2. 聖地




 初めに天と海が出来た。地平線しかない世界で、神が海の底から大地を引っ張り上げて大陸と島を創られた。

 神が息を吹きかけると風が生まれ、種を運び、生命が育まれた。

 生命が群れを成し増え始める頃、神は天に帰られた。

(アーカディア神書 創世紀より抜粋)




 かつて人の文明が未熟だった頃、世界に争いが起こり徐々に国の形が成り立っていく。

 この島でも至る所に部族がいたが、侵略し合うこともせず共存して生きていた。というのも島は天災が多く、それどころではなかったのだ。

 苦難にさらされながら、奪い合うことも、争うこともなく、挫けずに生きる人々。そんな姿に神は感銘を受けられた。

 大陸の争いが広がり、この土地にも大国が攻め入った。国土を侵略された民達の生き残りは森の中に追い詰められ、彼らに出来ることは神に祈ることだけだった。

 神は民の祈りを聴き、アーカディアを護るために女神を遣わされた。女神は恐れるべき力で侵略者を追い出すと、島の周りに天候の防壁をおつくりになった。

 女神は天にお還りになる際、この土地の人々が自分たちで島を護れるように神力を与えられた。

 そうして、この島はアーカディア“祝福の土地”と呼ばれるようになったのだ。

(アーカディア神書 建国記より抜粋)



 

国と人を治めるは王。神が治めるは天と地。

神力は民のため。神力は島のため。

(アーカディア神書 建国記より抜粋)



 神は人の世へ、現人神を遣わす。人の声を聴き、人の世を知る彼は肉体を捨て天に戻り、人々の祝福となる。


(アーカディア神書 予言書より抜粋)






 依頼主の治療師の元へ戻ったタダンは、籠いっぱいに刈り取った薬草を無事に渡すことが出来た。治療師は予想以上の収穫に喜び、報酬を弾んでくれた。

 タダンは約束を守るため、日が傾き、さらに暗がる森に向かう。神殿の前まで戻ると神官たちは大人しく並んで座り、タダンの帰りを待っていた。

 タダンの姿に嬉しそうな顔をする2人に果物が入った袋を放って渡した。タダンは多く貰った分の報酬で消化に良く、栄養が豊富な果物を買っていた。介抱するラウルがアスミラに渡していた食料は“神官向き”で衰弱した後に長く歩くような場面には向かない。神力でどれくらい回復出来るのかは知らないが、無いよりはマシだろう。

 軽く説明すると、アスミラは嬉しそうにタダンにお礼を述べ、ラウルは感激した様子で神に何かを祈っていた。それを横目に見ながら、タダンは手早く枝を集め、火を焚いた。

 もう日が暮れていたので、森の神殿で夜を越すことにした。アスミラとラウルは神殿の中で休むことにし、タダンも誘われたが断った。

 夜の森で火を絶やす訳にはいかず、神殿の前で見張りを兼ねて焚き火にあたる。その火を眺めながらアスミラの瞳を思い出す。

 明るいときは碧色、夜には蒼く陰る。あの瞳は見たことがある気がした。タダンの抜け落ちている記憶が、そう思わせるのだろうか?

 そういえば、今日は獣に出くわしていない。獣が多いはずのこの森で気配も感じないのは珍しい。

 背後から足音がして振り返るとアスミラがいた。彼女はタダンの隣に座り込む。


「助けていただいて、ありがとうございます」


「いや、助けたのはラウルだ」


 タダンのぶっきらぼうな口調にアスミラは微笑んだ。タダンは着心地悪そうに枝を火に焚べる。


「この国の生まれでは無いのですよね?故郷はどちらですか?」


「さあな。俺の記憶は過去7年分しかない。それ以前は分からない」


 アスミラは少し眉を上げたくらいで、あまり表情が動かなかった。それが意外だった。タダンの事情を知った人の反応は大抵が驚くか、同情するか、面白がるかだった。


「私が力になれるかもしれません」


 アスミラがタダンの頭に手をかざす。怪訝な顔でアスミラを見ると、彼女の大きな瞳に自分の影が写っているのが見えた。

 確かに、彼女と目が合っているのだが、その顔には表情も揺らぎも無い。アスミラの瞳を見ていると、深淵を覗き込んでいるような不安な気持ちになる。

 と、アスミラが驚いた様な顔をした。彼女が、あまりにも急に表情を見せるのでタダンも驚いた。


「残念ですが神力では戻せないようです。貴方が記憶を無くしたのは神のご意思です。貴方がこれから成すべき事の為に必要な事のようですね」


 タダンはぞっとした。神力自体がこの国をあげての嘘なのではないか、神官は神力があると偽っているのでは、という考えが頭によぎる。   

 もし、アスミラが言っている事が真実だとしても人生を神に干渉されるなんて、たまったものではない。


「然るべき時に自然に戻るでしょう」


 アスミラの予言の様な口ぶりにタダンは曖昧に頷いた。とにかく話を変えたくて、話題を探す。


「アスミラの生まれはどこだ?」


「わたしは……王都です。でも赤子の内に神殿に渡されたので、覚えていませんが」


「そういうものなのか?」


「珍しいでしょうね」


 アスミラの声が少しだけ陰ったので、タダンはそれ以上何も聞かなかった。遠くから聞こえてくるラウルのいびきを聞きながら、2人はただ焚き火を眺めていた。





 人が立ち入らない、この森には道らしい道は無いが、幸い獣が多いことで獣道なら見つけることが出来る。

 それでも草がまとわりつき、足が取られることに変わりはない。足元に注意し黙々と歩く3人を、絶え間なく聴こえる鳥の鳴き声が応援しているようだった。見上げれば天を覆う、木の葉の間から青空が覗く。

 先の方に光が見え、それが徐々に近づく。視界がひらけ、ようやく3人は森を抜け出した。


 森から神殿までの道のりはそう遠くない。街道に出てしまえば、すぐに神殿が見えてくるはずだ。

 しばらく歩くと、荷車や人々がまばらに行き交う街道が近づいてきた。


「思っていたより人通りがあるな」


「国中から神殿に向かう者がここを通ります。もう少しで大祭があるので、特に巡礼者や商人が多いのですよ」

 

 何故かラウルが得意げな顔をしている。

 街道に出ると格段に歩きやすくなる。最近雨が少ないので、やけに埃っぽい。

 小さく神殿が見え始めると、気が緩んだのか、道中ラウルがタダンに神書の内容を説法してくるので鬱陶しくて仕方が無かった。

 たまにアスミラを伺うと、周りのくたびれた巡礼者の様子をまじまじと見ている。そして、彼らと目が合うとぎこちなくお辞儀をし合う。しっかりしているのか、抜けているのか、なんだか不思議な娘だなと思う。

 いよいよ遠くに見えていた白っぽい建物が近づいてきた。正面には巨大な大門。その向こうにみえる聖堂の屋根。その、さらに遠くに山の頂上だけが見えた。この門から山の麓までが神殿の敷地だというのだから壮大だ。

 天地創造の彫刻が彫られた大門をくぐると、石造りの参道が続く。左右に立つ緻密な装飾が掘られた柱や聖人像はかつて、真っ白な大理石だったのだろうが、長い年月をかけて薄茶色になり、場所によっては溶けたように形を変えている。どれほどの長い間、風雨に晒されると、このようになるのか想像もつかない。

 2人の神官について歩を進めると一回り小さい門が近づいてきた。両脇に門番がおり、槍を手に神殿に近づく民を見守っている。

 ラウルは小走りに門番に近づくと、何やら話をしている。しきりにこっちを見ながら話し込んでいたが門番の1人が聖堂に向かって走り出すと、やっとラウルが戻ってきた。


「さぁ、もう一息ですよ」


 門をくぐると真正面に見事な大聖堂が姿を現す。石を積み上げ、柱に文様やレリーフを掘り出し装飾されている。

 その荘厳さに、たどり着いた巡礼者は感嘆の声を漏らし、開け放たれた扉の中に吸い込まれていく。

 ラウルとアスミラは大聖堂には目もくれず、隣接する建物の1つに入る。人がまばらな礼拝堂を横切り、誰もいない廊下をしばらく進むと外に出た。

 大聖堂の裏に当たる、その場所は玉砂利が敷き詰められた広場になっていた。四方から道が延び、真ん中には何に使うのか分からないが、石造りの丸い舞台の様なものに続いている。

 その広場の先にも大聖堂と同じような大きさの宮殿があり、その奥にも周りの森にも何かしらの建造物が見える。

 王城よりも断然広いであろう敷地を見て、流石“宗教国家”だと感心する。

 途方もなく長い歳月の中で積み重ねられた人々の信仰が、この神殿を形作っていた。


「私は宮にお帰りを知らせて参ります。アスミラ様はタダン殿と花の間にいてくださいますか?」


 アスミラが頷いたのを確認するとラウルは急ぎ足で何処かへ去っていった。


「参りましょうか」


 アスミラが穏やかに促し、歩を進めた。タダンは小さな娘に黙ってついていくしかなかった。


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