第15話 わずかな人生の物語


 休憩の終わりを告げるチャイム(ただの目安で、実際はばらばらなのだが)が鳴った途端、私は自分の机から顔を上げた。


「あ……うちの事務所?」


 見慣れたオフィスを奇妙な懐かしさと共に見つめながら、私は「戻ってきた」事を悟った。


 ――夢? ……でも。


 ふと足の裏に違和感を覚えた私は、何気なく靴底をあらため思わず叫びそうになった。


「これって……」


 私は戦慄した。ずっとオフィスにいたら絶対に付かないような、苔に似た緑色の何かが靴底にべったりと貼りついていたのだった。


 私が靴の裏にこびりついた緑色の「何か」をこすり落とそうと靴を床に押しつけた、その時だった。

 

 ――〈お前の命はあと三十三時間で終わる〉――


「なんですって?」


 ――〈私の身体の一部をお前の中に植えつけた。三十三時間後、お前は私の一部になりもう人間に戻ることはない〉――


私ははっとした。これは『フローラ』、つまり多草花菜のコピーが感応力で語りかけてきたのではないだろうか。だとすると敵の息の中に変異体の胞子があり、それを吸ったという訳か。


 ――三十三時間……


 もはや一刻の猶予もない。それなのに、私には選べる選択肢がただの一つもないのだった。


                 ※


「そう、そんな恐ろしい目に……しかも昔の所長とわたしを「見た」なんて」


 私から話を聞き終えた雛乃は、いままでになく厳しい表情で私の方を見返した。


 雛乃の現在の「仕事場」だという古民家カフェは、私が「七年前」のヴィジョンで見た建物とまったく同じだった。ということは前回訪ねた時には見なかったが、この奥に『鵡川博士』もいるのだろうか。


「その依頼者は多分、多草博士ね」


「あの人が……」


「私も博士がその依頼をしに来た時、事務所にいたと思う。微かに記憶があるわ」


 雛乃目を細め記憶の糸を手繰るように言うと、「つい昨日のことみたい」と漏らした。


「ところで雛乃さん、「現在」の研究施設はどうなっているんです?多草教授と花菜さんは?」


「それが……まだよくわからないの。でもあなたの話を聞く限り、何が起こっているか大体の想像はつくわ」


「私の話……どのあたりが手がかりになるんです?」


「バイキングで『フローラ』、つまり花菜さんのコピーが現れてあなたたちを襲ったという部分ね」


「花菜さんのコピー?」


「ええ。七年間、花菜さんの中で眠っていた『フローラ』が、ある刺激によって目覚めたのんだわ」


「ある刺激?」


「P-77よ。わかる?」


「P-77と言えば……あっ」


 私の中で、探偵を始めた頃のある記憶が甦った。「P-77」というのは『須弥倉病院事件しゅみくらびょういんじけん』で私たちを苦しめた、人間の脳を支配し姿形さえも変えてしまう特殊蛋白質のことだ。


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