犠牲になってる
「アルフォンスと離婚してください」
その言葉に、ヘスティアのまぶたは滑り落ちた。
すっと細まった瞳に、強まった殺意に、しかしアリアは気付かない。
周りの空気が重くのしかかろうとも、平和の中で育ったアリアはまるで感じておらず、己の主張を述べるため口を開き続ける。
「アルフォンスがかわいそうだとは思わないんですか? 愛のない結婚をさせられて……それも魔族の姫だなんて。周りからどんな目で見られているか、あなたはわからないんですか?」
「そう、それで?」
「……それでって…………自分の夫であるアルフォンスの幸せを、願えないの?」
頭の痛い話だなと、ヘスティアはふと息を吐き出した。
夫となる人の幸せを願って離婚するなんて、矛盾もいいところじゃないか。
「アルフォンスは勇者として命を賭して戦いました。世界のための和平だってなされた。……それなら、彼だって幸せになっていいでしょう?」
「あの男の幸せを、あなたが勝手に決めるんじゃないわよ」
「――」
やれやれとヘスティアは首を振りつつ、なんとも的の得ないアリアの話を止める。
これ以上は聞く必要すらない。
「あなたの言いたいことは理解できるわよ? 世界のために命をかけて戦った男が、好きでもない魔物の姫と結婚させられてかわいそうだってことでしょ?」
「そ、そうです! これ以上アルフォンスが犠牲になる必要はないと私は思うんです」
「そうね。その通りだわ」
ヘスティアからの同意を受けて、アリアの表情がパッと晴れる。
期待に瞳を光らせる彼女の美しいこと。
神に祈るように指を絡め、ヘスティアとの距離を一歩詰める。
「ええ、ええ! その通りなんです。ですからどうか、アルフォンスを自由に……」
「けれど彼に犠牲を強いたのは、他でもないあなたたち人間よね?」
「――…………」
ぴたり、とアリアの動きが止まる。
呼吸すらも止めてこちらを見つめてくるアリアは、まるで時の流れから忘れ去られたかのようだった。
だがヘスティアは攻める手を休めるつもりはない。
なぜなら、彼女の主張はヘスティアの逆鱗に触れたからだ。
「なぜもっと早くに止めなかったの? もっと早くあなたが声をあげていたら、こんなことにはならなかったんじゃない?」
「お父様には伝えました! アルフォンスの結婚を止めてほしいと! ……しかし、」
「止まっていないのなら、それはやっていないのと同じよ。……あなたの努力は認めるけれど、結果あの男があなたのいう犠牲となったのなら、意味のないことだったわね」
「――だから私は今、あなたにっ!」
「これ以上あの男の優しさに甘えないで」
どうしてわからないのだろうか?
彼女のいう平和とは、アルフォンスとヘスティアの犠牲の元成り立っているというのに。
それを一番わかっているアルフォンスは、この平和を守るために必死になっているというのに。
それをこのお姫様は、なにも知らずにかわいそうという。
「あ、アルフォンスの優しさに甘えてるのはあなたの方です! 彼が嫌だと言えないからって……」
「言えなくしてるのは誰? 彼の意思を握りつぶしてるのは誰? あなたたち人間でしょ」
彼には愛する人がいる。
もしかしたら彼らの中にその真実を知る人はいないのかもしれない。
彼は黙って受け入れたのだ。
この結婚を。
それは彼が誰よりも平和を望んでいる証。
己の身一つで誰も死なない世界を作れるのなら、それで構わないと思ったのだ。
馬鹿な男だと、ヘスティアはため息をつく。
「あなたがすべきことは私にそんな愚かな願いを懇願することではなく、父親や兄にもっとアルフォンスの言葉を聞くよう進言することよ」
「――、お父様もお兄様もアルフォンスのことは尊重しています。だからこそ、私との縁談も……」
「なるほど、そこが本音なわけね」
どれほどひた隠しにしようとも、ふとした時に本音は漏れてしまうものだ。
まあ元々彼女の魂胆なんてわかっていたので、出してくれた尻尾をありがたく握ることにした。
「アルフォンスのことを本当に尊重してるなら、彼にあんな態度はとらないはずよ。現実を見なさい」
「あなたはお父様とお兄様のことを知らないから、そのようなことを言うのです」
「知らない人間からそう見られている時点で終わってるわよ」
ヘスティアからの言葉に黙り込んだアリアは、ぐっと強く唇を噛み締める。
その表情を見て、ヘスティアは話の筋を変えることにした。
家族愛はあるようで、これ以上そこを詰めるのはよくないなと思ったからだ。
家族を大切に思う気持ちには、人も魔物も関係ない。
「とにかく、たとえ私と離婚したとしても、あなたと結婚するとはかぎらないわよ。そうなったら最後、またこの世界は戦火に巻き込まれるもの」
もちろんそんなことになったとしても、ヘスティアは全力で止めるつもりだが。
だがヘスティアの一言で止まる可能性は極めて低い。
魔族の中には、人間に強い恨みをもつ者も多いからだ。
そう、とても多い。
ヘスティアの頭の中に、燃えるような赤い髪が一瞬だけ過ぎる。
「……戦争をなくすことはできないんですか?」
ああ、本当に。
このお姫様は人の神経を逆撫でするなど、ヘスティアはゆっくりと口端をあげる。
そのためにヘスティアはどれだけ陰口を叩かれようともここにいるのに。
そのために大切な家族、仲間と別れてここにきたというのに。
誰よりも平和を願う人の前で、なにもしてない人がそんなことを言うなんて。
「………………甘ったるいわね」
笑うヘスティアは、なによりも誰よりも恐ろしかった。
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