3.現人神



 “神殿宮”だという、建物の中をアスミラの先導で進む。その内部は華美な装飾はなく、想像していたよりも、質素な造りだ。そして、もの静かで神官にも、ほとんど出くわさなかった。

 それでも、たまに出会う神官は廊下の脇にのき、2人に道を開けると頭を下げて道を譲る。タダンはそれが居心地悪かった。


 しばらく歩いた後、中庭に面した部屋にたどり着いた。部屋の中は床も天井も木が張ってあり、家具も全て木造で統一されている。そして唐草や花を彫り込んであり、なるほど“花の間”だ。

 アスミラは革張りのソファに座ると、背の低いテーブルの上に用意されていた水差しから杯に液体を注ぐ。2つ注ぐと、先にタダンに差し出し、自らもそれを飲んだ。

 飲んでみると花の香りがする茶で、微かに甘く、徹夜と移動で疲弊した体に染み渡るようだった。

 茶を飲み干すとタダンは落ち着かず、部屋の中を見て回った。どの家具も上等で、長年磨き上げられたのであろう、重厚な光を放っている。

 部屋の中庭側は一面が見事な透かしの彫刻がなされた扉となっており、木漏れ日のような陽光が部屋の中に差し込んでいる。

 振り返ると、ソファにいるアスミラは目を瞑り、うつらうつらとしていた。道中は見せなかったが、かなり疲れていたはずだ。神殿に戻り、緊張の糸が切れたのだろう。

 さらに、タダンが部屋を一周見て回る僅かな間に、腰掛けていたはずのアスミラは、いつの間にか突っ伏すように横になり眠っている。所々開け放たれた扉から、部屋へ爽やかな風が入り、眠るアスミラの髪を優しく揺らしていた。





 タダンは不思議と気が急いていた。タダンの勘が、良くない流れだと告げている。早く報酬とやらを頂いて、神殿から去りたかった。なんなら、報酬などいらないから、この部屋を出て、無断で神殿を離れようか。そんな事を考えていると、ラウルが慌てた様子で部屋に入ってきた。


「カーネリアン大神官がすぐお越しになります」


「大神官だと?」


 タダンの問いは、食い気味だった。

 神力は神が与えるもので、その力が強いほど神官としての地位も高まる。生まれもって強い力を持つ者もいれば、信仰を深め修行により神に認められ、力が強まる者もいる。

 その神官の中でも力の強い、一握りの者しか“大神官”を名乗ることを許されていない。

 さすがにアスミラが、ある程度高位の神官だとしても大神官の前で眠りこけているのは無礼だろうと思い、起こそうと近づく。と、ラウルがタダンの腕をつかんだ。

 何事かと振り替えるとラウルが部屋の入口を顎でしゃくる。扉がない入り口の向こうからは、ごく僅かに足音が近付いて来るのが聞こえた。

 ラウルが素早く入口を向き、膝をついて頭を下げた。それに習い、タダンも黙って膝をつく。タダンが頭を下げたと同時に衣擦れの音を纏った足音が部屋にたどり着いた。足音は部屋へ数歩入り、立ち止まる。


「楽にされよ」


 大神官と聞いてタダンは枯れ木のような老人を思い浮かべていたが、以外にも声が若い。

 顔をあげた先にいたのは、年の頃40過ぎの背の高い男だった。瞳の色は金色で、赤毛がかった長髪を後ろに撫でつけている。その精悍な顔つきと、瞳の色から、鷹を連想させた。

 その瞳が、タダンを見据える。タダンは大神官の視線に、落ち着かない感じがしながらも、まっすぐに見つめ返した。

 やや間があり、大神官はタダンから視線を反らし、ソファのアスミラの姿を見つけると深く息をついた。やはり、起こしてやったほうが、アスミラの為だったか。

 大神官はタダンに視線を戻すと、不意に柔らかい笑みをみせた。笑うと、さらに若く見える。顔で受ける印象ほど厳格なタイプでは、ないらしい。


「神殿宮の同胞を救っていただき、感謝申し上げる」


「勿体ないお言葉」


 タダンは礼を尽くして謙遜した。


「外国の出身で、相当の武術の腕前とか。そして、神の干渉が感じられる……。クラスグラディガンが“救い”を呼び寄せてくださったのだな」


 ダダンは嫌な予感が的中したのだろうと確信した。嫌な顔をする訳にもいかず、曖昧に首を振った。が、相手にタダンの否定は届かなかったようだ。

 カーネリアンが口にした、“クラスグラディガン”というのは、所謂“現人神”。人の形をした神の遣い。神と国を繋げ、民を導く予言を伝える。この国での神の依り代とされ、民のために生き、民のために祈る。生涯を国に捧げ、神殿宮の奥深くで生涯を終える。

 そういう存在がいるということは、他国にいても吟遊詩人の詩で伝わっていた。もちろん、ダダンは遠い国の夢物語だと思っていた。が、神力の存在を確認した今では、実際に実在するのだろう、と思うしかない。

 アーカディアの歴史の中でもクラスグラディガンが降臨したのは、片手で数えられるほどで、生きている内にクラスグラディガンがいる事自体がこの上ない幸運だ、とラウルに道中で聞かされた。そして、今はその幸運な時代だとも。つまり、この大神殿の何処かにクラスグラディガンがいる。


「道中の族のような輩から、クラスグラディガンを護ってもらいたい。神殿宮にとどまり、クラスグラディガンのお側で護衛の任に……」


 カーネリアンの言葉に、今まで静かにしていたラウルが口をはさんだ。


「…恐れながら、大神官様。神殿宮はクラスグラディガンを外界から守る為に存在する宮殿。タダン殿が、いくら腕が立つと言っても、ここより安全な場所はあり得ません。それに護衛なら神殿兵がいるではないですか」


 ラウルの早口に戸惑いが現れていた。カーネリアンは首を振る。


「今回の件、残念だが大神殿だけで納まる話とは思えんのだ」


 ラウルは衝撃を受けたような表情で固まり、動かなくなった。頭の中で思考を巡らせているのだろう。見張った目が僅かに左右に動いている。


「今、さらに危機が差し迫っている」


「クラスグラディガンは神に守られてるんでは?」


 タダンは耐えきれず、疑問を大神官に投げかけた。出来れば、神殿に囲われるのは回避したい。


「まず、神の力は偉大だが万能ではない。神は人を導き、恩恵を与え、時に試練と罰を与えるだけ。歴史を紡ぐのはいつでも人の意思だ」


 カーネリアンは遠い目をして、庭園に目を向けた。


「そしてクラスグラディガンは、神が人の信仰を試す為に使わす存在。そのクラスグラディガンが、人の手で命を落としたとなれば、島への神の加護が無くなりかねん」


 カーネリアンの口調はおだやかながら厳格で、タダンには脅しのようにさえ聞こえた。


「200年ぶりにクラスグラディガンがいる大祭が行えると国中が浮かれていたのです。念には念を……、という気持ちを汲んでいただけますかな」


 カーネリアンが苦笑する。この話を聞いてしまった以上、申し出を受けるしかないのだろう、とタダンは観念した。



 カーネリアンは眠るアスミラの傍らに、優雅な動作で膝間付き、アスミラの手をとった。彼女の手を優しく揺らすと、アスミラが小さく呻き声を上げながら意識を浮上させた。

 アスミラは目をしばたたかせながら、傍らのカーネリアンを見つけると安心したように微笑み、すぐに眉を寄せた。

 カーネリアンがとっていた方の手を、彼の頬にそっと添える。アスミラの白い手に負けないほど、大神官の顔は蒼白だった。


「……カーネリアン」


 アスミラが咎めるように大神官の名を呼ぶと、彼は微笑んだ。


「ご無事でなによりです。あなた様が行方知れずの間、心穏やかに過ごせた神官は、この宮にはおりますまい。我らを想うなら、無理は成されぬようにお願い申し上げます」


 大の大人が幼さが残る娘に、恭しく頭を垂れる様をタダンは異様なものを見る目で眺めていた。


「どういうことだ」


 すぐ隣でまだ固まっていたラウルを小突いて、タダンが小声で問う。


「……アスミラ様こそが現人神、クラスグラディガンであらせられます」


 今度はタダンが固まり、目を見張る番だった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アーカディアの光 ―語り継がれる物語― 遠野 楓夏 @sarada333

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ