ふわり
蘭野 裕
冷たくなってゆくのは
「お願いだよ……君にしか頼めないんだ」
もう二度と耳にすることはないと思っていた彼の声を聞いて……われながらバカだと思ったけど……甘い記憶がふわりと蘇った。
急がないと夜中になってしまう。
久々に彼の家に着いたとき、懐かしい彼の車はすでに車庫を出て門の前に停まっていた。
「早く乗って」
助手席のドアを開けるとき、彼は会えて嬉しいというような顔をしていなかった……分かってはいたけれど。
後部座席いっぱいに大きなものが包まれて横たわっていた。
それが何なのか気になったけれど、用件を聞ける雰囲気ではなかった。
でも……頼みごとをちゃんと済ませられたら喜んでくれるかな……。
「今夜中に急いで行かなくちゃならない場所があって……検問が近づいたら運転代わってくれる? 知り合いで酒を飲んでないの、君だけだったからさ」
なんだ、そんなつまらない理由なのか……と正直なところガッカリした。そんな気持ちを彼は知ってか知らずか、つけ加えるように。
「それに何より、君がいちばん口が固くて信頼できるしね」
ほどなくして運転を私に代わった。
信頼に応えてがんばらなくちゃ。
聞いたこともない名前の山を目指して、ナビに頼りっきり。
彼に文句を言われたけど、あたしがいけないんだから仕方ない。気を散らしてこれ以上ミスを重ねないようにいっしょうけんめい集中した。
もちろん事故なんてありえない。
道がわるいからといって彼を不快にさせない常になめらかな運転ということ。
目的の山が見えてくると、また彼と交代することになった。
そのとき彼は言った。
「しばらく何も聞かないで、ただ指示に従ってくれる? いやならお前は帰っていいけど」
こんな僻地の知らない場所で夜、ひとりで帰れるわけない。
あたしは従うしかなかった。
「喉渇いたろ」
彼は小型の水筒ごとお茶をくれた。
でこぼこの山道で吐き気がしてきたけれど、それ以上に眠かった。
彼が代わってくれて良かった。
なぜか過去の友達の顔が浮かんだ。
「あんな人、やめときなよ……」
あたしはそいつの友達をやめた。
山奥で車が停まるころ、あたしの意識はもうろうとしていた。
「苦しそうだね。ここで休んでて。何もしなくていいからね。手伝ってほしいことができたら呼ぶから、それまで少し寝てなよ」
久しぶりに聞く優しい声だった。
「おい、起きろよ! さっさと手伝え!」
うかつにも眠り込んでしまった。
空は真っ暗で……スマホの時計を見ようとしたのに手元にない。
重たい足で車を降りて彼についてゆく。
その前にあたしのスマホがないかと、後部座席も見ようとしたけど何も見つからなかった。
彼は下草だらけの地面に向けてランタンを照らした。すぐそばに、土の塊に囲まれて穴が開いている。人一人呑み込むのに充分な大きさに思える……。
彼は木に立てかけたニ本のスコップの片方をあたしに差し出した。
「これを一緒に埋めてほしいんだ」
後部座席にあった大荷物の行方に察しがついた。そしてその中身にも。
あたしは怯えた目をしているに違いない。彼は一瞬、そんな時のあたしを見ているときの目をしたからだ。
「イヤならいいよ。でもこれだけは聞いてくれ。元はといえば、あいつのせいなんだ。君は味方でいてくれるね?」
「うん……」
あたしはスコップをおそるおそる受け取ろうとした。そのとき、胸の真ん中に強い衝撃。
ふわり
いつか彼がキレイだと言った髪が、あたしの視界にたゆたう。
宙に浮いたのはあたしの身体。
闇の底へ真っ逆さま……。
でも彼にはまた会うことになりそう。
もうすぐ。
* * *
××××年××月××日
××新聞 地域のニュース
今朝未明 ××山付近で乗用車大破
死者一名
ふわり 蘭野 裕 @yuu_caprice
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