幕間 リヒト・エーテルナ①
これはとある王太子の話。
「王太子殿下。国王陛下がお呼びです」
「――わかった」
また呼び出しか、とため息をつく。
自分の父であり国の長であるその男は、小心者のくせに野心家という矛盾を抱えた存在だった。
自分の名誉、体が傷つくのは嫌なのに、自らの利益を増やすことを第一に考えるその男は、人の上に立つ存在ではないのだろう。
それがわかっているからこそ歯がゆいものがある。
――早くその座を私に譲ればいいのに。
「父上。リヒトが参りました」
「来たか。座るといい」
私的な場だ。
あまりかしこまる必要もないと、言われるがままソファーに腰掛ける。
目の前に座る初老の男性はどうやらとても機嫌がいいらしい。
鼻歌でも歌いそうなほど気分がよさそうに口を開いた。
「魔王との和平が成立しそうだ」
「――なるほど?」
まさかの言葉にリヒトの瞼がぴくりと動く。
魔族との確執の歴史は長く、人間側は常に苦渋を舐めさせられていた。
そんな歴史に変化が訪れたのは、自らが生まれた年。
神殿に祀られていたあの聖剣が、主人となる存在がこの世に誕生したことを示した。
その年に生まれた男児は皆、夢見たことだろう。
もしかしたら自分が勇者になれるかもしれない、と。
それからはひたすら剣術を学んだ。
国一の剣豪と名高い男を師範とし、元より才能があったのか技術面においては、右に出るものはいないと言えるほどになった。
そのうちどこからともなく聞こえ始めた自分を支持する声に、有頂天になっていたのだろう。
その声がまるで神の啓示のように聞こえ始めたのだ。
己こそがこの国を救う勇者である、と。
それがまるで決まったことのように思っていたあの時の自分を、ぶん殴りたくなる。
「…………勇者、魔王、共に瀕死の重傷だったと聞いていますが?」
「双方共に回復したらしい。さすがに勇者ですら魔王を倒せないとなると、こちらに他の手はない。そこで和平の話を勇者にしたのだが乗り気でな。魔族側もいい反応を返してきたようだ」
「……父上から和平の話をしたのですか?」
意外だ。
和平の提示なんていう思考があるとは思わなかった。
驚くリヒトをよそに、王は蓄えた髭を撫でる。
「そうだ。魔族との戦いによる兵士の疲弊や金銭面的なことを考えても、そろそろ和平とはいかずとも一時休戦はすべきだろう」
ああ、なんだ。
とリヒトは軽く鼻を鳴らした。
少しは父を見直せる機会ができたのかと思ったが、どうやら違ったらしい。
結局この男が気にしているのは兵士及び市民からの支持と、国庫の残りのようだ。
国の金を私金だと思っている節のあるため、これ以上資金を出すことが嫌らしい。
「仮に和平が成立したとして、信用できるのですか?」
「もちろん。双方共に代償として、こちらは勇者を。向こうは魔王の娘を差し出すらしい」
「――」
差し出すとはどういうことだ。
勇者を失ってはこちらに魔王に対抗する術はないというのに。
険しい顔をするリヒトに気づいたのか、国王は軽く首を振った。
「安心しろ。勇者に魔物の姫を娶らせるだけだ」
「…………政略結婚ということですか?」
「そうだ。これ以上争いにならないのなら、と勇者もよしとしている」
「…………」
リヒト・エーテルナという男は、生まれながらに全てを持っていた。
王太子という地位、人々を惹きつける美貌、なにをやっても人並み以上の才能。
そんなリヒトが生まれて初めて努力したのが、生まれながらにやるべきことと決まっていた剣術であり、それだけは才能以上の努力によって手に入れた力だった。
自らが勇者になるのだと信じて疑わず、日夜努力を重ねた力は、しかしどこにも発揮されることはない。
なぜならリヒトは、勇者ではないから。
「……勇者が、結婚?」
あの日の絶望を覚えている。
神殿の奥に眠る聖剣。
新年を祝うその場に集められた数多の男たち。
屈強な彼らは聖剣を手にする。
しかしそれは反応することなく、彼らの夢は綺麗に砕かれた。
そんな惨めな奴らを鼻で笑っていたリヒトは、まさか己も同じことになるなんて思ってもみなかったのだ。
だって自分は勇者になるのだと、みんながそう望んでいたから。
神がいるのなら人の願いを叶えるべきだ。
だから自分こそがこの聖剣を持つに相応しい。
そう、思っていなのに。
あの、聖剣を手にした時のことは忘れない。
その場にいた人のほとんどが注目していたことだろう。
リヒトの一挙手一投足を食い入るようにみていたものたちの、落胆と嘲り。
手にした聖剣はしかし反応はせず、あの時の感情は言葉にできないものだった。
怒りも悲しみも恨みも。
負の感情の全てがあの一瞬で溢れ出た。
ただ、それだけだ。
「それで双方手打ちとすることになった。まあ魔物の姫はこちらの国にくるからな。実質人質のようなものだ。……アリアには申し訳ないが国のため、勇者のことは諦めてもらわねばならぬ」
「…………そう、ですか」
なんとなく、勇者がもし生きていたらこのまま王族の仲間入りを果たすのだと思っていた。
そうなったらなんと肩身の狭きことよ、なんて嘆いたこともある。
勇者の平民からの人気は凄まじく、彼を支持するものも少なくない。
逆に貴族たちからはあまり好かれてはいないが、それも元孤児という経歴ゆえだろう。
だが当たり前だが国のほとんどは平民であり、彼を押す声は多く感じる。
だからこそいずれお飾りの国王となる日もそう遠くないなと、そう思っていたのに……。
「…………アリアには諦めてもらいましょう。勇者と魔族の姫の結婚、必ず成功させましょう」
やはり神は自分を見放していなかったのだと、リヒトはにやりと微笑んだ。
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