第4話──3


  5


「3Dって、やっぱこのタイツっぽいの着るんだねぇ。何か近未来的ですこいけど、ドリフっぽくて面白いなぁ」

「ドリフ……? まあ確かに面白い格好だよね。でもまさか、自分がこれを着れるようになるとはなぁ」

 慌ただしく事務所のスタッフたちがスタジオ内で作業に追われている中、えなと小春は端の方で壁にもたれながらその様子をぼんやりと眺めていた。

 今日は自分たちの3Dの体の動作確認だ。仕上げてもらった3Dの姿がちゃんと動作するか、どのように動くか細かくチェックしてもらい、もしもの時は修正をしてもらう。簡単なものかと思っていたが、準備も大変らしくスタジオは活気で溢れていた。レゲボゲのスタッフも全員駆り出されている。改めて、3Dの体で配信するというのは、かなり大事なのだと思い知らされた。

 えなと小春は専用のモーションアクタースーツを着ている。全身にぴったりとするタイツのような黒いそれは、体のラインがしっかり出てしまうので、スタイルの良すぎる小春をえなは直視しないように気をつけていた。「センパイ細すぎない……? ちゃんと食べてる?」といらぬ心配をしてくる小春に「お前がじゃい」と突っ込み返すのも何とか堪えた。

「おまたせしました! じゃあまず、空似さん! 動きを3Dの体とリンクさせるのでカメラの中心に来てくださーい。マーカーの位置を一致させるので、合図があるまで動かないように!」

「はーい! じゃあよしか、お先に!」

 茜に呼ばれて、えなは小春に手を振って複数台あるカメラの真ん中の空間へと立つ。

 スタジオ内はそれほど広くはない。だからこちらを天井からも地上からも捉える複数のカメラのレンズの圧迫感がすごくて、今更実感が湧いてきてえなは緊張が高まってきた。

「センパーイ! 頑張れー! 見てるよー!」

 言われた通り固まったまま動かないでいると、カメラ外の正面にいる小春が満面の笑みで手を振ってエールを送ってくれる。それで凝り固まっていた色々な感情が少し解けたような気がして笑えた。手を振り返せば、「空似さん動かないで!」と茜に怒られる。

「やーい、センパイ怒られてやーんの」

「誰のせいじゃ誰のっ」

「はい、空似さんオッケーでーす! そめいさんもカメラの中心に来てくださーい! 位置合わせするので動かないでくださいねー!」

「はーい! センパイ、今そっち行くからねー!」

 はしゃいだ様子で呼ばれた小春が駆け足にてえなの隣にやってくる。小春としての姿は綺麗な大人のお姉さんという風貌なので、その子供っぽい楽し気な様子にまたきゅんとしてしまう。そわそわとはにかんでこちらに声を掛けてくる彼女はじっとしていられないみたいで、ゆらゆら動くたびに「そめいさん! ストップです! 我慢してくださーい!」と茜に三回ほど言われていた。「怒られてやんの」とそのたびからかってやると地団駄を踏む彼女はまた注意される。楽しくなってきた。

「はい、お二人と3Dのお体の同期が終わりましたよ。そちら側のモニターに映しますね」

 茜の言葉で、カメラの中心に立つえなたちに向けられた大きめのモニターが点灯する。

「わぁっ……!」

 二人の驚きと感動の入り混じったため息が被さる。そこに現れたのは、真っ白で無機質な空間ながら、そこに立つ空似ライメイとそめいよしかの立体的なアバターだ。2Dの時の姿を如実に再現していて、まさしくそのままがそこに存在しているという感じだった。息を呑んで、思わず見入ってしまう。

 試しにえなはゆっくりと手を挙げてみる。すると画面に立つライメイもおずおずと同時に手を挙げた。当たり前のことかもしれない。でもやっぱり感動する。当然と思えることにもこんなにも胸に熱いものを感じていることにも。

「すごいよセンパイ……! よしかたち動いてる! 動いちゃってるよ……!」

 跳んでみたり、両手を振り回したり、最近レッスンで教わったステップをやってみたり。小春は全ての動きが自分のネット上の姿と同調しているのを見て、飛び跳ねて喜ぶ様子もしっかりキャプチャされていた。ダンスレッスンのおかげでジャンプのキレが増していてちょっと可笑しい。

「わっ、ちょっ……よしかってば……っ」

 嬉しさが溢れてしまったのか、彼女はそのまま勢いよくえなに抱き着いてくる。背の高い彼女にほとんど全身包まれる格好になりながら、ちゃんと受け止められた。背中に手を回して、一緒にその身からこぼれおちそうな感動を分け合う。

 二人で一つの目標を叶えた瞬間。純粋にそれだけでいいはずなのに。えなの心はそれ以上を求めて欲張ってしまっている。彼女の体温、感触に、またドキドキと心臓が疼いて切なくなる。

 あたしは、不純だ。彼女は純粋なセンパイとして慕ってくれているのに。だからこそこんな近くまで来てくれて、一緒に同じ景色を見てくれているのに。共に喜んでくれているのに。

 この気持ちを知ったら、彼女はどう思うだろう。考えるのも怖くて、震えてしまう。

「お二人ともー! 水を差してすみませんが、どこまでキャプチャ出来るか動作確認の方もお願いしまーす!」

 ぎゅっと抱き合っている自分たちに、茜が申し訳なさそうに口を挟んで来た。小春はこちらを離すと、子供っぽくはにかみかけてきた。間近な距離で見るその無邪気さに、やはり不純に心臓の音が軋む。

「だってさ、やろっかセンパイ。とりあえず今は、楽しんじゃお?」

「……ん、そうだね」

 ぎこちなく笑い返して、えなも小春と一緒に3Dの体の動作確認に気を紛らわすのだった。


  6


 連日、レッスンのスタジオはひどく混み合っているようだった。

 えなたちは先立っていくつも予約を入れているから大丈夫だったが、一ヶ月先まで予定が埋まっているとダンスとボイトレの講師の先生も言っていた。全員が全員そうではないとは思うが、もしかしたらえなたちと同じVのライブオーディションの挑戦者かもしれない。ロビーなどですれ違う人たちはどことなく目に真摯な光を携えていて、何となくえなも負けていられないなと気合が入る。

 そしてえな以上に気合を持ち合わせているのが、隣にも。

「今日はボイトレで、明日はダンスレッスンだっけ。よし、ばんばんやっちゃるよー、センパイ。私も大分様になってきてるでしょ?」

「確かに小春さんはめちゃくちゃ上達早いね。ほんとにダンスも歌も初めてなの?」

「初めてだよ? まあ元々の才能もあるかもだけどぉ、めちゃめちゃやるぞ!って気持ちに満ち溢れてるからかな。だってあんな体験しちゃったら、そうならない?」

 漲ってるといった感じの小春は目を爛々とさせながらにこやかに言う。あんな体験とは、先日の3Dの体の動作確認だろう。彼女にとっても3Dで活動できるというのはやはり大きなことだったみたいだ。

 そう聞いていると、彼女は少し考えてから首を振った。

「まあ3Dのアバターが手に入ったのも嬉しいけど、今は早くセンパイの曲で歌って、踊りたいって気持ちが強いかも。私、センパイの歌が好きで、今の事務所に入ったみたいな感じだから」

「え……?」

 更衣室で着替えている最中、ふと小春がそんな言葉を零したので思わずえなは彼女の方を見てしまう。そしてまだ彼女は練習着に着替えている最中だったので、その柔肌が視界に入る前に慌てて目を逸らした。いつも見ないようにしていたのに、これで少し意識してしまう。本当にそんな自分が嫌になる。

「そういえば、言ってなかったよね。私がレゲボゲを見つけられたのって、最初にセンパイの歌を聴いたからなの。私、半年前は本当にどうしたらいいかわかんない状況で、仕事見つけなきゃって切羽詰まってたんだけれど、何もしたくなくて。ぼんやりスマホ眺めてたら、見つけたの。センパイの歌」

 ──耳にした瞬間、本当に雷に打たれたみたいだった。着替え終えてロッカーを閉めた小春がそう言って、こちらに熱の籠った視線を向けてくる。その真っ直ぐさとどこか彼女らしくない色めかしさにえなは思わず生唾を呑んでしまう。

「そう、だったの……? 初めて聞いた、かも……」

「初めて言ったからね。ちょっとタイミング変だけど、時間はあるし。軽く自主練しながら、聞いてもらえるかな。よしかの自分語り」

 小春は覚悟を決めたような眼差しでこちらの様子を窺うように上目遣いで眺めてくる。今まで避けてきた、小春としての自分自身のことを。彼女はえなに語ってくれようとしている。

 知りたい。けど、知ってもいいのだろうか。彼女をもっと理解したいという気持ちと、知りたくないことまで探り当ててしまうのではないかという恐れ。彼女はいいのだろうかという気遣い。

 複雑な気持ちが一瞬で混ざり合ったけれど、えなは小さく頷いている。やっぱり知りたい。彼女のことを。好きになった相手のことを。結局不純な理由を交えずにはいられない自分が情けないけれど。

 二人で更衣室を出て、予約していたスタジオへ向かう。今日は講師の先生がボイトレの続きをしてくれる日だが、早めの時間に集まって自主練をしようと小春に誘われていたのだ。

 ずっと気合の入っている彼女だったのでそう言いだしたのも不思議ではなかったのだが、もしかしたら二人きりで話したいと思ってくれていたのかもしれない。なら、耳を傾けるべきだと思う。彼女がどうして「ライブのオーディションに出たい」というえなの要望に乗っかってくれたのか。やっぱりえなは知りたかった。彼女の過去も。

 スタジオについてお互い壁一面の鏡を見ながらストレッチをする。おもむろに小春が口を開いた。

「私ね。実は事務所に入る前に……離婚してて。旦那の家から出て一人暮らし始めたばっかりだったの。貯金はしてたけど、専業主婦だったからどこかで働かなきゃ行けなくて、でも色々どん底だったからそんな意欲もなくて。……旦那との間に子供がいなかったのは良かったことなのかもね。じゃなきゃ、もっと状況は拗れてたかもしれないし」

 座って足の筋肉を伸ばしながら、鏡に映る自分を遠い目で眺める彼女は、今まで見たことないような疲れた大人びた表情をしていて驚く。

(……結婚、してたんだ……。そして離婚……)

 何となく察してはいたが、その事実を突きつけられてえなは打ちひしがれてしまう。

 結婚していたからといって、小春に対する印象が変わることは一切ない。だけれど、ショックを受けたような感覚を覚えるのは何だろう。身勝手な自分の感情に、えなはまた自己嫌悪する。

 小春と夫だった人とは大学の頃知り合い、卒業後社会人になってしばらくしてから再会し、そのまま交際して流れで籍を入れたらしい。小春的には相手のことを好きという感覚は実感がなかったが、プロポーズを受けたので無下には出来なかったという。

 ちょっと自分勝手だよね、と彼女はまた憂いを帯びた笑みで大人のように微笑んだ。

「結婚してしばらくしてから、私、子供が作れない体なのがわかったの。それから向こうと、両親の態度が明らかに変わったのがわかった。私も産婦人科に通ったり、人工授精を考えたりしてたけれど、何で子どもなんか欲しくないのにこんなことしてるんだろってバカバカしくなっちゃって」

 そうしてなあなあになっている内に、夫が会社の部下と不倫をしているのが発覚して、離婚が決まった。もうその頃にはお互い一日中口を利かない日も多くなり、彼の帰りが遅い日もずっと続いていたので小春も察していたからあっさりとした流れだったという。もちろん不誠実なその行いがショックだったわけではなく、少しでも繋がりを断ちたいと思って慰謝料や生活費などは一切受け取らないことにした。両親に色々追及されるのも嫌で、メッセージだけで離婚した旨を伝えると小春は一人、東京の街にやってきたのだ。

「何だかもう色んなことに疲れちゃって、何もしたくなくて、でも何かしなくちゃいけなくて。そういうぐっちゃぐちゃの中でぼうっとスマホだけ眺めて寝転がってたら、見つけたの。センパイの歌」

 ほんのりと霞がかっていた彼女の瞳に、再び光が灯る。そこに先ほどの疲れてほつれた過去のしがらみはない。無邪気で子供のように振舞う、えなのよく知っている彼女の面影が戻って来た。

「ほら、一番最初に出したオリジナル曲のMV、『空に墜ちる』だったよね。まず最初にセンパイの澄んでるのに力強い声が、私の心に真っ直ぐ突き刺さったの。その声に乗った歌詞も、本当に頭の中に轟くみたいで、あんな体験初めてだった。変に気取らない言葉で、自分の辛い今の気持ちとか、歌うことの覚悟を伝えようとするセンパイの声。すごかったよ」

 ──ちゃんと私の心に届いたよ。こちらに笑いかけながらそう言った彼女に、えなははっとさせられる。

『空に堕ちる』は最初にえなが空似ライメイとして作って発表したオリジナル曲だった。当時は慣れない配信活動も五里霧中といった感じで、バイトにも忙殺されかかっていて好きなことが上手く出来ない燻ぶりを抱えていた。

 作曲にも行き詰まり、それなら今感じていることをありのまま全部曝け出してやると思い立って出来たのが『空に堕ちる』だった。今思い返せばひどく暗い言葉選びだと思うが、決して後ろ向きな曲じゃない。暗闇の中でもどん底の更に下に落ち込んでも。歌ってやる。歌うことを貫いてやる。そんな覚悟を歌った歌だ。

『聴こえてる? 届いてる? 歌うよ、ずっとここで 誰かの心に届くまで』。そんな歌詞がある。それを小春は、受け止めてくれたと伝えてくれたのだ。

 音楽なんて、いくらでもネットの海では飽和している時代だ。実際『空に堕ちる』もそこまで伸びたとは言い難いかもしれない。

 でもちゃんと届いていた。届いて欲しい人に、まさかこんな形で。えなは震えてしまいそうになる手を必死に堪える。ストレッチをしていた動きも止まってしまう。

「センパイの配信もいつも追うようになって。そしたら、センパイの所属してる事務所が新しいVライバーを募集するっていうのを見つけたんだ。私、そういうの全然疎かったから、必死に勉強した。どうしたらセンパイの隣に並べるような、それにふさわしい姿になれるかって考えながら。あんなに夢中で何かをしたのって、たぶん学生の頃以来だったかもねぇ」

「……それで、今のよしかが出来たんだ。何というか、随分思い切ったね?」

「自分とは正反対の子になりたかったからね。それに中学高校って、演劇部に入ってたから。そういうRP、結構上手いでしょー?」

「うん、そうだね。……でもよしかも、ちゃんと小春さんの一つの姿だよ。演じてるアバターってだけじゃなくて、ちゃんとあたしの、実在する大事な後輩なんだから」

「……センパイは、いつも私とよしかのこと、大事にしてくれるよね。だから、大好きなんだ」

 屈託のない彼女の言葉が、えなの心臓をぎゅっと掴み取った気がした。慕っているという意味合いであろうそれを、別の都合のいい意味で捉えてしまおうとする心が、どうしようもなく陳腐だとえなは自分を貶める。彼女が慕ってくれるほど、自分はそんな立派な先輩などではないのに。

 ふと小春がこちらに向かって手を差し出してきた。その表情はどこまでも明るく、澄んだ光を浴びているみたいだった。

「センパイ、踊ろうよ。私、結構動けるようになったから」

「踊るって、この前習ったダンスのパート?」

「ううん、二人でこうやって、適当に社交ダンスの振りするのっ」

「わっ、ちょっ……!」

 差し伸べた手を彼女が掴んできて、そのまま自分の背中に回させるとくるくると回り始める。えなは突然のことに頭をショートさせつつも彼女の動きに付いていく。確かにステップも何もない、社交ダンスの振りだった。

 でも、満面に笑って満足そうな彼女を見上げると、楽しくなってくる。

「センパイの曲で、センパイと歌うの。ずっと夢だった。……だからよしかのこと、ちゃんとネットの頂上まで連れて行ってね。わかりましたかぁ、センパイ?」

「……うん。わかった。絶対約束する」

 そう真っ直ぐに返事をすると、小春は丸くした目を嬉しそうに細めると、ぎゅっと抱き着いてきた。

 その感触に驚いて足がもつれ、えなは彼女を巻き添えにしたまま倒れ込んでしまう。そのまま二人で床に寝転んで、向かい合って笑い合った。

(どっちの自分も大事にする……か)

 先ほどの小春の言葉を思い返していた。行き詰まっていた二人の曲作りに、ようやく光が差し込んだような気がした。


  7


「うわっ、何あのおばさん。あの年じゃアイドルって感じじゃないよね。こんなとこに何しに来てんだろ」

「趣味とかじゃない? お金持ちそうだし。いいよねぇ、私たちみたいに必死でやらなくてよさそうで」

 楽譜ねいろと詩文おんぷは、レッスンスタジオのロビーにあるベンチに座って声を潜めてそんな話をしていた。そうやって通り掛かる人たちに辛辣な言葉を掛けるのが、ハードなレッスンの合間の息抜きになっている。今はぶっ続けだったダンスレッスンの休憩中だ。自主練であと二時間、やり切らなければならない。本気なのだ、自分たちは。

 ねいろもおんぷも本名ではない。どちらもVとして活動するための名前だ。大手事務所所属のVtuberたちも出演するライブの出演権を賭けたオーディションのために、わざわざこんな場所まで足を運んでいる。ここ連日はずっとそうで、自分たちと比べたらここに今いる何を目指してるか知れない連中など努力不足だろう。そうやって一生自分たちは頑張ってると錯覚し続けていればいい。その間に自分たちは、大舞台のチケットを余裕の加速で掠め取ってやるのだ。

 ねいろとおんぷが目を付けたのは、たった今レッスンを終えたらしく楽し気に話し合いながらレッスン上の方から出てきた二人組だ。一人はガキみたいに小さな女。そしてもう一人は、背は高くてモデルのような風貌だがどう見ても年を取りすぎている女だ。かなり年の差がありそうな二人組だが、親子のようには見えず何となく目についたのだ。どことなく周囲の注目を集めそうな空気を纏うそいつらが、よくわからないが気に喰わなかった。

「あっ、センパ……浜那須さん。次のスタジオの予約なんだけど……」

 ふと年増の女の方の声が、耳に入ってどこか引っかかった。考え込みつつ、ねいろはおんぷに声を掛ける。

「ねえ、あの女の声さ、どっかで聞いたことない?」

「声ぇ? あんなばぁさんの声とか知らな……ん? あれ、これってもしかしてそめいよしかじゃね?」

 おんぷが向こうの女たちに聴こえないようにねいろに耳打ちする。それでねいろも合点がいった。少し低くしているが、この声のトーンは完全にそめいよしかのものだ。

 わざとらしい生意気なメスガキの演技をした、痛いVライバーとかいう奴。それなのに一年以上活動しているねいろとおんぷの十倍以上チャンネル登録者が付いている。運が良かっただけのくせに調子に乗りやがってと面白くなく思っていたが、まさかこんなところで「中身」に会うとは。

「うわっ、マジかぁ。あいつ中身ババァのくせにメスガキの振りしてんの? マジ痛すぎでしょ、やっばぁ。……ん? 何してんのねいろ」

「ん? いやいや、せっかく面白そうなネタ見つけたんだし、撮るっきゃないしょこんなの」

 ねいろは取り出したスマホのカメラを、バレないようにさりげなくそめいよしかとその連れの女の方に向ける。声を変えているから気づかなかったが、そめいよしかがいるということは隣にいるのは自称Vシンガーの空似ライメイだろうか。あいつも金魚の糞のようにそめいよしかと一緒に登録者数が伸びたのが気に喰わなかったので、これは面白いことになりそうだった。

 ねいろはちゃんと動画に向こうの姿と声が撮れたのを確認して、にやりと笑う。

「さぁてと。これ、どんな風に使ってあげようかなぁ」


  8


 時は満ちた。いよいよだ。

 えなはいてもたってもいられず、じっとしていられないのでずっと事務所の中をうろうろと歩き回っていた。小春も同じ心境らしく、そわそわとえなの後ろをついて回っている。

「どうしよ、どうしよーセンパーイっ。もうすぐ発表来るよやばいよー! もうよしか、心臓が飛び出してそのままどっか逃げて行っちゃいそうなんだけどっ」

「お、お、お、落ち着きなよ、よ、よ、よしか。ま、ま、ま、まだ慌てる時間じゃ、な、な、な」

「お二人とも、落ち着いてください。きっといい結果になりますから、どしっと構えて行きましょう」

 緊張を隠せないえなと小春に声を掛けた茜も、デスクのキーボードに置いた手をぶるぶると震わせていた。三者三葉、ドギマギしている。それはそうだ。今日、もうすぐ夜十八時。Vtuber大型ライブの出場権を賭けたオーディションの結果がネット上で発表されるのだ。オーディションのサイトに勝ち抜いた者が掲載されるらしい。

 えなが決死の勢いで作り上げた楽曲は、何とか審査を通り抜けた。後は、3Dで収録した二人のライブパフォーマンスの評価次第だ。

 ワンカットでの撮影だったが、小春は未経験からよくやってくれたし自分も上手くこなせたと思う。何度も収録したものを見返したが、これ以上ない二人で納得のパフォーマンスに仕上がった。あとは審査する人の感性に委ねるだけだ。

「でも、意外だったなぁ。センパイがまさか、ラブソングを作るなんてさぁ」

 緊張をごまかす為か、小春がぎこちなくからかうような様子でいつもの風を装ってそう声を掛けてくる。

「……何さ、いいじゃん別に。せっかく二人で歌うって新境地なんだもん、曲も新しいことにチャレンジしてみたくなったの。格好良かったでしょ?」

「……うん、最高だった。あれって、相手は想像上の相手? あんな風にセンパイに思ってもらえる人って、ほんと幸せだろうなぁ」

 思ったより素直な言葉が返ってきて、まあ彼女らしいと毒気が抜かれてしまう。やっぱり、その相手が自分だったとは彼女自身は気づかなかったか。思惑通りではあるが、何となく複雑な気分でもある。

 えなが作った曲の名前は『純潔に、鳴れ』。ロック調の激しい曲構成に、どこか捻くれた恋愛感情の歌詞を載せた、小春が言った通りのラブソングだった。

 もちろんそれが向かう先が小春本人だとは気づかれないようにカモフラージュした。純潔は、桜の花であるソメイヨシノの花言葉。そんなずるい隠し方も、まあ自分のものなのだと認めてみたのだ。

 小春が言っていたことを参考に曲を作った。よしかとしても小春としても受け入れてくれる人がいること。その二つの姿をちゃんと自分のものとして大事にすること。

 だからえなも、自分の中で抱え込んでいる小春への想いを、そのまま曲に昇華してみることにしたのだ。もちろんそう悟られないようにはしているけれど、偽りのない彼女への気持ち。届かなくても、せめて形にしたかった。叶わなくてもいいという心境もちゃんと綴って。

 少し切なげな雰囲気も盛り込んだが、小春はちゃんとそれを歌声に込めて歌い切ってくれた。えなも負けていなかったと思う。振り付けてもらったダンスも歌を前に出すために控えめにしたが、それもちゃんと曲を盛り上げる一つの要素になってくれただろう。

 やれるだけやった。絶対に大丈夫。受かったはず。自信はあったが、えなは神に祈らずにはいられなかった。

「あ……! 更新来ました……!」

 茜が声を上げてマウスをクリックする。えなも小春も同時に彼女のデスクの前に駆けつける。三人で、オーディションの結果が出ているサイトのページを覗き込む。

 合格者の欄に並んでいた名前とアーティスト写真は。

「や、やった! センパイッ! よしかたちやったよ! 合格だ!」

「す、すごい……! まさか本当に通過してしまうとは……っ。いや、信じてましたけどね!」

 小春が元気にその場で飛び跳ねて、茜が驚いたように唖然としていた。

 えなは、固まってしまっていた。オーディションで選ばれたライブに出演出来る一枠。そこに表記された名前。

 空似ライメイとそめいよしか。自分たちの名前と、二人のプロモーション画像。目を瞬きしても、その光景は歪まない。夢じゃ、ない。

「センパイ? どうかした……わっ! 大丈夫⁉」

「受かった……受かったんだ……あたしたち……」

 じわじわと実感が湧いてくると、不意に目の前のモニターが歪んでほろりと何かが頬を伝った。小春が慌てた様子で茜からもらったティッシュを頬にあてがってくれたことで、ようやく気付く。そうか、あたし、泣いてるんだ。

「ご、ごめ……っ。だってこんなこと、ずっとないと思ってたから……っ。今回も、どうせダメなんじゃないかって……っ」

「うん……うん。センパイ、頑張ったよ。よしかたち、ここまで来れたんだよ。全部、センパイがずっと頑張って来てくれたおかげだよっ」

 慰めてくれていたはずなのに、何故か小春も感極まって泣き出してしまった。それを見てえなが思わず頬を緩めると、彼女も泣きながら笑ってくれる。それを見ている茜も、眼鏡をずらして密かに目元を拭っていた。

 まだ頂上というには、あまりに遠いのかもしれないそれでも。

 自分たちはここまで、昇ってこられたのだ。それが何より、誇らしかった。

「さぁてと、お祝いの前にポストしとかないとね。あとエゴサして、みんなのお祝いの言葉も見ちゃおうよ。ほら、さっそくこんなにいっぱい……え?」

 スマホを取り出して眺めていた小春の表情が強張る。明らかに様子が変だった。不穏な気配がえなにも伝わってくる。

「どうしたの、よしか……」

 彼女が眺めているスマホを一緒に覗き込んだ。そしてえなも目を見張る。

 SNSのとあるポスト。表示されているアカウントは、暴露系として有名な配信者のものだった。

 つい数分前に投稿されたもの。そこには。

『倍率激やばのVライブオーディションを勝ち抜いたメスガキVtuber、中身は何とおばさんだった⁉』

 そんな文章と共に、どこかで隠し撮られたらしきえなと小春の並んでいる画像が貼り付けられていた。

 既にリポストは数千件以上、回されてしまっている。

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