ねこねここねこのにゃんこ

「ララ、お湯持ってきて。あと石鹸も」


「かしこまりました!」


 部屋へと戻ってきてすぐ、ララに命じれば彼女は瞬時に動いた。

 働き者だなと感心しつつ、キューマを片手に抱いたままヘスティアはクローゼットの中を漁る。

 がさごそとあれじゃないこれじゃないと探していると、アルフォンスが戻ってきた。

 

「さっき、侍女長が感謝してたよ。救ってくださってありがとうございますって」


「はあ? 別に助けてないわよ。私はこの子を助けただけ。あんな女どうなろうが知ったこっちゃないわ」


「――うん、そうだね。それでなにを探してるの?」


 なぜかニコニコしているアルフォンスにじとっとした視線を向けつつも、ヘスティアは目当てのものを見つけたと踵を返した。

 ちょうどテーブルの上に置いておいた空のバスケットに、何枚もの布を雑に入れていく。


「お気に入りのハンカチ。肌触りがいいのよこれ。――お前、私のお気に入り貸してあげるんだから感謝しなさい」


「んにゃぅ」


「これがどれだけ光栄なことかわかってんのかしらこいつ……」


 王女の私物を下賜されるなんて光栄なことなのに、全くわかってなさそうなキューマは、ヘスティアの腕の中で心地良さそうにしている。

 ひとまず寝床を確保したところで、ララがお湯と石鹸を持って戻ってきた。


「奥様。これでよろしいのでしょうか?」


「よろしいわ。ほら、暴れないでよね」


 とりあえずお湯に浸けてへばりついた泥を落とすしかないとキューマを入れれば、彼はヘスティアの命令通り大人しくしている。

 ばしゃばしゃと顔や背中の方にもかけつつ、全体が濡れたら石鹸をつけて毛の奥の方まで洗ってあげた。

 気持ちよさそうにゴロゴロ言っている様子を見て、ヘスティアは片眉を上げる。


「こいつ……王女である私にここまでさせるなんて…………」


「にゃんこ気持ちよさそうですねぇ」


「んにぃー」


 呑気な返事を聞きつつ、さっさと泡を落としていく。

 追加で持ってきてくれていたお湯も使いつつ綺麗に流し切り、タオルでわしゃわしゃと水気を拭き取る。


「よし、こんなもんでしょ」


「わあ! 綺麗な毛並みになりましたねぇ」


 まだ完全に乾ききってはいないが、あとは自然に乾くだろう。

 ひとまずテーブルの上に下ろすと、さっさと先ほど作った寝床へと入り込み、居心地よさそうにごろんと寝転んだ。


「あ、こら! まだ乾ききってないのに……」


「安心したんでしょうね。あっという間に寝ちゃってる」


「……多分だけど人間たちに密輸されたんでしょう。母親と引き離されて、一人でなんとか逃げ出したのか……そもそも母親がこの子だけでも逃がしたのか」


「…………すみません」


「あなたが謝ることじゃないわよ」


 人間と魔族。

 和平がなされたとて、すぐになくなる問題でもない。

 それにこれは人間だけが悪いわけではない。

 魔界では同じように密輸された人間たちが、ゴミ屑同然に扱われているのだから。


「でもこの子がここにいたこと。それを踏まえてもそう遠くないところに、魔物商人がいるわよ」


「…………禁止されているのに、王都に近いこの場所にもいるなんて」


 王都、アティス。

 そこから数時間馬を走らせたところにある街、アレクオン。

 そこにこの屋敷はあった。

 勇者の住む町と話題のここは、地方からも数多の人間がやってくるらしい。

 そんなところで隠れて商売をするのは、とても簡単だろう。

 人が多ければ多いほど、隠すのが楽になるからだ。

 それに商売相手にも困らないはずで、王都よりは監視の目が緩く、しかし人は王都のように多いこの場所は、隠れて過ごすものにも格好の場所だろう。


「……どうするかは知らないけれど、この子の親がいたら連れてきて。こういう生き物は親の姿を見て育つのよ。このままじゃこの子自然で生きてけないわ」


 そうなったらこのキューマはずっとここにいることになる。

 食事を自分でとれないのなら、自然界に戻すのはほぼ不可能だ。

 一応狩りなどは教えてみるつもりではあるが、流石にキューマの生態を正確に理解しているわけではない。

 親がいるなら親元に戻すほうがいいだろう。


「親が見つからなかったらどうするの?」


「そりゃ……せめて自分でご飯とれるくらいまでは見てやらないと…………」


「それってどれくらい?」


「え、どれくらいってそりゃ、一年……二年…………三年………………」


 正直出会ったばかりの人間がいるこの場所で、くうくうと鼻息を鳴らしながら爆睡しているキューマが自然界で生きていけるとは思えない。

 もう少し警戒しろ、と心の中で叱りつつ、致し方ないとヘスティアはアルフォンスへと体ごと向き直った。


「…………この子が生きていけるようになるまで、この屋敷に……置いてもいい? …………いや、置いてください。お願いします」


 癪だが致し方ない。

 同胞の子供がのたれ死ぬのは正直いい気分ではない。

 だからこそ頭を下げようとしたのだが、それをアルフォンスの手が額を押さえることで止める。


「はいそこまで。花嫁様のそんな可愛いお願い、聞かないわけないだろ」


「…………いいの?」


「使用人とかに危険はないんでしょ?」


「私が躾けるわ」


「ならいいよ」


 アルフォンスの手が伸びて、キューマの首元をくすぐる。

 くるくるくると喉を鳴らすキューマは、間抜けな顔で寝ていた。

 こいつは本当に魔物なのか?

 と疑いの眼差しをむけていると、やりとりを聞いていたララが軽く手を叩いた。


「では、正式にこのお屋敷の子となったわけで、その子の名前はどうしますか?」


「名前? 面倒だからキューマでいいわよ」


「それ、人間に人間って名前つけるのと一緒だよ?」


 あり得ないという顔をされたので、渋々考えることになった。

 別になんだっていいじゃないかと頭を捻っていると、ふとこのキューマと初めて会った時のことを思い出す。


「……ねぇ、ララ。あなたこの子のことなんて呼んでた?」


「え? ええっと…………にゃんこ、ですか?」


「そうよそれ! それにしましょう!」


「え!? ですがそれは……ある意味キューマと呼ぶのと変わらない気が……」


「いいのよ。なんか響きかわいいし、気に入ったわ。こいつは今日から『にゃんこ』よ!」


「えぇぇ……」


 困惑するララ、笑いを堪えるアルフォンス、キラキラと瞳を輝かせるヘスティア。

 三者三様の反応をものともせず、爆睡し続けるキューマの名前は『にゃんこ』に決まったのだった。

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