第5話 早い時期の女
「あ、そうだ。今週は石さんもテディもいないんだった」
安売りスーパーの総菜コーナーで、ポテトサラダと筑前煮の材料を籠にいれかけたわたしは、思い直して手を止めた。
「じゃあ、これは来週ね。うーん、コンゴ達だけなら、肉系で行ってもいいか」
――それにしてもあの『フローラ』とか言う女の子……本当に石さんとテディの両方の前に現れたのかしら。
残る部下たちの不安を払拭するには、どんなお惣菜がいいだろうか――私は自分自身の不安から逃れようとするかのように、考えを巡らせ始めた。
※
「あ、やっぱり誰もいない」
ドアを開けた瞬間、私はがらんとした風景に思わず独り言を漏らした。朝の打ち合わせにはまだ早いし、たぶんお掃除の久里子さん以外誰も来ていないだろう。まっすぐ冷蔵庫に向かおうとして動く影に気づいた私は、驚いて思わず足を止めた。
「そうですか、ではまた所長さんがいらっしゃる時にうかがいます」
ぺこりと頭を下げて身を翻したのは、ワイシャツ姿の小柄な男性だった。男性は私に気づくと「あ……失礼」と会釈して横をすり抜けて行った。
――もしかしてお客さん? ……でも、でも職員が一人もいないのに?
戸惑う私の胸にさらなる動揺をもたらしたのは、応接ソファーから立ちあがった若い女性だった。
「あっ、もしかしてあなたが明島所長から引き継いだっていう今の所長さん? はじめまして、
「じゃあ、最初の……」
「はい。辞めてからはご無沙汰していたんですが、所長が事故に遭われた時も、ピンチヒッターで一月ほどお邪魔してました」
私は愕然とした。叔父が失踪してからの一月――それはつまり、私が来る直前の話に違いない。
――てっきり叔父の残した委任状が全てだと思っていたのに、今まで誰もこの女性のことを私に教えてくれなかった……
「ひょっとして今のお客さん、あなたが応対されたんですか?」
「ああ、ちょっと昔の癖で……懐かしくなって中を見ていたらちょうど今の方がいらっしゃって。さし出た真似をしてごめんなさい」
私は混乱していた。誰もいないオフィスに勝手に入ってきて、依頼人に勝手に対応する。いくら私のずっと先輩だと言ったって、こんなのってない。
「ええと、今は今の正規スタッフがいますので、そんなことをして頂かなくても大丈夫です。できたらいらっしゃることも含めて事前にご連絡いただけないでしょうか」
私が荒ぶる気持ちを抑えてやんわりと釘を刺すと、雛乃は「それもお詫びします。近くを通りがかったので、誰かいないかなと思って……」と悪びれることなく言った。
「今日は石亀さんも荻原さんもいないんです。他の調査員は多分、これから……」
私は初期ならこの二人しか知らないだろうと思いながら、少しだけ意地の悪い気持ちで言った。こんなこと別に言いたくもないんだから言わせないで、と心のどこかで思いながら。
「そうだったんですか。懐かしくて覗いてしまったけど、お仕事の邪魔をしただけみたいですね。気をつけますね」
雛乃はぺこりと頭を下げると「みなさんによろしく」と言い置いて姿を消した。
「あ……」
私は気持ちをかき乱されたまま、冷蔵庫に向かう気にも荷物を下ろす気にもなれず立ち尽くした。本当はもっと色々な事を聞いてみたかった、そう気づいたのは十分後「遅くなっちゃったよ、ごめんなさい」と言いながら(それでも定時より早いのだが)久里子さんが姿を現した後だった。
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