第3話──3
3
そわそわ……そわそわ……そわそわ……と。
先ほどからえなは肩に力を入れて立って、上下左右に揺れまくっていた。
場所は人通りがそれなりに多い駅前広場。特徴的なモニュメントの前で、小春と待ち合わせだ。
東京という場所は曜日時間帯関係なく日々人がごった返している。まるで日夜催事でもあるかのような雑踏。行き交う人々の個性まで背景に溶け込んでしまうような往来に、えなは慣れたような慣れないような複雑な気持ちになる。そしてこんないっぱいの人たちの中で、あたしは埋もれず腐らず生き残っていくことが出来るのだろうかと不安になる。……人混みが苦手なのは、小春ではなく自分なのかもしれない。
(早く来すぎちゃったな……。昨日心臓バクバクで全然眠れんかったし……)
漠然とした想いをごまかすために、えなはスマホを取り出す。時計は待ち合わせの一時間前の十三時ちょっと過ぎ。さすがに早すぎた。
一応スマホのインカメラで前髪や巻いてきた髪を軽く整えておく。柄にもなく普段着ないミニスカートをかなり背伸びして履いてきてしまった。
上はオフショルのボリュームのあるふんわりとしたオフショルのブラウス。最近本当に蜃気楼でも立ち込めそうなほどに暑くじっとりとしているのでつい少しでも涼を取れる恰好をと思ったのだが、少し気合を入れすぎたかもと今更反省してしまう。あとメイクもいつもよりめちゃくちゃ時間を掛けて凝りに凝った。代謝にも汗にも絶対負けはしない可愛いと格好いいの鎧だ。いつでもかかってこいや。嘘。崩れない程度に勘弁してほしい。
一応ハンディ―ファンに飲み物にとショルダーバッグに暑さ対策のものを一通り詰め込んで来た。しかし日陰に立っていても暑さが立ち込め押し寄せ纏わりついてくる感じだ。やっぱり早く着き過ぎた。約束の時間まで冷房がある場所を探して涼んでいようか。
そう思ってえながスマホをバッグに仕舞った時だった。
「ねえ、君一人? 俺らこの辺り初めてでさぁ。楽しいとことか教えてくれないかなぁ?」
背の高い男性の二人組が、にやにやしながらえなを見下ろして声を掛けてくる。むっとする。よくあるナンパだ。つい小春とのお出かけではしゃいでいて忘れていたが、こういう待ち合わせによく使われる人通りの多い場所はこんな風に絡んでくる輩が多いのだ。えなはげんなりする。小柄な女はちょろいとでも思ってるんだろうか、こういうのは。
「忙しいです。人を待ってるので」
こういうのは相手にしないのが一番。限りなく塩対応でそっけない返し、えなは視線も向けずに歩き去ろうとする。
だが。
「えーいいじゃんいいじゃん。ちょっと五分くらいでいいからさ。俺たちにこの辺りのこと教えてよ。君、詳しそうだし、俺たちも困ってて。てか、めっちゃ可愛いね?」
腕を掴まれて引き留められた。そのせいでつんのめって転びかけたえなは振り返り、男たちを睨む。さすがにやりすぎだろ。
それでも向こうは「えー、そんな怖い顔しないでよぉ。ほんとちょっとだけ。一分でいいから」と余裕綽々に笑い合って、こちらをほっといてくれる気はないようだ。本気でカチンと来て、今から磨いた語彙の限りに大声で罵倒しまくってやろうかと息を吸う。
「あ、あのっ……! そういう無理矢理なこと、良くないと思うんですけど……!」
精一杯張った震えそうな声が聴こえた。はっと顔を向けると、日傘を差した小春がえなのすぐ傍にやって来ていて必死そうに男たちを睨みつけている。
淡いベージュのロングスカートに、首元から長く大きな飾り布が下がる白い涼し気な七分袖のトップス。髪は後ろで纏めているらしく、いつもより大人びた麗しさが溢れている。それでいて、慣れない怒りを露わにした子供っぽい表情がアンマッチでいいギャップになっている。一瞬えなは夏の暑さも雑踏も、今自分を巻き込んでいるトラブル男たちのことも忘れてヒュッ……と息を呑んで小春に見惚れた。磨いた語彙が全部おしゃかになって、「えっかわいい。すごい綺麗。やばい」しか言葉が浮かばなくなる。
「えぇ……? 何ぃ、ただ楽しく話してただけだっうの。つか、どしたの? いい歳こいて正義の味方気取り? おばさん」
「おば……っ」
小春がショックを受けて目を見開き、そして恥を噛みしめるように俯く。それでえなは完全にキレた。
「ごっ……!?」
腕を掴んでいた男の脛を、分厚い底のスニーカーで思い切り蹴り上げてやる。それから手を思い切り振りほどいた。
「ちげぇよボケッ!! あたしの可愛い後輩だカス野郎ッ!! ナンパなんてゴミみてぇなことしてんなら、女の子の扱いくらい覚えとけチンカスクズバカアホマヌケッ!!!」
脛を抑えて悶えている男と呆然としている連れに吐き捨てて、えなは小春の手をとって歩き出す。
「行くよ、よしか」
「えっ、センパイ……? あの人達いいの……?」
「いいの! 股間蹴り上げなかっただけ温情だから」
早足で人混みに紛れて、そのまま駅の中へ入っていく。改札を通ってしばらく歩き、後ろを振り向いてさっきの野郎どもが付いてきていないのをしっかり確認して、通路の近くにあった柱にえなはもたれかかる。
「はぁー……撒いたかな。ごめんね、よし……小春さん。びっくりさせちゃって。あいつらほんとしつこくて」
「わ、私は平気……。センパイは? あの人たちに腕掴まれてたけど、大丈夫……?」
「あー、あれね。たまにいるんだよああいう強引なナンパ野郎。ムカつきすぎて普通に蹴っちゃった。面白。……小春さん、助けてくれたでしょ。あれで勇気もらえた。ありがとね。おかげで大丈夫だったよ」
小春はまだ緊張した様子だったから、えなは微笑みかけて安心させようとする。
だが逆に、彼女はきゅっと唇を引き締めてより顔を強張らせたかと。不意にぎゅっと、えなの背中に腕を回して抱き寄せてきた。ふんわり、顔全体に彼女のしなやかで豊かな感触を受けて今度はえなが固まってしまう。状況的に、今自分に触れている個所は、つまりそういうことだ。けど押し寄せる情報がいつまでも完結せず、頭で処理できない。故に、えなは何もできない。
「……センパイ、全然大丈夫じゃないでしょ。繋いでた手、震えてたよ。すぐそうやって無理するんだから。たまには私にだって、甘えていいのに。リアルなら、私の方がうんと年上なんだよ?」
「あ、えとその……ありがと、う……?」
まだ混乱はしているけれど、小春のふんわりした感触と体温。そしてそこはかとなく漂ういい匂いを間近に感じるとえなも安心してきた気がした。
……そんなわけもなく。冷静になるにつれて今彼女に全力でハグされている事実を認めてしまい、一気に心臓が爆走を始める。やばいやばいやばいやばいやばいやばい。待ち合わせ早々に人間性を失う。
「こ、こ、こ、小春さん? ありがとうもう元気になったから……。ファンデ、服に着いちゃうしそろそろ大丈夫だよ?」
「……あ、そ、そうだよね……。私ってばつい何やってんだろ!?」
小春も我に返ったらしく慌てて離れる。危ない。あと数秒遅かったら色々溶けて耳から流れ落ちるところだった。まだ彼女の名残が全身を包んでいるようで、惜しかったな……と悔しがる自分と何とか理性を保てたことに安心した自分で心が二つある。
何だか自分の間にぎくしゃくとした空気が生まれ、二人してもじもじとしていた。照れと戸惑いでお互いにどうしたらいいかわからなくなった時間。
自分から何か切り出すかと思ったら。小春がぶっ、と急に吹き出して笑う。
「くっくっくっ……センパイ……っ。あのナンパ男の足蹴って罵倒してたのじわじわ来てる……っ。罵り方、配信のまんますぎるでしょ……っ」
「だ、だってさぁ、本気で頭来たんだもん。ナンパするなら常識くらい弁えてからやってほしいよね。いや、ナンパもすんなめんどくさいから」
「……ありがとね、センパイ。私のために怒ってくれて」
二人で笑い合った後。小春が本当に嬉しそうに更に頬を緩めた。その愛おしいものを眺めるような眼差しに思わずえなは唇をきゅっと窄めてしまう。そうして顔に力を入れないと、彼女のすぐ目の前でやばい表情をしそうになったのだ。
とりあえず、彼女の笑顔は守れた。それで良しとしよう。あのナンパ男どもは食あたりで一週間くらい腹下せ。
「さてと。いきなり色々あったけど、とりあえず待ち合わせも出来たってことで行こっか。……あれ、そういえばまだ時間まで一時間くらいあったよね? 小春さんも早く来てくれたんだ」
スマホで時間を確認して、ふとまだ待ち合わせに早かったことを思い出して尋ねてみる。
すると小春は不意に白い頬を赤らめて俯く。そしてちらりとこちらを上目遣いで窺ってきた。
「えとその……っ。せ、センパイと一緒に遊びに行くのすっごい楽しみで。居ても立っても居られなくて、早く来すぎちゃった……」
「えっ、めっちゃ可愛い。……じゃなかった。いやえと、か、可愛いとこあるじゃーん。よ……じゃなくて、小春さんにもぉ?」
「へぇ? センパイこそ、早く来てたじゃん? それって私に早く会いたかったってことだよねぇ? 可愛いとこあるじゃん、センパイもさぁ?」
「ち、違っ……。まあ、そうだけど……っ」
スイッチが一瞬で切り替わって、照れていた表情がいたずらっぽくこちらをからかうようなものに変わる。メスガキモードオン。リアルだと顔つきの変化でそれがわかりやすくてどきっとする。えな好み過ぎる小春の容姿も伴えば尚更。
やばい。まだ目的地に着いてないのに落とされる。今から理性の紐を引き締めて行かないと、とぎゅっと結び直す様を脳内イメージする。よし大丈夫。心乱されない。心頭滅却。南無阿弥陀仏。
「とにかく、じゃあ最寄りの駅まで電車に乗っていくよ! ばっちりどの方向のに乗ればいいか調べてきたから、大船に乗ったつもりでいてよ小春さん。とりあえず……あれ? ここどこだ……? 適当に改札通って来ちゃったからなぁ」
「あ、あそこ行くんだったらあの駅でしょ? こっちこっち。付いてきて、センパイ」
スマホで現在位置を確認しようと思ったら、小春が頭上にある案内板を見ただけで歩き出す。自然と、えなの手を取ったまま。繋がれた手の感触を今はしっかり意識してしまいながら、えなはわたわたする。
「えっ、え? 小春さんわかるの?」
「まあ、東京に住んで長いからね。それに私、マッピング得意だし。ごめんねぇ……? センパイのお株奪っちゃうけど。センパイ、ゲームでもよく迷子になってるもんねぇ。方向音痴すぎて」
「う、うるさいなぁ。しょうがないじゃん、北が動くんだからわかんなくなるんだもん。……じゃあ、目的地までよろしくお願いしてもいい?」
「……北は動かなくない? まあ、大船に乗ったつもりでいてよ。セーンパイ?」
振り向いて得意げに微笑みつつ、小春は迷いない歩みで進む。確かに彼女の案内通り、目的の駅へと向かう電車に乗ることが出来た。
「ね? すごいでしょ」
「す、すごいじゃん……」
電車内はやや混み合っていて、二人で並んでつり革に掴まって揺られていた。口元を隠しつつ、ドヤッと言わんばかりのにやけ顔を小春はこちらに向けてくる。この子供っぽい様子がやっぱりリアルだとたまらん。ネットだと可愛い後輩め、と軽くいなせるのに、やはり小春はえな好みの見た目過ぎる。小春としての大人びた佇まいと、「よしか」としての子供っぽいけど可愛げのある態度。両方そなわり最強に思える。
「ありがとね。おかげで変に迷わないで済んだけど……小春さん? この手は? もう離しても大丈夫だけど……」
「ダーメ。センパイってば、案内してる時もふらふらどっか行きそうになるじゃん。方向音痴すぎて。だからちゃんと着くまでこのまま。ほんと、私がいないとダメなんだからぁ」
つり革に掴まった手とは反対の、二人の間にある手は繋がれたまま。挙句そんな台詞まで付けられちゃあ、冷房の効いた車内でも体温が爆上がり、心臓は高鳴り。手汗掻いてないかな、てか小春さんめっちゃ手すべすべだな、と色々な考えがよぎって早くも脳のCPUは使用率百パーセント近くになって処理が追い付かない。
「わぎゃっ⁉ っ……⁉」
「もぉ、センパイふらつかないでよ。ほら、こうしててあげるから」
電車の揺れでつい足元がおぼつかなくなっていたら、小春が更に密着して体を支えてくれる体勢になる。くっつきすぎだ。昂った体温と鼓動が彼女に伝わらないか、そこから邪心を悟られてしまうかと気が気でなかった。
(でもこういうシチュ、悪くない、かも……)
珍しくと言っては何だが、彼女にお姉さんされている感じ。いい。すごくいい。けど心臓が持たない。このままでは幸せ死してしまう。
だがそんな動揺も悟られるわけにはいかず、えなは何とか目的の駅まで自分の自我が保てていることを祈るしかなかった。
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