第2話

 授業は全く頭に入ってこなかった。

 東雲に言われた『逃げるな』の言葉が気がかりになりずっと上の空で、何回かさされた時も隣の席の人に言われなければ気付かなかったくらいだ。

 気づくと帰りのホームルームも終わり、教室に残っている生徒は東雲と俺だけになった。

「行くか」

「うん」

 たった一言の会話だった。それから二人で歩きだし、目的の場所へ向かう。

 適度な距離を保ちゆっくりとした穏やかな空間が流れる。駅前から外れた少し薄暗い路地の中、[CALM]と書かれた看板が目印。食事もできて作業もできるカフェがいつも来る場所だ。

 カラン、と控えめなドアベルの音が静かな店内に鳴り響く。

「あ、夜鷹くん、東雲ちゃん、いらっしゃい」

「夕凪さん、こんにちは」

 ここは夕凪さんが経営しているカフェだ。

 彼女は小説家で、俺たちみたいな創作をする人間の居場所を作るためにを開いたそうだ。

 軽食とコーヒーを頼み、会話OKないつもの席に座る。

「あの、朝のことなんだけど……」

「いいのもう。ごめんね、無理に引き留めるつもりはなかったの。君の、夜鷹の迷惑にはなりたくなくて」

 そう言った東雲の目は、不安と悲しみと少しの怒りをごちゃまぜにしたような何とも言えない色をしていた。

「ごめん。酷いこと言って」

 カウンターに並んで取りこぼした心を一つ一つ掬い上げるようにコーヒーを飲んだ。

 東雲の様子を横目で見る。マグカップを両手で持ち、ふーっと冷まして飲んでいる彼女を見ていると、クラスの人気者はこんな仕草も様になるのかと感心する。


「質問があるんだけど」

 マグカップから口を離し、なんでもどうぞ、と促される。

「東雲はどうして本が好きで読んでる?」

 東雲は少し考えるような仕草をして、答えた。

「私は現実逃避のためにお話を読んでるかな。現実ってほら、苦しいじゃない?ずっと苦しかったから逃げるように本を読んで、空想に浸ってた。本に育ててもらったといっても過言じゃない。それに小説の中にはたくさんの作家の心がある。私は少しでもその心に触れたい。作家がどんな生活をして、何を感じて生きているのか、それを感じて、作家の心を少しずつ貰って自分の心を創ってるの」

「なるほど、ありがとう」

 東雲の顔が少し明るくなった。

「クラスで人気者でいつも人に囲まれる東雲でもそんな風に思うんだな」

「なあに、それ」

 くすくすと控えめに笑う。

「夜鷹の言う私が人気者、とかよくわからないけど誰だって現実は苦しいんじゃないかな」

 マグカップから立ち込める湯気を見ながら彼女は続けた。

「音楽でも運動でも絵でも、とにかく自分の逃げ場になるものって私たちみんな持ってると思うの。それが私は本だったり、小説を書くことだったりするだけだよ」

「そうか、俺はそういうのないかもな。本を読むのは好きだけど、小説を書くのは苦しいんだ」

 東雲はそうだよね、と消え入るような声で呟き苦しそうな顔をした。重苦しい空気が流れる。

「夜鷹くん、東雲ちゃん、お疲れ様。ちょっと話いいかな」

 その空気を切り裂くかのように夕凪さんが声をかけてきた。

「こんなのがあるんだけど」

 一枚の紙をこちらへ向ける。二人で覗き込むとそこには『高校生創作コンクール』と書かれていた。

「夕凪さん、もしかして僕らにこれに応募しろって言うんですか?」

「そう!このコンクールの主催者、知り合いなんだけどさ、審査員が結構ガチなんだよね」

 ほらこの人とかさ、と指をさした先には、本が好きなら誰でも知っているような名前がずらりと並んでいた。

「わあ!私この方の小説、この間読みましたよ!心情描写がとっても綺麗で!この方に私の書いたもの読んでもらえたら嬉しいな」

「そうそう!この人は本当にいい本書くよね!じゃあ東雲ちゃんは参加でいいかな」

 東雲は心の底から嬉しそうな顔をして頷いた。

「ぜひ!どんなお話にしようかな。テーマとかってあるんですか?」

 テーマ、と書かれている項目を目で漁る。

「ジャンル問わず魂のこもった作品……?」

「そう。主催者、面白い人でさ、『俺はいろんな作品が見たい!魂削って書いた作品が一番輝いているんだ!それを俺はたくさん見たい!』ってさ。夜鷹くん、さっきの話聞こえちゃったんだけど。……苦しいのはわかる。この間のコンクールがダメだったら最後にするって決めてたことも聞いてた。でもさ、今回だけやってみない?私この審査員たちに夜鷹くんの小説刺さると思うんだ。この人たちに君の小説を読ませたい。こんなにいい作品書けるやつが埋もれているんだぞ!って見せつけたい」

 いつもそうだ。この人はいつも嘘のない逸らしてしまいたいほど真っすぐな瞳でこちらを見てくる。どんな大人だってそんなに真っすぐ見てくれる人はいない。だからそれに賭けてみたいと思ってしまうのだった。

「夕凪さんの言う僕の作品の良さってわからないですけど。……夕凪さんの頼みならいいですよ。どうなってもこれを本当に最後にしますけど」

 東雲の顔が晴れやかになった。

「夜鷹くんありがとう。夜鷹くんの小説の良さはね、自分で気づいて欲しいんだ。だからこのコンクールが終わったらたくさん伝えさせてね。二人とも、詳細は出たらすぐ教えるからメールアドレス教えてもらってもいいかな」

 夕凪さんにアドレスを教えて、残りの軽食を頬張る。

「頑張ろうね、夜鷹」

 心底嬉しそうに笑う東雲に俺は苦い顔しか返せないのだった。






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