第2話──3
6
晩御飯は、例によって個室のあるイタリアンのお店で食べることになった。まだ身バレを気にするほどお互い有名ではないかもしれないが、小春──よしかの声は素でも特徴的なのだ。リスクは十二分に避けた方がいいだろう。
「……ごめんなさいセンパイ。よしか……わ、私。外食する場所ってあんまり良く知らなくて。自分から誘ったのに」
「いいよ、気にしないで。ちょうど混んでるピークの時間も過ぎてて予約も出来たし。むしろ、よしかはここで良かったの?」
「はい。センパイが選んでくれたお店だし! パスタとか、すごく好きです。……私、センパイがいないとほんとダメだなぁ」
来てくれた店員にえなはエビのグラタン、小春はアボカドのパスタを頼み飲み物をもらった後。そんな会話をして、ふと小春が俯きがちにそう呟いた。
……この子は。配信だとメスガキRPに徹して高飛車に振る舞っているけれど、小春としてだと自分を卑下しがちなようだ。
元来の性格というのもあるだろうけれど。小春はえなにだけやけに遠慮したような、気後れした雰囲気を見せているのは気のせいだろうか。
(……年の差のせいなのかな。やっぱり)
配信の時のよしかとして振り切った彼女を見ると、やっぱりオフの彼女はまだえなとどう接したらいいか決めかねているみたいだ。それはやはり、リアルでの自分の年齢とか佇まいとか、社会的な立ち位置とか。そういうしがらみを気にしてしまっているのではないか。
それならやっぱり、自分が出来ることは。えなは自分のオレンジジュースの入ったグラスを持ち上げる。
「とりあえず、乾杯だねっ。よしかのおかげで初オフコラボも盛り上がったし、いつもより同時視聴者数も多かったし! 大成功ってことで!」
「わ、私はただお誘いしただけで……。盛り上げてくれたのはセンパイだったし……。ほとんどセンパイのおかげというか……」
「こぉら、いくら尊敬できる先輩だからって、そこまで持ち上げてくれちゃわなくていいのっ。素直に自分のこと、ちゃんと褒めてあげて? よしかはすっごく頑張ってたし、ちゃんと盛り上げてくれた。そもそもお誘いしてくれなかったら、こんなみんな楽しい配信にならなかったよ?」
テーブルの向かい側にいる小春にグラスを差し向けると、彼女は途端にぱっと花が咲くように顔を綻ばせていそいそと自分のグラスを手に取った。そして「チアーズ!」「か、乾杯……!」とてんでばらばらな音頭をとってグラスを軽く合わせて、お互い笑った。うん、いい感じで空気がほぐれてきた。
「じ、実はセンパイとご飯に行くのって夢だったんですよねぇ……。ずっとそんなこと出来ないなんて思ってたけど、実績解除しちゃった。ほんと、いいセンパイでよかったぁ……」
アイスティーを口にした後、ほっとしたように言った言葉がつい溢れてしまった本心のようで。本当に嬉しそうな顔は無邪気さが滲み出ていて、本当に麗し可愛い。小春が向かい側にいてよかった。隣同士だったらたぶん反射的に頭を撫でにいっていた。今の時代、それは色々と危うい。
頼んでいたグラタンとパスタと、ついでに二人で食べる用のポテトも来て二人で和気藹々と舌鼓を打った。
「よしか、それだけで足りるの? ポテトも食べなよ美味しいよ? 飲み物追加で頼もうか? ほら、口に付いてるよ」
「ちょっ、センパ……っ。子ども扱いしないでよっ。……しないでくださいよっ。よし……私、センパイより年上なんだから……」
「そういうの気にしなくていいのっ。よしかはよしか! あたしの可愛い後輩ちゃんなんだから。前も言ったけどよしかかはあたしの前ではよしからしく振る舞っていいんだよ。もちろん、無理はしなくていいんだけど」
つい妹にするように世話を焼いてしまったが、リアルの年の差を考えないで甘えてほしいというのは本心だ。
……というか、あたし。こんな綺麗な人に結構な振る舞いしてんな。一瞬反りかけた我を引っ込めて、先輩面を何とか保つ。この子はよしか。この子はよしか。……小春さん、あまりに色々あたしの心に刺さりすぎるでしょ。冷静になったら正気を保てない。
「……センパイは、優しいなぁ。私、ライメイセンパイの後輩になれて本当に良かった」
俯いて呟いた小春は、本当にその言葉を噛みしめるように小さく笑った。そんな彼女を見られるなら、いくらでも優しくなれる。これは、下心は関係ない。というか、彼女とどうこうしたいなんて不遜な心は持ち合わせてない。勝手にキュンキュンしてるだけだ。悪いか。
「……実はずっと聞きたかったことがあって。センパイって、どうして今の事務所に入ったんですか?」
食事を終えて追加で頼んだ飲み物が揃った頃。ふと小春が真剣な面持ちでそう尋ねてきた。
そういえば。そういう踏み込んだ話は今までしてこなかった。一緒に配信するようになってから半年。顔を突き合わせてというタイミングもなかったから、今はちょうどいい時なのかもしれない。
「んー、そんな大義名分掲げてVライバーになったわけじゃないよ。ほんと、流れで今の事務所に入ったって言うか。よくある話だけど、あたしシンガーソングライターになりたくて。だから高校卒業して、そのまま東京に出てきたんだ」
「卒業から、そのまま……」
「ん、めっちゃ無謀で笑っちゃうでしょ。進学とか就職とか一切なしで。あの時は本気で歌うの仕事にするにはそれくらいしなきゃって意気込んでたんだよね。まあ当然、現実って厳しいわけで」
自分は何の取り柄もない人間だった、とえなは振り返る。そんな自分が唯一他人に褒めてもらえたのが、歌だった。
『えなって、元が良い声だけど。歌うと更に鋭くなって、何ていうか格好いいよね』
そう最初に褒めてくれたのは、今でも親友の茉子だ。それで今まで自分のコンプレックスだったハスキー気味の声も、少し肯定できるようになった。
それで動画サイトに「歌ってみた」の真似事の動画を上げてみたら、少し、本当に少し観て貰えて、聴いてもらえて。ごくたまに、コメントなんかも貰えたこともあって。調子に乗ってしまわなかったといえば嘘になる。
ちゃんと歌うことと向き合いたくなった。そうしたら、今まで嫌いだった自分でいることを許せるような気がしたのだ。だから、なあなあでやりたくなかった。進学や就職を間に挟んだら、弱い自分はそれを言い訳に歌うことから逃げてしまうような気がしたのだ。だから、逃げ道を塞いで真っ直ぐに自分の信じた道を突き進む。それがあの時は最短だと信じていた。
「東京に出てきてからバイトで食いつないで、デモテープ送ってみたり、ボーカルのオーディション受けたりしまくったんだけどさ。棒にも箸にも引っかからなくて。ボイトレに通いながら、色々頑張ってみたけど本当に空回りって感じで。バイトも忙しいし、正直現実は厳しいなぁって潰れかけてたんだけど」
四苦八苦していたところで、SNSで今の事務所の「レゲボゲ」の広告を見たのだ。アバターを介したインターネットの配信が主な活動になるVアバタータレントをオーディションで募集しているみたいだった。
調べてみたら、本当に起業したばかりのベンチャー企業のVタレント事務所であった。所属タレントもこれが最初の募集のようだ。
正直、めちゃくちゃ怪しかった。もはやVtuber業界は飽和していて、大手の事務所が幅を利かせている状態だ。個人勢はおろか、新規加入の事務所も苦戦していたりそのまま消えてしまったりすることも珍しくはない事例になってきている。
だが、レゲボゲのタレント募集の概要にはネット配信だけでなく、将来的にはイベントやライブにも力を入れたいと記入されていた。
それに、ネットでの配信はアバターを介した、リアルにも生身があるVアバター配信者というコンセプトも、えなの心を捉えた。リアルにいる自分を好きになりたいために、歌いたい。そう思っていたえなには、一番それが刺さったのだ。
もうどうにでもなれ、という半ば自棄、半ば藁に縋るようなつもりで、えなは応募フォームに申し込んだのだった。
そして声のデータを送って、それが通れば事務所での面接があった。緊張しいなえなはどんな質問にどう答えてどう振舞ったかまったく覚えていないが、とりあえず受かった。その時、マネージャーである茜とも初めて顔を合わせた気がする。
「……ま、そっからも全然順風満帆じゃなかったけどね。今って配信者の人達っていっぱいいるし、大抵は大手の人達が安定してファンを持ってるし。あたしも最初の一年は、全然伸びなくてバイトしながら配信活動してたんだ」
「そ、そうなんですか……? センパイって、すごく苦労されたんですね……」
「まあ、自業自得な一面はあるけどね。でもあたしにも、転機はあったよ。最強の後輩、よしかが同じ事務所に入ってくれたことかな」
「わ、私……?」
レゲボゲはVタレント事業だけではなく、デジタル関連、VRや3Dアバターの業務などにも携わっていて、タレント業はむしろ実験を兼ねてという感覚らしくタレントとして加入したのはえなもとい、空似ライメイだけだった。
初配信を見てくれたのは十人ほど。それからの配信も歌を中心にしたかったが、それだけではどうしても伸び悩みゲーム配信なども兼ねた。幸い、えなはゲームもプレイしながら話すのも嫌いではなかった。だがそれでも、ずっと視聴者数的には低空飛行が一年ほど続いたのだ。
そんな状態で一年ほどが過ぎ、連日の配信活動とバイトで自分がすり減ってきているのをえなは自覚していた。このままで自分は大丈夫なのだろうか。そんな考えもちらつき始めた時。
えなの言った通り、よしかが後輩として入って来てくれた。それが本当に転機だったのだ。
「よしかの初配信、話題になったじゃん。それであたしたちの初コラボ配信で、ドカンと来たの。千人以上の同接なんてあの時初めて見たよ。それから口コミでめっちゃ広がって、一緒にチャンネル登録者数十万人すぐ超えた。夢だったから、あの時すごく嬉しかったなぁ。よしかと一緒に記念配信できたのも、嬉しかった」
なかなか配信活動が振るわないのを受けて、運営のスタッフも兼ねている茜が「もう一人、ライメイさんの後輩を入れましょうか」と提案してきたのだ。そしてその采配は本当に上手く行った。空似ライメイとそめいよしかは、コンビライバーとしてバズったのだった。
だからさ、とえなはついテーブルを小春の方に乗り出して続ける。
「よしかは、あたしのヒーローなの。よしかが来てくれなかったら、きっと今のあたしはいないから。だからね、よしかはもっと自分のこと、認めてあげて。褒めてあげて。絶対間違ってないから。少なくともあたしは何があっても、よしかのこと、大好きだからね」
言い切ってから、えなは自分の言葉を反芻させて顔が一気に熱くなるのを感じた。いや思わず勢いのまま口走っちゃったけど、大好きって言っちゃったよあたし。
もちろんその言葉に嘘偽りは一切ないけれど、今はちょっと良くない気持ちが混じりこんでしまうというか。そのせいで自分だけがその意味を自覚して余計に恥ずかしくなってしまうのだ。あと単純に、気取りすぎているかもしれないという照れもある。
「……センパイ。あの、こっちに来てくれますか……?」
感銘を受けたように自分の豊かな胸元を手で抑えた小春は、ふと自分の隣の空いている椅子をぽんぽんと示してくる。どぅわああああああんっ。心臓のエンジンが軋む。
「ど、ど、ど、いきなりどうしたのよしかさん……?」
「な、何となく、もっと近くでお話したなと思って……。だめ……?」
不安そうに俯いてこちらを窺う彼女は、あまりに反則級に可愛麗しい。心臓が二度目のエンジンを吹かす。
やばいと思ったが、もっと近くに行きたいという欲を抑えきれなかった。えなはそろそろと立ち上がり、「お、お邪魔しまーす……?」とよそよそと小春の隣に腰を下ろした。
近くに来ると、より小春のいい匂いを捉えてしまい、ついでに何故か熱い視線のようなものも感じて戸惑ってしまう。どうしたらいいんだこの状況は、ともじもじしていたら。
「ねえセンパイ。手、握ってもいい、ですか……?」
「ほぇっ⁉ あ、いや別に、いい、よ……?」
半分ぼんやりしつつも両手を前に差し出すと、小春がそっと自分の両手で握りこんでくる。手、結構温かいと驚く間もなく、彼女は握るだけじゃなく優しくえなの手の甲を撫でてくる。その動きに、感触に。えなの感覚は全集中してしまう。
(やばいやばいやばい……⁉ どういう状況⁉ これどういう状況⁉)
ずんどこどこどこ、太鼓の如く轟いている胸の鼓動が間近にいる小春に聴こえてしまっていないか不安になる。気づいていないらしき小春は、すりすりと更に愛おしげに、えなの手を撫で続ける。あまりにその掌の感触がすべすべ過ぎて、えなはくらくらしてきた。
「……センパイこそ、よしかのヒーローだよ。よしかは、センパイがいなかったらきっと何も出来なかった。センパイが、よしかにこんな素敵な居場所を与えてくれたの」
そう柔らかく囁いた小春は、ちらりとこちらを上目遣いで見つめてくる。その眼差しは、大人びていて、それでいて真摯で。見入ってしまう。魅入られて、しまう。
「今までいっぱい、辛いこともあったのに。頑張ってくれてありがとう。センパイも、間違ってなかったよ。よしかも、何があってもセンパイのこと、大好きだからね」
そのまっすぐな言葉は、不意打ちだった。温かくて、どこまでも優しいそれは、じわりとえなの胸の内側に沁み込んで。
何だか、泣きそうになってしまった。今までの自分が、初めて誰かに、他でもない相棒のよしかに認められたような気がして。
でも、堪えて笑顔を作る。あたしは、彼女の先輩だから。ちゃんと先輩として、しっかり振舞わないと。
「……ありがと。これからも一緒に、頑張ろうね。よしか」
「うん。……もっとザコザコなセンパイの姿も、見せていいんだからね? どんなに格好悪くても、ちゃんと愛してあげちゃうよ?」
「も、もぉよしかは……っ。すぐ調子に乗るんだからぁ」
慈悲深い笑みから、少し小生意気そうな幼いにやけ顔に変わる。切り替えがえぐい。それで未だにうるさく騒いでいる自分の鼓動を、えなは思い出した。
(やっぱあたし、この子にガチ恋不可避だわ……)
これから彼女との活動が楽しみな反面、いつ自分がボロを出してしまわないか不安になるえなだった。
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