夜鷹は夢を見ない
澄鈴
第1話
朝は憂鬱だ。どんよりとした空模様でただでさえ気分が乗らないのに、余計に嫌な気持ちになる。
「死ねよ、本当」
そんな物騒な言葉を少し赤みがかった唇から紡ぎ出せば、少しばかりか憂鬱だった気持ちが吹き飛ぶような気がした。
「こんな黒くて汚い気持ちなんて全部サイダーで割って飲み干してしまえたら」
――なんて詩的な言葉を口に出し、これはネタになるぞ、と思った所で苦笑する。
もう小説を書くのは辞めたのに。いつまでも諦められない自分に嫌気が差す。
小説を書き始めたのはいつだっただろう。
小さいころから好きだった小説は、いろいろな世界を見せてくれた。書いてみたい、と思うのは自然なことなのだと思う。
今まで、何作も書いてきた。コンクールにも数えられないくらい応募した。
一度も賞が取れなかったそれらは、確かな質量をもって増幅し、自分の身体、そして心を蝕んでいった。
入選しなければもう小説を書くのは辞めよう。そう思って挑んだ今回の高校生コンクール。
結果は、惨敗。他の学校の生徒にも、同じクラスの人気者、東雲朝陽にも勝てなかった。
そこで目が覚めたように何もかもどうでもよくなってしまった。
自分の作品、日暮夜鷹と書いてある評価コメントを漁る。評価は低かった。
評価コメントには「内容がとても薄い、人間が描けていない、もっと人間に興味を持つべきだ」と書かれていた。
俺が人間に興味を持つ?どうやって?
そんな疑問を浮かべている時点で既に自分は興味を示していないのだと思う。
自分が小説を書いているということを、クラスの人は知っていた。いつも東雲に勝てていないことも、自分が一度も入選したことがない事も。
ただ、応援してくれる人がいるほど交友関係は良いものではなかった。
そんな自分が小説を書いていても、人間が描けていなくて当然だ、とどこか投げやりな気持ちになってしまった。だからもう、すべて投げ捨ててしまおうと思ったのだ。
学校は嫌な気持ちが集まっていると思う。そんな場所になぜ行かなければならないのか、なんてことを考えるのは屁理屈だ。
学校に着いて席に座り、最近買った小説を開く。すうっ……と意識が中に入っていくのを感じ、そのまま身を任せて入り込んだ。
しばらくすると、「夜鷹、おはよう」と現実へ引き上げるような凛とした声が頭上から響く。
顔を上げると、おでこにひやっとしたものを当てられた。
「強炭酸のサイダー。これ、好きでしょう?奢ったげる」
「ありがとう。東雲、最優秀賞おめでとう」
ぷしゅっ……と爽やかな二酸化炭素の抜ける音がして、口に流し込むと、喉の奥で弾ける泡が、憂鬱だった気持ちを連れ去ってくれる。
「……私は、夜鷹の小説、好きなんだけどな」
東雲がそう呟いたのを俺は聞き逃さなかった。俺の小説が好き?こんな酷評で、内容が薄くて、人間が描けていなくて、そんな小説を好きだなんて。
「お前に何が分かるんだよ」
流したはずの化け物みたいな黒い感情が再び湧き上がってきた。黒く、汚く、頭の中を駆け巡っていく。たまらず残りのサイダーを飲み干す。
「いいよな、最優秀取って、クラスでも人気者。本当、羨ましいよ。俺の小説を好きだなんてお世辞言わなくていいから」
「ちがっ……」
「だから!もしそう思ってくれてるのだとしても、やめてくれよ。俺は賞にかすりもしなかった。上の人に何言われても嫌味にしか聞こえない、虚しいだけだ!」
思わず立ち上がり、叫ぶように吐き出してしまった。周りの人が見ている。大声を出してごめん、と周りに断り、再び席に座る。
「だから、もういいんだ。今回賞に入れなかったら辞めるつもりだったんだ。もう俺は書くのを、辞める」
辞める、と自分の考えをはっきりと口に出すと、背中を蟻が這ってゆくようなぞわぞとした感覚に襲われる。
「どうして」
その四文字だけで酷く心を抉る。震えた声が聞こえ、弾かれたように顔を上げると、東雲の目は潤んでいた。
「どうしてって、東雲は俺に何を求めてるんだよ。小説なんてただの意見の押し付けだ。傲慢だ。こんな人間が書く話になんて、なんの意味なんてないんだよ」
「意味なんてっ……!そんなの関係ないよ!好きだから書くんでしょ?そんな、コンクールの評価なんかで、簡単に辞めるなんて言わないでよ!」
「簡単になんて言ってない!」
小説のことになると熱くなってしまうのは、いつものことだ。
「逃げるな!」
東雲は変わらず潤んだ目で俺を見つめている。熱くなったせいか少し頬に赤みがさしていた。俺は、ため息をついた。
「ごめん、熱くなりすぎた。サイダーご馳走様。今日いつものあそこで話そう」
納得していないような顔をしたが、頷いてくれた。周りの人はやっと終わったかと呆れ顔だ。
本当に、申し訳ないと思う。
ホームルームが始まり、先生の話を聞き流す。
もしかして俺には人間の血が通っていないのかもしれない。だから人の気持ちがわからないのかも……なんて妄想にも似た言い訳が頭に浮かんだ。
しかし、紛れもなく俺は人間だ。どこにでもいる普通の学校の平凡な学生だ。
「以上でホームルームを終わりにします」
と先生が告げると、一時間目は移動教室なのでみるみるうちに人が去っていく。俺も移動しようと席を立つと、床に置いてあったサイダーの空き缶がカランッと音を立てて転がった。
ため息をつき、ごみ箱に向かって投げる。見事にゴール……とはならず、ごみ箱は空き缶を拒んだ。拒まれたそれは床に叩きつけられ、寂しそうに転がって音を消した。
まるで自分みたいだと、それを見て思う。拾って今度は優しく投げ入れ、そのまま教室を去った。
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