アーカディアの光 ―語り継がれる物語―

遠野 楓夏

1. 神官






 日が傾き、鬱蒼と生い茂る森の中。木々がさらに視界を悪くした。うす暗い森の中を草をかき分け、一人の男が奥へ奥へと歩を進める。

 鎮魂の森と呼ばれるこの森は建国神話の中で太古の闘いの舞台であり、それを治めるために女神が舞い降りた地とされていた。

 この国の民は、この森を神聖視し木を伐るどころかほとんど立ち入りもしない。そのため、草木が延び放題だ。長い歴史の中、人の手が加えられていない森は貴重な植物や獣が手にはいる。

 その植物の中には難病にきく薬になるものもあり、余裕のある治療師が、あまり“信心深くない者”に報酬と引き換えにして取りに行かせることがある。といっても、宗教国家であるこの国ではそういう者は滅多にいない。

 この無駄がない動作で、足場の悪い森の中を歩く男は、その貴重な“信心深くない者”だった。

 黒髪を短く刈り上げ、日に焼けた浅黒い肌、この国では殆ど見ない灰色の瞳を持っている。背には薬草を入れるための籠を背負い、その外側に弓矢を括り、腰には短刀を下げている。いかにも森の近くに暮らす猟師の出で立ちだが、体つきががっしりとしており、隙のない動きが軍人を思わせる。


 この男は知り合いからタダンと呼ばれていた。タダンというのはこの国の古い言葉で「ただの男」を意味する。

 元々男はこの国の生まれではなく、西の大陸の国の生まれらしい。らしい、というのも男はここ7年以前の記憶を無くしており、真相は定かではない。気づいた時には西の大陸におり、国を転々としたのち、この島国にたどり着いたのだ。

 男は金になることなら汚い仕事以外はなんでもした。腕がたち、旅なれた男は密書の運び屋にも商人の用心棒にも、獣の猟師にもなり、どんな雇い主も満足させた。

 男は口数が少なく無愛想だが仕事ぶりがよく約束事に誠実だった為、口伝てに評判が広がり、一部の有力者や商人の間でもてはやされるようになった。

 そしてその折、誰に名前を聞かれても頑なに答えなかったので、いつしかタダンと呼ばれるようになった。





 黙々と歩くタダンの目の前が開け、崖が現れた。タダンは足元に気を配りながら崖に沿って歩いた。

 しばらく歩くと茎は赤、葉は濃い緑をした草が地面から房になって生えているのを見つけた。これが依頼の植物だ。

 短刀で草を根本から刈り取ると背中の籠へ放り込んだ。草は幸いな事にひとつ見つけると数歩と歩かず生えており、次々に草を刈り取って歩く。


 草で籠の重みが増し、そろそろ切り上げようかと考えた矢先、崖の上の方が騒がしくなった。草や木が擦れ合う音や砂利を踏みしめる音、何か金属がかち合うような音が聞こえた。  そして短い悲鳴の後、黒い塊が崖の上から転がり落ちてきた。

 地面に転がった塊はうずくまりながら呻き声を上げた。


「おい、大丈夫か」


 塞ぎこんでいる男に呼び掛ける。近づくと男が身に付けている短剣が目に入った。そこには神殿の紋章がはいっている。


「なにがあった。なんで神官がこんなとこにいる」


 タダンの問いに答えようと、男が口を開きかけたところで崖の上からさらに塊が転がり落ちてきた。

 その塊はむくりと起き上がるとタダンの姿に一瞬戸惑いを見せつつも刀を構えた。

 鼻から額までは木彫りの仮面をつけているため人相は定かではないが、手足の関節を皮性の防具で守った身軽な出で立ちに見覚えがあった。


「神官だぞ。わかっているのか」


 この国では、どんな悪党でも神官に手出しはしない。これはかなり特殊な状況だった。

 タダンの警告の声も気にせず、相手は間合いを詰めてきた。タダンは神官を庇うように立ちはだかる。

 相手が切りつけようと踏み込んで来たところをタダンは横に体を動かし交わした。と同時に、その刀を握る手に素早く拳をぶつけ、刀を叩き落とした。タダンはそのまま相手の腕を掴んで引き寄せると後ろに振り向き様、肩越しに地面に投げつけた。

 地面には狙い済ましたように岩がごろごろと並んでおり、相手はそこにしたたか体を打って

情けない声を上げると動かなくなった。

 タダンは素早く相手に近づき、背の籠に繋いでいた縄をとると瞬く間に縛り上げた。


「お、おみごと」


 振り替えると神官の男が地面に座り込んだままこちらを見ていた。

 その瞳は赤っぽい茶色。薄茶色の髪を肩まで伸ばし、少し軟弱な印象だ。

 肩で息をし、崖から落ちてきた際につくったのであろう、引っ掻き傷があちこち血が滲んだ顔には遠目で見ても汗が浮かんでいる。彼はやっとのことで立ち上がると、右足を痛めたのか引きずりながらタダンに近づいてきた。


「感謝申し上げる。神官に手を上げる神をも恐れぬ不届き者がいるとは……」


 神官は伸びている賊に向かうと、手で魔除けの祈りをきった。


「神官様がなぜここに?」


「山頂近くに小さな神殿があり、そこから戻らぬ神官を迎えに来たのです。しかし、このならず者に行く手を阻まれ、いくに行けず…」


 神官は賊を忌々しげに見ている。


「わたしを神殿までお連れ頂けませんか」


 彼の申し出にタダンは困った。


「申し訳ないが、仕事の途中だ。終わってからなら、戻って来て…」


 神官はタダンの腕をしがみつくように掴んだ。


「実は今まで、幾人も迎えをやっているのですが、賊に行く手を阻まれて皆帰ってきました。とうに食料も尽きている頃。一刻も早く無事を確かめねばならぬのです」


「しかし、こちらも事情が…」


「お願い申し上げる!この礼は、神殿宮の威信にかけ、かならずや…!」


 神官は顔を真っ赤にして訴える。こんなに感情的な神官は初めて見た。

 タダンは根負けをして神官の願いを聞いてやることにした。さくっと神殿に行き帰ってくればいいと思い直したのだ。


「この者はどうしましょう」


 神官が平和ボケしたことをいうので、タダンは思わず苦笑しながら歩きだす。神官は慌ててついてきた。





 神官の案内で中々険しい山道を進み、山の上の神殿までたどり着いた。

 神殿は岩上を掘削し作られており、入口には古代の遺跡にあるような、飾り柱の彫刻がされていた。

 道中でラウルと名乗った神官は入口の前で立ち止まる。


「ここからは入れませぬ」


その言葉にタダンは怪訝な顔をする。


「では、どうやって中の方の無事を確かめる……?」


「呼び掛けます。古の神殿は祈りを捧げている間、他の神官は入ることを許されておらぬのです」


 ラウルは出来るだけ入口に近づいた。タダンも近寄り中を覗いたが、予想外に奥まった創りで通路の先に部屋のようなものが、かろうじて見えるだけだった。


「ごめんくださいませ。お迎えに上がりました」


 ラウルの呼びかけに応答はない。


「ごめんくださいませ。もしもし」


 その声は神殿の通路に虚しく反響するだけだ。


「意識を失っていたらどうする。聞こえていても声を出せなかったら……」


 タダンは冷静に神官に問い詰めるが、彼は眉をハの字に下げて不安げな顔をするだけだ。


「しかし決まりなのです。神書に記されていて、破ることは許されません」


 神書というのは、古の時代の神話や神の教えや、神と人との盟約が記されている書物だ。この国の神官は、神書に書かれている話の伝道師で、民に説いて守らせる事で国の秩序を維持する役割を担っている。タダンにとってはふざけた話だ。


「俺はこの国の生まれでは無いから、神書を守る道理はない」


 タダンは神官が止める間もなく神殿に足を踏み入れた。


「あぁ…」


 後ろをからはラウルの情けない声が聞こえた。通路を進み、小部屋に入ると祭壇が目に入った。

 その手前に無造作に白い布が落ちている。ようにみえたが、それが人だと気付いて駆け寄った。

 抱えあげると意外なことに若い娘だった。

 力なく身を預けている娘の口元に耳を近づけると、わずかに息をしているのが確認できた。


「おい、無事か?」


 タダンは娘の頰を軽く叩く。娘は薄く瞼を開いた。そして口を開き、か細い声で何か呟いているが聞き取ることが出来ない。


「もしもし、どうですか。いらっしゃいましたか?」

 

 神官の間抜けな声が響いて聞こえた。タダンは娘を抱えあげると入口へ戻った。


 ぐったりとした娘を見たラウルの慌てようは酷いものだった。タダンは役に立たない神官を放って、荷物から水筒を取り出すと娘の口に水を少しづつ流し込んでやった。彼女はかろうじて水を口に含み、嚥下した。

 その間もラウルは、ただ取り乱して祈りの言葉を呟いたり、周りをうろうろするだけだ。


「俺の依頼主の所へ行こう。医者だから診てもらえる。その籠を持ってくれ」


 タダンは娘を背負って神官に指示する。


「なりません!」


 神官の急な大声にタダンは呆気にとられる。


「こちらに。こちらに寝かしてください。私達は神官ですよ?もちろん神の加護を受けてますので……」


「……何を言ってるんだ」


 タダンは呆れた声を出したが、ラウルの真面目な顔を見て、それ以上は言わなかった。


「もしや、ご存知ない?」


 ラウルは信じられないという顔をする。

 タダンはとりあえず娘を神官の前に寝かしてやった。


「俺が何を知らないって言うんだ」


「神官は神力を持っているのです。力の差はありますが、私も神殿宮の神官の端くれ」


 ラウルは手を組み祈りのポーズをとる。先程まで取り乱していたとは思えない切り替わりようだ。タダンはそれを見ているしかできない。

 神力の話だけならタダンも知っていた。そもそも神官というのは神力を持った者がなる職業だ。神力は神が人を助ける為にもたらす加護で、それを持って生まれた民はこの土地と人々を護る為に生涯を費やす。

 と、聞いたがこの国で生まれていないタダンにとっては、理解しがたい。正直、神力というものがどういうものなのか、今まで見る機会も無ければ興味もなかった。


「その神力とやらがあるのなら、なんでこの娘はこんなに衰弱してるんだ」


「神書では自分に対して神力を使うことが禁じられていますので……」


 馬鹿げている。それで死んでしまっては元も子もない。と言ってやりたかったが、ラウルは強く目を瞑り何やら呪文のようなものを唱えている。額には玉のような汗が噴き出てきた。


 光を発するでも、鐘の音が鳴るでもない。ただ森のざわめきだけが聴こえた。何も起こらない時間に耐えきれず、タダンは口を開く。が、娘の瞼が動いたのを見て、息を呑む。土色だった顔色も血色を取り戻していく。


「……アスミラ様」


 ラウルが呼びかけると、娘は瞼を瞬かせた。その碧色の瞳がラウルを捉え、曖昧に微笑った。


「だから、皆が止めたのです。こちらのタダン殿に助けていただかなければ、大変なことになっていましたよ」


 ラウルは喚きながら上体を起こそうとする娘の肩を支える。

 タダンは目の前で起った事が飲み込めず、思わず後ずさった。それに気づかないラウルは緩んだ顔をタダンに向ける。


「感謝申し上げます。お礼をしたいので、神殿宮までご同行いただけますか」


「いや、いらない。俺は仕事の途中なんだ。2人で帰ればいい」


 タダンの言葉にラウルは狼狽えた。神殿宮に招かれて喜ばない者がいるとは露ほども思わなかったのだろう。まさか、断られるなんて。


「お仕事が終わるまで待ちますので……。必ず共に来ていただかなければなりません」


 ラウルが食い下がるが、タダンはこれ以上は得体の知れないものに関わりたくなかった。その様子を見ていた娘が口を開いた。


「では、宮までの護衛を依頼します。仕事として受けて下さいませんか?」


 アスミラと呼ばれていた娘が立ち上がった。白い装束に、それに負けないほど白い肌。碧色の瞳と、うねった長い髪が相まって森の精の様に見える。歳の割に落ち着いた声は神官だからなのだろうか。

 頭の中では行かないほうがいいと警告が鳴っているのに、この娘の瞳に真っ直ぐ見つめられていると、何故だか断る気になれなかった。


「……ここで、待っていろ。仕事を終わらせてくる」


 タダンは苦々しげにそう告げると、籠を拾い上げて森の中に姿を消した。







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