気づかなかった
「…………この子?」
「え? ええ、そうです」
「ヘスティア? どうかした?」
アルフォンスに聞かれたが、ヘスティアは返事を返すことができないでいた。
今目の前にいる男の子は確かに魔物だ。
浅黒い肌に真っ黒なウェーブがかった短い髪。
同色の瞳は不安げに揺れている。
一見すると人間にも見える見た目だが、右の額から小さな角が生えていた。
微量ながら魔力も感じることから、この子供が魔物であることは間違いない。
間違いない、はずなのに。
「…………」
ヘスティアは呆然と立ち尽くす男の子の元へと足を進める。
突然部屋に入ってきた人間たちに驚いたのか、男の子は警戒心をあらわにしていたが、気にせず近くへと寄った。
目線を合わせるため膝を折り、出来うる限り優しく声をかける。
「あなた、名前は?」
「…………ま、もの?」
まずそこからか、と抑えていた魔力を少しだけ放出する。
ヘスティアから多量の魔力を感じたのか、大きく肩を振るわせた男の子は少しだけ後ずさった。
「大丈夫よ。あなたの話を聞きにきたの。一体なぜこんなところに?」
「………………」
害がないとわかったのか、男の子はその場から逃げることはなかったが視線をあちこちへと向けた。
明らかに言い淀んでいる様子に、ヘスティアはちらりとアルフォンスを見る。
「……ねぇ、あそこにいるの誰だかわかる?」
「え?」
「勇者アルフォンスよ。魔物からしたら恐怖の対象かもしれないけれど、彼がむやみやたらに魔物を殺す人じゃないことは知ってるでしょ? 彼の名において必ずあなたを助けるから、話してみない?」
勝手に彼の名前を使うのはどうかと思ったけれど、まあ妻ということで許してもらおう。
聞き覚えのある名前に少しだけ安心したのか、男の子の顔が少しだけ明るくなった。
「勇者……? あの勇者!? オレ知ってる! お母さんが教えてくれた! 勇者は俺たちを助けてくれるって!」
「…………俺たち?」
おや?
とヘスティアは片眉を上げる。
魔物にとって勇者は畏怖すべき存在だ。
確かにアルフォンスと直接交流した魔物たちなら、恐れずに接するものもいるだろうが。
だがしかし、助けてくれるとはどういう意味だろうか?
勇者が救うのは人間なはずで……。
戸惑うヘスティアとは真逆に、男の子は足取り軽くアルフォンスの元へと向かう。
「本当に勇者? その腰につけてるのが聖剣!?」
「え? いや、違うよ。聖剣は魔王との戦いのあと神殿に戻してるからね」
「じゃあもう持たないの?」
「大きな戦いになれば持つかもしれないけれど……。俺がそれを持たないことで、平和を表すことにもなるから」
「…………?」
さすがに難しいことはわからないのか、男の子は首を傾げた。
確かに聖剣は勇者が魔王を倒すためのものであり、それを持つということはすなわち争いを意味する。
だからこそアルフォンスはそれを手放す選択をしたのだが、まだ幼い少年は首を傾げるばかりだ。
そんな男の子と目を合わせるため、アルフォンスは膝を折った。
「人間も魔物も争わなくていいから、聖剣はもう必要ないんだよ」
「………………」
男の子の目が大きく見開く。
口を閉ざした男の子は、しばしの沈黙ののちゆっくりと唇を割った。
「…………本当に? 本当にもう、争わなくていいの?」
「もちろん。そのために俺と魔王は話し合いをしたんだ。もう、魔物と人間が戦わなくていいようにって」
「…………そう、なんだ」
アルフォンスの言葉に顔を伏せた男の子は、なにか考えている様子だった。
どうしたのだろうかとヘスティアは立ち上がり近づく。
どうもこの子はなにかを抱え込んでいるように見える。
ちゃんと話を聞いてあげたいとその肩に触れようとしたその時、男の子がぼそりと呟いた。
「じゃあなんで、お母さんは死んじゃったの?」
「――……え?」
静まり返った部屋の中。
その言葉に返したのは誰だったのか。
部屋にいるみながみな、男の子を驚愕の瞳で見つめた。
「お母さん、連れて行かれた…………。きっともう、ころされ……だから、オレ……」
「…………連れて行かれたって、人間に?」
「うん」
「…………」
ヘスティアの中に、一瞬にゃんこの姿が思い浮かんだ。
あの子は自分の母親のことは知らない。
人間に捕まり、子を逃し、自由になることなく亡くなった。
遺体は魔界へと戻すことができたが、最後に会わせてあげることはできなかったことを後悔している。
この子も、同じような思いをしたのだろうか?
「お母さん、オレを産んだからっていっつもいじめられてた。それで連れて行かれちゃって……。みんなはもうお母さんは死んだって…………」
「――あなたを産んだから? ちょっとまって、どういう意味?」
この子を産んだから、殺された。
どういう意味なのかと考えた時、ふと違和感を覚えた。
いや、違和感はずっと感じていたのだ。
この子に会ったその時から。
なにかが違う。
なにかが普通じゃない。
その違和感の原因を、ヘスティアはやっと理解できた。
「オレ、半魔だから」
「…………半魔って?」
「半分魔族。……この子、人間とのハーフだわ」
そう。
感じた違和感はこれだ。
魔力の質、量ともに純粋な魔族のそれとはどこか違う。
なるほどと納得したと共に、すぐに気づけなかった己の無知を恥じた。
半魔の存在は知っていたが、出会ったことがなかったからわからなかったのだ。
それほどまでに、半魔というのは稀少な存在なのである。
「じゃあ、魔物のお母さんが連れて行かれたから、王宮にきたの?」
「違う。お母さんは人間だよ」
はっと息を呑んだ四人は、急激に渇いた喉にごくりと音を立てた。
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