第8話

 どれほどそうしていただろうか。

 気づけば身体はすっかり冷え切り、カタカタと小刻みに震えていた。

 全て置いて飛び出して来てしまったため鍵もなく家には帰れない。

 立ち上がり自然と足が向かったのは、[CALM]だった。


 カランっ

 控えめにドアベルの音がして夕凪さんが振り向く。

「あ、すみませんまだ開店してなくて…って夜鷹くん!?どうしたのそんなに濡れて!」

 驚いた顔をした夕凪さんは慌てて奥からバスタオルを持ってくる。それを俺の頭に被せて手を握った。

「結構長い時間雨に濡れてた?冷え冷えだね」

 お風呂沸かすね、といい手がすり抜けていく。

 やってしまった。高校生にもなって夕凪さんに迷惑をかけてしまった。

 その場で呆然と立ち尽くしていると、夕凪さんが戻ってきて椅子を用意してくれた。

 大人しくそこに座る。

「話は後だね、まずは身体あっためようか」

 しばらくするとお風呂の沸く音が鳴り、着替えを渡され促される。

 濡れた制服を脱ぎ、頭からお湯を被る。

 遠慮がちに湯船に浸かると、じわじわと温かさが身体を包んでいった。

 優しさが身に染みて、申し訳なさと不甲斐なさで消えてしまいたくなる。

 このまま身体を溶かして全て消してくれないかと肩まで浸かり目をつぶった。


「……夕凪さん。ありがとうございました」

 冷えきった身体はすっかり温かくなり、少し気持ちも落ち着いた所で上がると、夕凪さんからマグカップを渡された。コーヒーの香ばしい香りが鼻を擽る。

「……さて、聞かせてもらうとしますか。どうしちゃったの?」

 テーブルを挟んで向かい合わせ。真っ直ぐとした瞳がこちらを捉えていた。

 俺は先程起きた教室での出来事をゆっくり伝える。

「全部わかってたんです。僕がダメなことも、下手くそだから努力しないといけないことも。でも俺は何やっても上手くいかないから、最初から諦めるしかなくて。人と上手く関われないのにこれを機に、なんて思ったからきっとバチが当たったのかもしれないです」

 途切れ途切れに伝えるが自分でも何が言いたいのか解らなくなってしまっていた。

 夕凪さんは何も言わずただ黙って話を聞いてくれていた。

 自分の思っていることを話すのは胸の辺りがぐるぐると嫌な感情が渦巻く。

 流し込んでしまおうとコーヒーを飲む。

 温かいコーヒーが喉を伝い身体の中に広がった。


「夜鷹くん。今日はここにいていいよ。そこの本棚好きに読んで」

 店を空ける準備をするから、と夕凪さんは離れた。

 夕凪さんの本棚はたくさんのジャンルの本がある。毎月違うテーマで本が選ばれているのだ。

 今月のテーマは何だろうと端から眺める。

 作者を並べてみるとあるひとつの共通点が思い浮かんだ。

「……作者がみんな自殺してる?」

「あ、正解。死に方が不自然だったり、若くして亡くなっていたり、自殺だったりの人集めてみたの。小説の中身に共通点が探したくて」

 一つ手に取りパラパラと捲る。気がつけば本の世界に没頭していた。


 どれくらい時間が経っただろうか。

 ドアベルの音が鳴り、誰か入ってきた。

「夜鷹!」

 東雲だった。雨はもう上がっているのかドアの隙間から見える水溜まりに青空が映っていた。

 その後ろから遠慮がちに顔を出したのは俺の鞄を持った和泉だった。

「日暮、ごめんっ!俺気をつけてたのに。朝見つかって取られちゃって。そしたらあいつあんなこと……」

 申し訳なさそうに頭を下げられる。そしてこちらに差し出したのは、あの時破かれた小説だった。でも破れている箇所は見つからない上にきちんとした冊子になっている。

「和泉くんね、繋ぎ合わせてパソコンで打ち込んで冊子にしてくれたの。……私も止められなくてごめんね。でも和泉くんは悪くないの、だから許してあげて欲しい」

「いや、和泉は悪くないだろ。教室で渡すなんて迂闊だった。こっちこそごめん。小説も、鞄もありがとう」

 和泉が少し安心したような顔をした。

「日暮の小説読んだよ。ワクワクしてもっと読みたくなった。風景の表現とかその場で経験してるみたいで、風とか本当に吹いてくるみたいで」

 柔らかな顔で感想を言ってくれる。少し気恥ずかしい。

 しばらく2人で色々な本や作家の話をした。

 夕凪さんと東雲が後ろでにこにこと笑っていた。


「じゃあ俺はこれで」

 手を上げて和泉が帰っていった。東雲が後ろから覗き込んでくる。

「和泉くん、本好きだから夜鷹と合うかもって思ってたんだよね。嬉しい」

 本棚を眺め一冊の本を手に取った。

「なんで死んだと思う?」

 東雲はなんのことだろうと首を傾げ、本棚を眺める。そしてこの本棚の作家達の話かと頷き考え込む仕草をした。

「諸説はあるけれど、漠然とした不安とか受賞したのを気に病んでとか、年老いたくなかったとか言われているよね」

 東雲は一冊の本を取り表紙を指でなぞる。

「私もある。漠然とした不安。死んだら本の世界に行けるんじゃないか、こんな現実捨て去って私もそちらに……って時々思うことがあるの」

 東雲は真剣な顔でこちらを見ている。

「それはこの間聞いた現実逃避でもあるのか?……小説は現実とは違って好きに書き換えができる。なんにでもなれる。そちらに行きたいと俺も思うことがあるよ」

 本をパラパラとめくりぼーっと眺める。

 自殺なぞ正気ではない。

 小説家はおかしくないとやっていけないのかもしれない。


 小説の中で僕らは神様になれる。

 神様だから自分で好きなように登場人物を動かして、好きなように添削と推敲を繰り返し自分の世界を創っていく。

 しかし時々、登場人物達が勝手に動き出す時がある。

 自由に動き、俺達はそれをひたすら文字に起こす道具に成り下がる。

 その時、作品に神様が宿っているのだと俺は思う。

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