第2話──2
4
「ぎょわああああッ⁉ 今画面の端! 端ぃ! 何か動いた! 動いたよォッ!」
「いだだだっ! ちょっ、落ち着いてよしか! あれ花瓶! 花瓶だから! 視点動かしたときに動いてるように見えただけぇ!」
事件性のある悲鳴を上げながら、小春がぎゅっとえなの腕にしがみついてくる。
普通ならドギマギな事態なのだろうけれど、彼女の取り乱しっぷりと思ったより力が強くて腕をぎりぎりと締め付けられ意外とそれどころではなかった。ドタバタ騒ぎで結構気が紛れてしまうのだ。
小春はやっぱりホラーゲームが苦手のようだった。大の苦手のようだった。今えなを振り回している尋常じゃない怖がりっぷりからそれが窺えるというか、もうもろだしである。
「よしか! よし、一旦深呼吸しよう。大丈夫、怖くない怖くない。ここ抜けたら、たぶん安全だと思う。何かに追われる系のゲームじゃないから、落ち着いて進んでいこう。オッケー?」
「わ、わかってるってば……っ。センパイに、よしかの無双っぷり見せてあげる! こんな廊下進むくらい、楽勝なんだから……」
早すぎてあまり深呼吸になってない深呼吸をして自らを鼓舞した小春は、キーボードとマウスを使って廊下を進んでいく。言葉の勇ましさの反面、その歩みは非常にゆっくりである。あとクリアリングがめちゃくちゃ丁寧。
ゲームは、今流行りのループする場所を進んでゴールを目指すホラーだ。洋館風の廊下をひたすらループし、扉をくぐるたびびっくりポイントがあってそれに対処しながら進んでいく。たまに謎解きをしたり、怪異に襲われたりするオーソドックスな感じ。えなが素でやったら十分くらいで終わってしまいそうだ。
「楽勝……っ。楽勝……っ。よしかなら出来る……っ。よしか、最強だからぁ……っ」
小春はカチカチと歯を食いしばりながら必死にモニターに食い付いている。彼女の根性と度胸は買ってあげるべきだと思う。あと、引き攣っていても、ほんと綺麗だなこの人。気を抜いたら見惚れてしまいそうだ。気が抜けないけど。
コメント欄も、よしかの怯えと奮闘っぷりに大いに盛り上がっている。「ライちゃん、鼓膜の替えちゃんと持ってきた?」とこちらを気遣う言葉もあって笑ってしまう。同時接続数もいつものオンコラボより断然多かった。小春の采配が上手く行ったのだ。
とはいえ、ゲームの進行自体はそれほど上手くは行っていない。このゲームは同じ廊下を八回ループするのだが、怪異に対処出来ないと最初に巻き戻される。小春は少なくとも十回は戻されて悶えていた。
「せ、センパイ? よしか一人でも余裕ではあるんだけどぉ……。ちょっと一瞬操作代わってみてくれない?」
と言ってこちらを見た小春は声を震わせ、目を潤ませて息を乱してさえいた。……その怯えた様子に大人の色気を垣間見て、思わずえなは喉を鳴らしてしまう。しかも距離が近いから、ほんのり息が吹きかかってその温人も触感で捉えてしまう。あと単純にその艶めかしい表情が近い。でもただホラーゲームに怯えてるだけというギャップもいい。多段ヒットだ。あと、体温が上がったせいか、いい香りがめっちゃこの狭い空間で芳しくなっている。ばよえ〜ん。
「もぉ、よしかってばあたしなしじゃダメなんだからぁ。ほら、席変わって。よしかがさっき進めた先の方までだからね?」
配信の視聴者には、魂の抜けたようなよしかのぽかんとした表情しか見えていないだろうが。こちらには小春の涙を流さんとするばかりの感謝感激雨あられのぱぁっとした表情が至近距離に見えているのだ。RPに熱が入っているらしく、大人びた容姿に子供っぽい無邪気な雰囲気が滲むのは心臓に悪い。ずっとキュンキュン弾みまくっていて元の位置を忘れそうだ。
「しょ、しょうがないなぁ。ほんと、よしかはあたしがいないとダメなんだから。ほら、席変わって? お姉さんが見本見せてあげる。よしかが一番進めたとこまでだかんね?」
この局面できっちり先輩としての面子を保てた自分をえなは目一杯褒めてやりたかった。ちらりとコメント欄に見えた、「お、ライちゃんここぞとばかりに先輩面してきた」「ライちゃんが先輩っぽいの初めてじゃね?」等の文字がちらついたのはやや不服ではあったが。
小春とポジションを交代する。しかしえなに電流走る──!
ゲーミングチェアに残る、彼女の体温。悲鳴を上げて暴れていたせいか、濃厚に座面にも背もたれにも彼女の痕跡が残っていた。
まるで小春に背後から抱きしめられ、包み込まれているかのよう。ついでに増した残り香も、その錯覚に更に強めている。ある意味最悪な相乗効果。
変態だと、安易に認識しないでもらいたい。こちらとて冷静ではないのだ。好み過ぎる人が座った後の椅子に座ってそういうことを意識せずにいられた者だけが、あたしに石を投げられる。えなは誰ともなく心の中でそう唱えて、何とか平静を装うことが出来た。
「よ、よーし。じゃあ隣でよく見てなさいよ。このライメイ先輩の華麗なる勇姿を!」
「セ、センパイ……。あ、えと、し、仕方ないから、見せ場くらいは用意してあげよっかなぁ。ちゃんとセンパイっぽいとこ見せてよ? 普段はザコザコなんだからぁ」
感謝の意を表しつつも、小春はちゃんとアバターのRPに徹する。……くぅー。間近で拝むこちらを弄ぶような笑みと、メスガキ然とした声は生で聴くとかなり効く。「や、やったろうやないかぁ!」と震えそうになった声は、視聴者にも小春にもホラーゲームに対する気合入れだと思われただろう。何とかカモフラージュ出来た。
とりあえずキーボードとマウスを操る。主観点の視点でまっすぐ洋館の廊下を進んでいく。
ループする廊下の怪異は種類に限りはあれど、ランダムで発生するようになっている。咄嗟の判断と対処が大事という
わけだ。
素でやれば一気にクリア出来るが、これは配信だ。小春にいいとこを見せたいという欲を抑えつつ、とりあえずえなはゆっくり進んでいくことにした。
心苦しくはあるが、よしかが怖がっている様子は視聴者的にも見たいポイントだろう。彼女は色んなゲームをそつなくこなすから、そういうギャップは存分に生かさないと。……怖がって甘える小春を見たいという邪心ではない。断じて。
「ちょ、ちょちょちょっ! センパイ、クリアリング甘すぎ! 物陰とかも警戒してよ! いつ何が出てくるか分かんないんだから」
「大丈夫大丈夫。さっきよしかの見てて大体のパターンわかったから。例えばここはあと何歩か進めば……」
「どぅうわぁあああっ!」
シャンデリアが視界の正面に落ちてきて大きな音を立てる。典型的なジャンプスケアだが、よしかにはこうかはばつぐんだ!
猫のように竦み上がって、すかさずこちらの腕に縋ってくる小春。大人な女性のこういう姿、いいな……と呑気に構えていたら、再びえなに電流が走る。
腕に、ふわりと柔らかな感触が当たっている。気づく。小春の胸だ。豊かで満ち足りたそのしなやかさが、これでもかってくらい濃厚にえなの腕に押し当てられているのだ。
(でっっっっっか……!! やわっっっっっこい……!!)
一瞬思考停止した脳に、稲妻の如く一気に事実が駆け巡る。情報量は少ないがその質量に脳の処理が追い付かずえなは全身フリーズする。
でかい。やわらかい。心地いい。おっぱい。でかい。やわらかい。すごい。おっぱい。すごい。すごい。
「センパイ! 何ビビって固まってんのぉ! 別の怪異が来てるってぇ! ほらそこぉ!」
腕に絡みついた小春に揺さぶられて、えなは我に返る。マウスで視界を動かすと、半透明でぼうっと光る骸骨がこちらに向かってくるのが見えた。回避しようとしたが、キーボードに掛けた手は、腕に更に強く押し当てられるふくよかな感触に気を取られまくってしまう。
骸骨に捕まって、最初の周回に戻されてしまった。また一巡からやり直しだ。
「あ……やられた……」
「ちょぉ、センパーイ……。センパイの勇姿を見せてくれるんじゃなかったのぉ? 最初に戻るの早くなぁい? よしかより先輩の方がビビりなんじゃなーい?」
誰の立派なおっぱいのせいじゃと思ったがもちろん言い出せるわけもなく、涙目だけれど少し調子に乗った小春の幼い表情は綺麗で可愛らしくて圧倒され「ぐぬぬ……」と何も言い返せない。視聴者からも怖がって失敗したのかと思われて、「ライちゃんも怖いの苦手なのか…」「センパーイ、しっかりしてくださいよぉ」と煽られている。
くそ、こいつら知らないくせにおっぱいの恐怖を。我々哺乳類の人間はおっぱいに逆らえないように出来てんだぞ。えなの頭はまだ混乱しているようだった。
「ゆ、油断しただけだから……! もっかいやらせて! RTA走者なりに最速で決めるから!」
「よしかにやらせるんじゃないの……? まあ、センパイのお手並み拝見って感じなんですけどぉ」
くっそぉ……この人は煽り笑みが自分の麗しフェイスに浮かんでいる破壊力に気づいていないのか……? 好き。
配信者モードを取り戻し、えなはループする廊下を進んでいく。五ループ目。そこまでは大したびっくりポイントもなく、小春も慣れてきたのか時折息を呑むもこちらに飛びついてくることはなかった。ただその驚き方にもどことない大人の艶があって、危険であることには変わりない。コメント欄も「何かよしかの抑えた声大人っぽいな……」と気づいてしまったのがちらほらいた。それをえなはモニターを介さずに直接かつ至近距離で喰らっているのだ。あまりに危険。ホラーゲームで恐怖以外の外的要因が、ここまで緊張を誘発することがあるのか。また一つ賢くなった。
「そ、そろそろ出るんじゃない⁉ ぎゃうっ⁉ ああ、窓に! 窓にぃ!」
「こ、こら落ち着いてよしか! くっついてきたらキーボードいじれないからぁ!」
扉を開けて六巡目の廊下に入った時、あからさまに雰囲気が変わったループに出くわして小春が恐れをなした。再びぎゅっとえなの腕に縋りついてくる。むぎゅぅうっ、と富あるものにしか許されない柔らかさを再び押し付けられて、えなは動揺する。だが、不意打ちではなかったので先ほどのように宇宙猫状態にならずに済んだ。
「ぎょわぁあっ⁉ やっぱ来たァ! ムリムリムリぃ……!」
「ちょ、ちょちょちょちょ……⁉ よしか抱き着くなぁ……!」
廊下の左右にある窓ガラスが一斉に割れた。ここは一気に走り抜けないと窓の外から出てきた無数の腕に掴まれて一巡目に戻されてしまう。
しかしあろうことか。小春は恐怖のあまり腕どころか全身でえなに抱き着いてきたのだ。豊かな胸としなやかな体の感触。ほんのり高めの体温。めっちゃくちゃいい香り。さっきより圧倒的な質量の情報量が容赦なくえなの理性を奪う。
(まだ……! まだだ……! 危ないところだった……。これで顔に直接おっぱいでも当てられてたら即死だった……)
「いっやぁあああッ!? 手がいっぱい出てきたぁ⁉ センパぁあイぃい……ッ!!」
「ッ……⁉」
ここで身長の高い小春は恐怖のあまり。小柄なえなを抱きかかえるようにぎゅっとしてきた。その結果体勢が崩れて、小春の方を向きかけていたえなは顔から彼女の胸にダイブする形になった。
結果、押し寄せる情報の波に呑まれて、えな、あえなくフリーズ。プレイヤーを失ったゲームはあっけなく怪異に呑み込まれて、無情にも一巡目に引き戻されるのだった。
5
「……センパイ。今日は急なお誘いだったのにも関わらず、本当に本当にありがとうございました」
空が暗くなり無機質な街灯が歩道を照らし始めても、東京の夜は生温く暑さを引きずっている。
スタジオの外に出て、小春は深々とこちらに頭を下げてきた。さっきまでよしかとしての声を聴いていたえなは、少し低くてほんのりと大人びたその声色に少し戸惑ってしまう。
「こっちこそ、お誘いありがとう。……よしかも頑張って、オフコラボのお誘いしてくれたんだもんね。いい配信になったと思うし、あたしも楽しかったよ」
配信が一息ついたので、えなも先輩風を吹かせるくらいの余裕が出てきていた。まあ色々……本当に色々とハプニングはあったけれども、初のオフコラボとして記念すべき配信の一ページになったのではないだろうか。それに、楽しかったという言葉は嘘じゃない。
密着空間だったとはいえ、同じ場所を共有して一緒に配信をするという経験自体が初めてだったのだ。思ったより、端的に言えばエモかった。ああ、私は。今までオンラインを介していた相棒と、同じ場所にいるんだなとわかって。……よしかモードの時の小春も、大人びた容姿とのギャップも総じてとんでもなく可愛かったし。これは感想の一部であって全部じゃない。一応。
「……じゃあまた。よしかとオフコラボ、してくれますか……?」
さっきまで立派で見事なメスガキRPをしていたのに、今はおどおどと指と指を合わせながら小春は上目遣いでこちらを窺ってくる。こっちが小春本人の素なのだろうか。自分より背が高くてすらりとした女性のそういう様子は、まあ何というか、とてもいいものだ。
「もちろん! オンラインでもオフラインでも、よろしくね! 次は出来るだけ広い部屋で配信しよっか」
「そ、それは本当に申し訳ございません……」
「じょ、冗談だから……。大丈夫だったし、結果的に距離も縮まったし! ね?」
えなの言葉を真に受けて綺麗な角度で平謝りする小春にまたあたふたする。典型的なメスガキのよしかと、低姿勢で謙虚すぎる小春の温度差で風邪を引いてしまいそうだ。オフコラボを続けている内に、慣れていくものだろうか。……いや、無理そう。だってこの人の全部が、えなの心臓を鷲掴みにするのだ。今もドギマギと胸の内側は元気に暴れまわっている。
「……えと、センパイ? もしセンパイの時間が大丈夫だったらなんですけど……これから一緒に晩御飯とか、どうですか……?」
右耳に横髪を指で掛けながら、小春がおずおずと言ってくる。大きいのに、小動物感。ぎゅぅうううううんっ。心臓のエンジン、空回り開始。
「もちろんだよ! いっぱい頑張ったし、美味しいもの一緒に食べようね!」
心臓を何とか元の位置に押し込めつつ、えなは精一杯先輩らしく親指を立てて笑い返してみせる。
そして思う。
(ほんとに大丈夫か……? この人にマジのガチで恋しちゃわない……?)
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