ごめんねが言えなくて

「ヘスティア! 大丈夫? 怪我は!?」


「大丈夫よ。怪我なんて少しもしてないわ」


 地面に叩きつけられて砂だらけになりはしたけれど、怪我自体は全くしていない。

 パタパタと服についた土を拭っていると、アルフォンスが情けない顔をして近づいてくる。

 先ほどまでの殺気に満ちた顔とは違いすぎて、本当に同一人物なのかと疑いそうになってしまう。

 ヘスティアがちょっとだけアルフォンスから離れようとしていると、そんな二人の元にルナとクレアがやってくる。


「あれだけ吹っ飛ばされたのに、本当に怪我してないのか?」


「してない。擦り傷ひとつないわ」


「……本当みたいです。丈夫なのね」


 もちろん怪我をしないわけではないけれど、人間よりは大怪我を負いにくい。

 だからこくんと頷けば、なぜかそんなヘスティアの首元にルナが腕を回した。


「それにしても吹っ飛ばされた時、ぴゃ!? って言ってたな?」


「――! い、言ってないわ!」


「言ってましたよ? ぴゃ!? って大きな声で」


「可愛いところあるじゃん」


「あ、あなたたちの聞き間違いでしょ!?」


 ぺいっとルナの腕を引き剥がして、ヘスティアはそっぽを向く。

 確かに言った。

 本当に思わず口から出てしまったのだ。

 だがしかし、認めなければそれは言っていないも同然となるはず。

 いや、そうなってもらわなくては困ると、追撃をしてこようとする二人から顔を背け続ける。

 そんな女性陣のやりとりを見て、アルフォンスはくすりと笑う。


「ほら、そこまで。逃げ遅れた人がいないか、負傷者がいないかを確認して」


「あ、そうだ。あたしは向こうに行く」


「ではわたくしはあちらから」


「ヘスティアは俺と一緒にまた地下に。魔物商人たちから話を聞こう」


「わかったわ」


 ルナとクレアはそれぞれ別方向に走っていき、ヘスティアとアルフォンスは地下へと向かおうとする。

 だがその前にと、ヘスティアは巨大な蛇の元へと向かう。


「ヘスティア? なにするの?」


「……大丈夫だとは思うけど」


 今一度指先から魔力の糸を出し、蛇の体を覆うように縛り付ける。

 顔だけ出して動けないようにしておくと、アルフォンスの蹴りで凹んだであろう頭をそっと撫で付けた。


「ごめんね。すぐに助けてあげるから、がんばって……」


 薬の副作用がどれほどのものなのかわからないが、相当辛いはずだ。

 ひゅーひゅーと呼吸音がするたびに、ヘスティアは眉をひそめた。

 思っていた何倍も人間と魔族の確執は深いのかもしれない。


「……行きましょ」


「うん。必ず魔物たちを助けよう」


「…………そうね」


 どうしてアルフォンスは魔物たちを守ろうとしてくれるのだろうか?

 と疑問に思う。

 勇者なのに。

 なによりも魔物たちと敵対する立場であるのに、彼はちゃんと考えてくれる。

 ただ憎むだけじゃない。

 ただ殺すだけじゃない。

 そこにいる存在を命あるものだと、心あるものだと理解してくれている。

 あの大きな蛇も額は凹んでいるが、あの程度なら二、三日すれば治るだろう。

 ちゃんと手加減してくれている。


「ねえ」


「ん?」


 アルフォンスと共に地下へ向かう途中。

 ヘスティアは彼に声をかけていた。


「あなたはどうして魔物を憎まないの? 勇者なら私たちは敵でしょ?」


「…………そう思う?」


 質問に質問で返されるのは好きじゃない。

 若干むっとしつつも考える。

 勇者なら魔物を倒して当たり前だ。

 そのための力を彼は持っている。

 ……だというのに。

 頷くことができないでいるのは、彼がそれを望んでいないのを知っているからだ。

 人間と魔物を同格だと思っている。

 それは勇者としてのあり方としては間違っているのだろう。

 けれど……。


「…………はぁ。思わないわよ」


 大きなため息と共に否定の言葉を伝えれば、彼はなにも言わずただ優しく目尻を下げるだけだ。

 この緊迫した状況でそんな情けない表情をするなと、軽く肘で横っ腹を突いてやった。


「勇者だろうがあなたはあなただものね。私の質問が意地悪だったわ。…………悪かったとは思ってる」


 素直に謝れないところが己の悪いところだとわかってはいるけれど、まあ許してくれと心の中だけで懇願した。

 とはいえ表情には出ていたのか、険しい顔をするヘスティアにアルフォンスはそっと手を伸ばす。


「花嫁様の言いたいことはわかるよ。でも君は俺の敵じゃない。そうでしょ?」


「……他の魔物もそうとは限らないわよ?」


「たとえ魔物に襲われても、その魔物を恨みはしても、他の魔物まで恨むことはしない。……君たちも人と変わらない。優しい魔物がいることを、俺は知ってるからね」


 彼の親指がヘスティアの頬を撫でる。

 ざらついた感覚から、多分だが土を拭ってくれたのだろう。

 だがしかし。

 触れられたという事実だけが、ヘスティアの頭の中を占拠した。


「――き、急に触らないで!」


「土ついてたよ」


「それはありがと」


 ごしごしと己の手で顔についた土を拭っていると、アルフォンスは歩みを進めながら口を開いた。


「人も魔物も変わらないよ。残虐なものもいれば、優しいものもいる。……花嫁様みたいにね」


 それだけだよと言うと、アルフォンスは地下へ続く扉に手をかける。

 それを後ろから眺めつつ、ヘスティアはむっと唇を曲げた。

 彼が魔物に憎しみを抱いていないのは知っている。

 ティーとして会っていた時に話の節々に感じてはいたのだ。

 だがティーの時ですら、彼はその理由を口にはしなかった。

 こちらは一応妻なのだが、とは思いながらも、きっと彼にとって大切ななにかがあるのだろう。

 だからこそ、そこを無理やり聞くのは失礼にあたる気がした。


「…………変なこと聞いて、ごめんなさい」


「――」


 扉を開きつつ、彼が驚いた顔をしてこちらを振り返った。

 しばしの沈黙。

 瞬きを数回繰り返した彼は、ほころぶ花のように笑った。


「俺は優しい花嫁をもらって、幸せ者だね」

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