薬
ヘスティアの目が男の手にあるものを捉えたその時、彼の後ろからなにかが地面を突き破って地上へと飛び出して行った。
砂煙に目を細めつつも、それの正体に気づいてすぐに踵を返す。
後ろにいるエリーが視界に入り、彼女に声をかけた。
「この男捕まえて!」
「へぇ!?」
ヘスティアからの急な命令に驚きつつも、次の瞬間には男の動きを魔法で封じていた。
流石に勇者のパーティーなだけあるかと横目で見つつも、急ぎ地上へと向かう。
アルフォンスにくるなと言われていたがそんなもの知ったことかと足を進める。
あの男が持っていたものが何かはわからないが、少なくとも安全なものではないだろう。
ヘスティアが風のように地上へと飛び出た時、目の前の惨劇に眉を寄せた。
「――」
建物という建物が薙ぎ払わられている。
瓦礫から逃れるように人々が逃げ惑う中、ヘスティアはその犯人であろう存在を睨みつけた。
「……どうなってるの」
「ヘスティア!」
アルフォンスとルナ、クレアがやってくる。
彼らは奴隷商を相手しつつ、市民を逃していたようだ。
さすが勇者一行だなと思いつつも、怪我人などいないといいのだがとあたりを見回す。
「市民は?」
「あらかた逃げたと思う。それよりあれは……」
「魔物……だけど」
細長い体をとぐろを巻くようにしているそれは、ニョルスという魔物である。
確か前に似たようなやつと出会した時、フィンことアルフォンスがあれは蛇だといっていた。
巨大な蛇のような生き物が、今にも襲いかかってきそうにシャーシャーと唸っている。
「なんだか変よ。私が目の前に立ってるのに、あんな風に威嚇してくるなんて……」
「そういえば魔物って上下関係あるのよね? 魔力量でかわるって……」
「そうよ。だからありえないの」
ヘスティアの瞳は黄金に輝き、威圧をしているのに全く効いていない。
魔王の娘であるヘスティアに怯みもしないなんて、普通なら絶対にあり得ないことだと眉間に皺を寄せる。
なにかが変だと瞳に力を込めるのを止めた時、地下にいた時のことを思い出す。
「地下にいた男が変なもの持ってたわ。注射器……みたいな」
「…………そういえば噂がある。魔物を暴走させる薬があると」
「暴走?」
そんなことをさせてなにになるのだと怪訝そうな顔をしてアルフォンスを振り返れば、彼は顎に手を当てつつ口を開いた。
「魔物同士を戦わせる闘技場があるからね。魔力差で動けないなんてつまんないこと、客に見せられるわけがない。だから薬を使って理性を失わせるんだよ」
「――……クズ野郎」
どうして魔物がそんな目に遭わなくてはならないのだと、強く唇を噛み締めた。
血によって刻まれたそれを覆すなんて簡単なはずがない。
相当強い薬なのだろう。
そんなものを打たれたら最後、下手したら元には戻れない可能性がある。
そうまでして魔物同士の戦いを見たいなんて。
「ああなったら薬の効果が切れるまで暴れ続けるよ」
「……力づくで止めるしかないわね」
手荒な真似はしたくないが、これ以上被害が出ては面倒だろう。
だからこそヘスティアは魔力を練ろうとしたのだが、それすらアルフォンスが止める。
「ダメだ。君は安全なところに避難してて」
「…………あのねぇ。私を誰だと思ってるわけ? 私はあのまお」
「俺の花嫁」
「――」
卑怯だ。
卑怯すぎる。
それを言われてしまうと確かにその通りなので、大人しく口を閉じるしかないじゃないか。
むぐっと口をつぐんだヘスティアに優しく微笑みかけてから、アルフォンスは腰に携えた剣を抜く。
「二人は援護を」
「りょーかい! 動きを止める」
「承知しました。尻尾を抑えます」
先にルナが拳を振るい、正面から大きな体を拳で殴る。
しかし硬い鱗があるからか打撃はあまり効いておらず、蛇は頭をルナへと向かって振り下ろした。
なんとか避けたけれど、地面がへしゃりと凹んでいることから、その力の強さが窺える。
ルナが気を引いてるうちにクレアが矢を尻尾に向かって放つ。
しかしやはり鱗が硬いからか矢は刺さることなく跳ね返ってしまう。
「……使えないわね」
「文句言うなら手伝えや!」
あの勇者が手を出すなと言ってきたのにと大きくため息をつく。
まあ物理攻撃が効かないなら魔法をメインにするよなと、今ここにいないエリーの姿を薄らぼんやり思い出す。
きっとそうやって乗り越えてきたのだろうが、今はその手が使えない。
「……あなたたちよく今まで生きてこれたわね」
「――! 今はエリーがいないから!」
はいはいと頷きながらヘスティアは指先に魔力を込める。
ちりちりと弱い電気が流れるような感覚を覚え、にやりと口端をあげた。
魔力量もさる事ながら、ヘスティアはあの魔王に褒められたほど魔力操作が上手いのである。
ちなみに魔王である父には他のことでもよく褒められてはいた。
娘には砂糖よりも甘いのだ。
あの魔王は。
「動きは私が止める。その先にあなたがどうにかしなさい」
「ヘスティア、まっ――」
この期に及んで止めようとするアルフォンスの言葉を無視して、ヘスティアは指先から魔力の糸を紡ぎ出した。
キラキラと輝くそれは纏まると天の川のように美しい。
それらは瞬く間に蛇の体に絡まると、あっという間に動きを止めた。
「――すごっ」
「……流石は魔族の姫ね」
「ほら、今のうちに――」
蛇は糸から逃れようと必死に抵抗しているけれど無駄だ。
これはヘスティアの魔力によって作られているのだから、そう簡単に切れるわけがない。
往生際が悪いとさらに力を込めようとした時、蛇の体が大きく動く。
「ぴゃ!?」
「ヘスティア!?」
しまったと思った時にはもう遅く、ヘスティアの体は空に飛ばされなかなかの勢いで地面へと叩きつけられた。
普通ならこれで体の動きを完璧に止められるはずなのに、やはりあの薬は通常よりも強い力と感覚を鈍らせるらしい。
普通皮膚に食い込み毒のように体を駆け巡る他人の魔力に耐えられるはずがないのだ。
油断した、と砂がついた頰を手の甲で拭ったその時。
ヘスティアの横を、凄まじい勢いの何かが走り抜けた。
「――!」
ヘスティアは思い出した。
勇者は魔法を使えない。
その身にあるのは剣の才能だけ。
――そう、才能は。
彼は愛されていた。
人から、自然から、人以外のものから。
精霊に愛されているらしい彼は、炎も風も水も操れないけれど、そのかわりそれらのものは消して彼を傷つけはしない。
彼が操っているわけではないのだ。
ただ、精霊たちが愛する彼のためにと動かす。
水は彼の体を守るように包み込み、炎はその身を避け、そして風は彼の足元に平伏す。
まるで地面を蹴り上げるように、彼は空を蹴ると一瞬で天高く飛びたつ。
――ああ、なんて綺麗な月だろう。
彼の背後にある大きな月が、その姿を淡く映し出す。
「俺の花嫁に手を出すな」
振り上げた足が、勢いそのまま蛇の頭へと落とされた。
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