二人の関係
馬車は予定より少しだけ早く、空が橙色に染まった頃王宮へとたどり着いた。
ヘスティアの命令で急いでくれた従者には申し訳ないが、やはり馬車というものにはなれない。
せめて馬に乗って駆けることができれば、もっと早くついたものをと、従者の手を借りながら馬車から降りる。
「ようこそお越しくださいました」
「……出迎えありがとう」
王都アティス。
花と水の都と呼ばれるそこは、広く美しい場所だった。
至る所に水路が引かれ、花々は咲き誇り、人々の笑顔が溢れる。
そんなところにやってきたのは、あの苦々しい結婚式以来だ。
思えばあの時もなんだかんだと慌ただしく、まともに周りを見る暇すらなかった。
今度アルフォンスに連れてきてもらって観光でもするかと考えていると、前のほうから足音が聞こえ始める。
人よりも少しだけ性能の良い耳に届いたそれに視線を向ければ、こちらに向かって三人ほどの男性が歩いてきていた。
「――はじめまして、魔物の姫よ」
後ろの二人は見た目的に護衛なのだろう。
なので問題はその前に立つ一人の男性だと、ヘスティアはその男の顔をじっと見つめる。
橙色に染まりながらも眩しさを覚える金色の髪に、透き通った緑色の瞳。
見目麗しい男性に、しかしヘスティアはすっと瞳を細めた。
「名乗っていただけるかしら? 魔族なもので、人間に詳しくないの」
「おっと失礼。リヒト・エーテルナと申します」
「ああ、あなたが王太子なのね」
たったそれだけ。
その会話だけで、周りからくすくすと嘲りの声が聞こえ始める。
どうやら嫁いできた国の王太子すら知らないことを笑っているようだが、ヘスティアからしてみれば知らなくて当たり前だろうと言ってやりたくなった。
この愚か者どもは魔界、人間界の和平のための結婚式に一切顔を出さなかったのだから。
結婚式は王都で行われた。
和平のためになされたいくつかの契約の一つに、魔王が人間界に来ることを禁ずるという約束がなされたため、父が結婚式に参列することは叶わなかった。
だからまあ、人間の王が来なくても文句は言えないのだが……。
普通なら参列するだろう。
だからこの目の前の男、少なくともヘスティアとは考え方から違うのだと警戒する。
こうして出迎えに王太子がやってきた理由はなんだと怪訝そうにしていると、そんなヘスティアをよそに彼女の手をとり指先に軽く唇を落とした。
「想像よりもずっと美しい。勇者アルフォンスが羨ましいくらいだ」
「…………どうも」
にっこりと微笑んだリヒトは、そのままヘスティアをエスコートするつもりらしい。
添えられたままの手をなんとも言えない顔でじっと眺めていると、またしても離れたところから走ってくる足音が聞こえた。
聞き覚えのあるそれに、ヘスティアは睨むように視線を向ける。
「――ヘスティア!」
「遅い」
パッと手を離したヘスティアは、駆け寄ってくるアルフォンスの元へ行くとさりげなく彼の影に隠れる。
なんというか、どこがとは言えないのだが、とにかくリヒトのことを苦手だと思ったのだ。
なのでさっさとアルフォンスを盾にしたのだが、対面した二人からなんとも言えない空気を感じとり、顔だけひょこっと出してみる。
「…………ご無沙汰しております、王太子殿下」
「ああ、久しぶりだな。君の活躍は耳にしているよ。父上が魔物の姫を呼び寄せたと聞いて、君と結婚した女性はどんな人なのだろうと気になったんだ。想像よりずっと美しい人だったから、君を羨んでいたところだよ」
「……私の妻を、魔物の姫と呼ぶのはおやめください。少なくとも王宮では」
ピリッとした空気に、思わずアルフォンスの顔を見る。
なにやら険しい表情をしており、少なくともリヒトを警戒しているのは見てとれた。
どうやらこの二人、仲がいいわけではないようだ。
リヒトのほうも、なんとなくアルフォンスを下に見ているような雰囲気に、ヘスティアは眉間に皺を寄せた。
「それは失礼した。お名前をうかがってなかったもので。美しい人、お名前を教えてくださいませんか?」
名前を教えるくらいなら魔物の姫と呼ばれたほうがいいと思うのだが、流石にここで無視するわけにもいかない。
こちらは一応、魔物たちの処遇をお願いする立場なのだから。
ヘスティアは渋々といった様子を隠すこともなく口を開いた。
「…………ヘスティアよ」
「ヘスティア。君にピッタリの名前だ。……父の元に案内しよう。二人とも、ついてきなさい」
踵を返したリヒトの背中をじとっと見つめつつ、さっさと国王に会って用件を終わらせようと歩き出そうとしたヘスティアは、しかしアルフォンスが動かないことに気づき足を止めた。
なんだか先ほどから様子が変だ。
元気がないというかなんというか。
虚無を見つめている彼に、ヘスティアは声をかけた。
「なにぼーっとしてるわけ?」
「…………君こそなにしてるの?」
「汚れたから拭ってるの」
ごしごしとアルフォンスの服で、先ほどリヒトに口づけされたところを拭う。
できれば手を洗いたいところだが流石にわがままは言えない。
むうっと唇を尖らせながら必死に手を拭うヘスティアに、アルフォンスは不思議そうにする。
「そんなに汚れたの? 見せて」
「もう大丈夫よ。それよりあなたこそどうしたの?」
「いいから見せて。……ああ、真っ赤になってる」
「これくらいしないと嫌だったのよ」
「…………」
ヘスティアの赤くなった手に己の手を重ねて、少しだけ摩ってくれる。
労わるような雰囲気になんとなく気恥ずかしさを覚えながらも、すぐにその手を振り払い足を進めた。
「ほら行くわよ。待たせたら面倒でしょ」
「…………そうだね」
少しだけいつもの調子を取り戻したのか、アルフォンスはヘスティアの隣を歩く。
そんな彼の横顔を見つつ、アルフォンスとリヒトの間になにがあったのだろうかと考える。
少なくとも良好な関係ではないだろう二人は、どんな過去があるのか。
「…………」
まあ考えてもわからないので、そこは深く探らないことにした。
どちらにしても、ヘスティアにとってリヒトが敵であることに変わりはない。
夫が敵視してる人間を好意的に見る妻がどこにいるというのだ。
ヘスティアは離れたところにいるリヒトの背中を、強い瞳で射抜いたのだった。
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