拶をして練習場を出てロッカールームにて。小春はレッスン着のジャージから着替える余裕もないらしく、ベンチに座って虚無に浸っていた。挙句は持っていたハンドタオルで顔を覆ってそのまま何もない天井を見上げる始末。

 どうやら長期間、長時間配信に注力していたおかげでだいぶ体が鈍ってしまっているという事実を突きつけられたらしい。えなも音楽活動のためとボイトレとダンスレッスンに発起したのが少し小春より早く程度のものだから、落ち込んでしまう気持ちはよくわかる。普段座りっぱなしで運動もしていないと、思ったより体力が落ちていることにびっくりしてしまうものだ。座っていても配信するのに体力を使うものだろうに、世の配信者たちはどうやって今の荒波を乗りこなしているのだろう。聞きたい。聞きた過ぎる。

「配信始めてから、そこまで運動してこなかったんだっけ。それで最後までダンスレッスンに付いて行けてたんだからすごいことだよ。あたしなんて、初日はもうリズムも合わなくてボロボロ。レッスン中に体力続かな過ぎて休憩しまくってたくらいだもん。それと比べたらよしかは上々だよ。自信持っていいと思う」

「センパイってばぁ。そんな大げさに褒めたって何も出ないよぉ? ……でも、ありがと。ちょっと気持ち、軽くなったかも」

「あ、ちょっ、よしか……っ」

 嬉しさを隠し切れずにはにかんだ小春は、傍に立つえなの腕を抱き寄せてぎゅっと抱き着いてくる。水族館の一件以来、やけに距離が近くなってたまにこんな大胆にスキンシップをとってくる彼女に翻弄されている。さっきのレッスン中より心臓がバカみたいに駆動し始めていた。ふんわりと肘のところに当たるしなやかな彼女の感触を、意識しないために必死で頭の中で般若心経を唱える。暗記しておいてよかった。煩悩にはこれと素数を数えるのが一番効く。あとテトリス。

「……実際、センパイがいなかったら。配信もそうだし、こういうこともやってみる前から折れてたと思う。私、すぐ歳のせいにしちゃうから」

「あ……」

 微かに切実そうな響きを帯びた彼女の声にはっとなる。今のは本音なのだ。

 彼女は、リアルの姿とネットの姿を照らし合わせることを何より恐れている気がする。二つの姿のギャップは、彼女にとっての一番のコンプレックスなのだ。

 その不安を、えなにだけ晒して寄りかかってくれた。そこまでの信頼に応えないでどうする、あたし。

 えなは小春の肩に手を置く。

「そんなこと気にしなくていいの。よしかはよしか。小春さんは小春さん。どっちもあたしにとっては大事だから。君も、どっちも大事にしてあげて」

「センパイ……っ」

「わっ、ちょっと! まだシャワー浴びてないんだから、あたし汗臭いって!」

 感極まったように身を寄せる彼女を受け入れつつも、えなは少し自分の吐いた言葉に複雑な気持ちになる。

 よしかと小春。どちらも大事という言葉に嘘はない。でも含みがある。よしかは大事な後輩として。小春は、想い人としてなのだ。

 小春としての彼女との距離が縮まり、オフで会う頻度が増して。気持ちは鎮まっていくことはなくむしろ悪化しているような気さえする。

(……いつまでこれ、隠し通せるかな。……いや、ずっとだ。墓まで持ってく。そういう覚悟、決めてきたんだろうが、あたし)

 あくまでセンパイとして。空似ライメイとして。突き通して、彼女に余計な想いは背負わせない。

 あたしと一緒に活動してて楽しいと、ただそれだけ思っていてくれたら。あたしは満足なのだ。落ち着かない心に言い聞かせる。


「そういえばセンパイ、作曲の方は順調? 歌って曲も作れるのってすごいよね。私は絶対無理っぽい」

 レッスン用のスタジオを後にして、せっかくだからと二人で晩御飯を食べに近くのファミレスにやってきていた。

 小春はサラダをつついて本当に少しずつ口に含みながら、そう尋ねてきた。えなはレッスン終わりでお腹が空いているのでステーキとご飯にスープバーまでがっつりと楽しむことにしたが、小春はサラダとヨーグルトのみだった。「夜食べると太っちゃうし、運動しすぎてお腹いっぱいになっちゃったから」とは彼女曰く。もともと細すぎるくらいなのに、食べなくて大丈夫だろうかとこちらが心配になるくらいだった。

「あたしは音楽理論とか習ったわけじゃないから、完全に我流の感覚派だけどね。作曲の進捗は……まあぼちぼち?」

「ダメそー。センパイって作業が捗ってない時、絶対ぼちぼちとかまあまあとか曖昧に濁すよね」

「うっ……今回は気合が入ってるから、じっくり仕上げたいのっ。それに二人で歌う曲作るのも初めてだし、せっかくだしめっちゃ格好いい曲にしたいんだもん」

 進捗は小春に察された通り全然進んでいないが、それでも今語った意気込みは本心だ。まあ意気込みすぎて若干空回りしているのは否めないけれども。

 世界に一つだけの、二人の曲。自分のテイスト。そしてよしかの声やイメージに合った雰囲気。自分たちの名刺代わりにもなるような内容。歌詞にはどんなメッセージを込めるか。曲調は、激しく行くか優しいバラードで行くか。曲を作る上で、考えることは山ほどある。今回は本当に特別な一曲だから、それら一つ一つを決めていくのも途方もなく広がった海の中から小さな探し物を見つけようとするのと同じような感覚だ。つまり、進捗は芳しくない。何ならワンフレーズも出だしも決まっちゃいない。

「まあ、私は曲の完成とセンパイの感性を信じて待つよー。どだーん、ぎゃぎゃーんって感じで、格好いい二人の曲よろしくね」

「まぁた適当なこと言ってぇ。格好いいからってめっちゃ歌うの難しい曲になったって、文句言わないでよ?」

「言わないよ。だって私、やっぱりセンパイの曲好きだもん。ずっと前から歌いたいって思ってた」

 小春の真摯な声に、切り分けたステーキの切れ端を口に運んでいた手が止まる。

 顔を上げれば、頬杖をついて静かに喜びを噛み締めるように微笑んでいる小春と目が合う。彼女の笑みが深くなった。

「だからさ、ここだけの話ね? センパイから歌のお誘い来た時、ほんとに嬉しかったんだ。だから絶対、センパイの作った曲なら格好良く歌い上げるつもりだよ。ボイトレもダンスも、いっぱいそのためなら頑張れる。期待しといてよ。オーディション、いっぱい集まった人たちを飛び越えてそのてっぺんの景色、一緒に見せてあげるから」

 その瞳の瞬きは、夜の更けたファミレスの一席では不釣り合いすぎるほど目映くて、美しくて。

(……ほんと。この子は、ずるいなぁ)

 またえなの心をぎゅっと掴んで、離さない。知らなかった表情一つ一つ、全部が胸を打つ。好きだ、という気持ちを引き出してくれる。この衝動に、行き場はないのに。

 昂ったような切ないようなどっち付かずに渦巻く感情をごまかすように、えなは宙ぶらりんだったステーキを口に含んで、よく噛んで食べた。それでようやくつかえが取れて、言葉を使える。

「……じゃーあ、しっかり頑張ってもらおっかなぁ? めっちゃ難しい曲になっても文句言わないってことだよねぇ? 小春さん?」

「うっ……えと、出来ればその、手心といいますか……」

「こらっ、さっきまでの自信満々な態度はどうしたんだい頼れる後輩ちゃん。格好いい歌唱めっちゃ期待してるからね?」

「が、頑張ります……」

 打って変わってしゅんと素直な反応をする小春に、えなは子犬を愛でるような感情を何とか取り戻せた。これで芽生えた気の迷いの気持ちを、一瞬だけごまかすことが出来る。


  4


「ぜんっ、ぜん進まねぇ……」

 それから数日後。えなは防音室内の自分の二つ並んだモニターの前で頭を抱えて悶えていた。

 表示されているDTMのソフトはまだ何の打ち込みもない。ここ最近、言うならばライブのオーディションに出ると宣言した時からずっといじくり回してはいるのだが、結局しっくりこずに音を書き込んでは消して書き込んでは消してを繰り返してまったく進捗がない。配信とボイトレ、ダンスレッスンの合間にずっとこの作業に打ち込んでいるのだが、どうにも上手くいっていない。焦りと苛立ちが入り混じっていて、最悪の気分だ。いつもなら少しずつエンジンが掛かってきて曲の構成が浮かんでくるものだが何のビジョンも今回は見えない。手詰まりだ。

(ちょっと肩に力入れすぎてるのは自覚あるけど、こんなに行き詰まるとはなぁ。重いスランプとかじゃないといいけど……)

 そろそろ作りたい曲の欠片が少しずつでも形になってないと行けないが、そんな気配一切ない。まったく今作ろうとしている曲のビジョンが見えず、音を打ち込んでは消して、足しては消してを繰り返して結局真っ新なスタートラインに戻ってしまっている。いい加減打開しないと、そろそろまずい。もう曲審査の提出期限が迫ってきている。一月もない。焦りが出てきた。

(歌詞の方からのアプローチもやってるけど、こっちもマジで全然しっくりこないんだよなぁ……。詰んでるな完全にこれ)

 デスクの上にはコピー用紙がいくつか散らばっている。小春と二人の曲というコンセプトをより明確にするために普段のやりとりとか外側から見た自分たちの関係性などを細かく文章に起こしてみたり、自分から見たよしかのイメージなどを言語化してみたり悪足掻いてはいるが遅々としてそれが歌詞に昇華することがない。

 一応歌詞も書き出してみたが、自分たちの活動のコンセプトであるネット世界の頂点を見に行くというテーマを前のめりにさせていくとどうしても内容が凡庸になってしまってつまらなくなる。夢を叶える、そのために努力する、チャレンジする。その姿勢は素晴らしいし必要なことなのだけれど、いざ歌詞に落とし込もうとするとえなの筆ではありきたりの耳滑りしてしまうような言葉になってしまう。そんな言葉じゃ、聴いた人どころか自分の心まで震えてこない。もっと雷鳴の如く誰かの耳から胸の内側まで直下で轟くような音と、咲き誇る桜のように目も心も奪われるような鮮やかな景色を。誰かに、出来れば多くの人達に届けたいのだ。今のままじゃ、明らかに何か足りない。

(よしかは……今日も配信頑張ってるなぁ)

 いつまでも進捗のないDTMソフトの画面と向き合うのも辛くなってきて、えなは配信サイトを開いて小春の枠を確認する。ライブ中の赤い表記が付いていた。

 今流行っている、チームで行うバトルロワイヤル形式のFPS対戦ゲームだ。配信の中心というわけではないようだが、少し手を出してみたら彼女はすっかりハマったみたいだ。

 ミゲルとの交流もあってか、彼女はそのゲームを通じて他のV配信者との関わりも増えたみたいだ。今も、事務所外の人達と五人フルパーティでマッチした相手チームと撃ち合いに興じている。えなは疎いのでよくわからないが、彼女の銃捌きがだんだん上手くなってきているのは素早い戦況の中でも目に留まる。味方の人達に褒められて得意げな彼女の様子を見ると、自分のことのようにえなも嬉しくなってしまう。

(よしか、頑張ってるなぁ。いっぱい努力しただろうに、それをちゃんと隠して楽しいところだけ視聴者さんたちと共有できてる。いっぱい交友も増えてきてて……あたしももっと見習わないと)

 配信を眺めながら、えなも気を引き締めつつほんの少しだけ落ち込んでしまう。えなも他のV配信者との交流はあるにはあるが、大型企画だったり、歌に関する共通点で集まったりと、小春のそれに比べるとあまり深い関わりにはなれていないような気がする。彼女が活動の領域を広げているのに対し、自分はどうだろう。しかも肝心の作曲はまったくと言っていいほど進展がない。さすがに気落ちしてきてしまう。

(だめだだめだ! しゃんとしろあたし……! ここで負の感情に囚われたら尚更進まないもんも進まなくなる……!)

 頭を振り乱して何とか自分の内側から闇の気配を振り払おうとする。そしてまたDTMのソフト画面と向き合うも、すっかり作曲する意欲は雲散霧消してしまっていた。

 深くため息をついて途方に暮れる。さて、どうしたもんかと考えていたら、ふとDiscordにメッセージの新着があった。

 マネージャーの茜からだ。何となく嫌な予感がしたが、それが当たってしまったようだ。

『お疲れ様です。空似さんとそめいさんの3Dのお姿が完成したみたいです。近日中にフィッティング用のスタジオを予約しますので、都合のいい日をお願いいたします』

「はぁー……」

 喜ばしい報告ではあるのだけれど、えなはため息をもう一度吐いてデスクに突っ伏す。

 自分はまったく進めていないのに、周りだけが慌ただしく進んでいくこの感じ。置いて行かれているこの感じ。

 いや、意気消沈している場合じゃない。付いて行けるように頑張らなくては。えなは起き上がると、茜にすぐさま返信の文章を打ち込み始めた。

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